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「武満徹対談選」の武満徹とDavidSylvianの対談を読んだ感想

    昔は武満徹の事を食わず嫌いしていて、それもあまり好きではないギタリストが武満徹推しだったからという理由でした。
    ここ数年、武満徹のドキュメンタリーや特集番組をYoutubeで視聴して、その考え方やアカデミックな教育を受けずに独学で作曲されたという事を知り、一気に尊敬し好きになりました。

    なぜ、アカデミックな教育を受けなくても多彩な表現ができるようになったのかという事に興味があり調べていたら、DavidSylvianとの親交もあり、武満徹がリスペクトしている事が分かりました。
    それで、武満徹とDavidSylvianが対談しているという事で、古本の「武満徹対談選」を取り寄せて読みました。

    1992年の対談ですが、たくさんの新しい情報と共感できる事がありました。その後のSylvianの作品も知っているだけに、この時点の考えというのが布石になっていると感じました。

    対談の中で、一番印象に残っているSylvianの言葉を抜粋します。

    「人生というのは若いときにいろいろなことを学んで、どんどん外的世界からいろいろ学んでいくのですけど、ある時期から外的世界から離れたところに自分の感情とか夢を投影させて、そして幻想的な世界のなかに入っていくことがあると思います。
    そして、小さな事件とか体験によって人生が全く変わってしまうとか、自分のものの見方がまったく変わってしまうことがあります。いつも現実、自分の実際に住んでいる世界、あるいは自分の外にある外的世界と自分の内面的世界とのあいだを自問自答して、意識して、その自問自答をくり返すことによって、自己意識というものに到達すると思うのですが、芸術が社会に何かの役割を持つとすれば、人々に自分の内面的な自己の存在を意識させ、自分の内面的なものを変えることを示唆できるのではないかということだと思います。
    そうすると、人間としてもっと人間らしくなれる。もし個々の人間が社会の小宇宙だとすれば、個々の人間が変わらなければ社会も変わらない。個人が変わることから社会も変わると思います。
    もっと簡単な言い方をすれば、現実というのは自分が何者であり、自分が何であるかということを完全に受け入れることだと思います。ほとんどの人間はそれを認める事ができず、拒絶し、そして恐怖する生活をくり返していると思います。」

    武満徹対談選より


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