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「もう無理だろうな」と思っていた——中学一厳しい陸上部で、息子が変わった夏


    前回、中学で一番厳しい陸上部に「入る」と言い張ったリクと、怒鳴り合った話を書いた。

    今回は、その続き。あれだけ揉めて入った部活で、リクがどうなったかの話だ。

    生活が、丸ごと変わった

    入部して、リクの生活は一変した。

    朝練は6時45分集合。中学まで歩いて30分かかるので、6時20分には早足で家を出る。小学校の頃より家を出るのが1時間30分も早くなった。
    私はすこぶる朝が弱い事に加えて0歳児もいたので、朝練後に食べる分のおにぎりだけ前日の晩に用意して冷蔵庫に入れておくようにした。

    問題は勉強だった。当時、我が家には0歳の弟と3歳の妹がいて、家の中はいつも騒がしい。ただでさえ人より集中力のないリクにとっては、勉強するには地獄のような環境だった。

    かといって自室にこもらせると、見張りがないので100%他のことをして、まったく勉強に手をつけない。仕方なく、日常的に勉強ができる自習室が完備された集団塾に通わせることにした。

    それまで9時台に寝ていたリクが、塾のある日は22時頃の帰宅になった。寝るのは遅くなったのに、朝は早く起きなければならない。生活サイクルが、丸ごと変わってしまった。

    「一番厳しい部活」の本当の意味

    その陸上部は、公立中学で、入部の殆どが初心者であるにも関わらず毎年部員の3分の1以上が県大会以上に出場するほどの実績があった。

    理由は単純で、顧問の先生2人が熱血だったからだ。本当に厳しかった。簡単な理由では練習さえ休めない。出られる大会には基本的に出る。自分が出なくても部員として応援も行く。春から秋まで毎週のように大会のオンパレードだった。
    大会が終わるたびに自分から先生に報告に行く決まりもあった。準備や采配が悪ければ喝が飛ぶ。毎回、自己評価と次の課題・目標を書いた感想を提出させられた。そして先生は、全員に毎回ちゃんとフィードバックの返事をくれていた。
    厳しいけど、愛がある部活だった。

    「一番厳しい部活」と言われる意味が、よくわかった。5月、6月で早々に辞めていく子もいた。

    1500mと800mを選んだリクは、慣れない塾に、学校に、部活にと、疲れ切っていた。リクじゃなくても、これはかなり厳しいと思えた。

    私は、もう無理だろうな、と思っていた。

    寝室に乗り込んでくる息子

    案の定、最初の頃はうまくいかなかった。

    疲れから、目覚ましをかけても全く起きられない。自室で寝坊したリクは、予定が狂った事実を受け入れられずパニックになる。そして、よりによって私の寝室に乗り込んできて、私を叩き起こすのだ。

    「もう、部活間に合わないんだけど!!」

    なぜか、私にキレている。0歳の弟がたまに起きてしまい泣き叫ぶ。
    朝から勘弁してくれと思うことが何度もあった。

    もちろん間に合わなければ叱られる。何度もやらかして、先生からも「やる気はあるのか」とその度に言われていたらしい。「叱られた、あんなの無理だし。塾もあるのに!!」「もう無理!もう無理だって!!」と、独り言でよく怒っていた。

    これは特性も大きい。予定が崩れることへの弱さ、切り替えの苦手さ。頭ではわかっていても、毎朝それに付き合う私も、正直しんどかった。

    それでも、「辞めたい」は出なかった

    ただ、不思議なことがあった。

    あれだけ怒られ、あれだけ疲れていたのに、リクの口から「辞めたい」という言葉だけは、一度も出なかったのだ。キャパオーバーではあるけど、部活を辞めるという選択肢はなかったのだ。これは単純に驚きだった。

    人間関係に恵まれたのも大きかったと思う。3年生の先輩は、優しくて温厚で賢い、自慢の先輩。2年生にはとても足の速い憧れの先輩がいて、いろいろ教えてくれると話をしていた。先輩の悪口はほぼ聞いたことがない。いつもリクは部活での出来事を大変ながらも楽しそうに話していた。

    体調不良は相変わらず多かった。インフルエンザにコロナ、溶連菌、捻挫——もともと感染症にかかりやすいリクは、これでもかというくらい風邪をひいた。せっかく大会に向けて走っていたのに、と親の私から見ても心が折れそうな事が何度もあった。
    それでも、走ることはやめなかった。

    そして、走るスピードは少しずつ上がっていった。タイムが伸びるのが、本人は嬉しそうだった。秋ごろには、何人かの2年生の先輩も、タイムで追い越し、長距離の同級生の中では一番のタイムになっていた。

    「あれ?続いてる」と思った夏

    私が「あれ?続いてるかも」と気づいたのは、夏休みの頃だった。

    学校と塾のサイクルがようやく整い、体力もついてきた頃だろうか。あんなに無理だと思っていたのに、なんだか、大変と言っているけれど、やっていけそうになっていた。顔が以前より、目標を持って前を向いていた。

    振り返って思うのは、リクに必要だったのは「やめさせること」ではなく、「生活が整うまでの時間」だったということだ。

    発達に凸凹のある子は、新しい環境に慣れるのに人より時間がかかる。最初の数ヶ月だけを見て「うちの子には無理」と判断すると、その先にある"慣れたあとの姿"を見逃してしまう。私は何度も、その手前で諦めかけていた。

    同じように、お子さんの「最初のつまずき」に焦っている方へ、私の経験から3つ。

    1. 最初の2〜3ヶ月は「慣らし期間」と割り切る
    立ち上がりのしんどさと、その子の適性は別物。判断はもう少し後でいい。

    2. 環境のほうを調整してあげる
    勉強できないなら場所を変える(我が家は塾の自習室だった)。本人の根性ではなく、仕組みで支える。

    3. 「辞めたい」が出ないなら、それは続けたいということ
    口では文句を言っていても、肝心の言葉が出ないなら、本人なりに踏ん張っている証拠だ。


    あんなに怒鳴り合って入った陸上部で、リクは静かに変わっていった。

    このあとリクが3年間をどう走り抜けたのか、そして高校でどんな選択をしたのかは、また次の記事で。

    あなたと、あなたの大切な人の明日が、少しだけ軽くなりますように。

    この記事が「うちだけじゃないんだ」と思えるきっかけになれたら嬉しい。

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    ADHD・ASDの特性がある高2の長男とASDの診断が出たばかりの多動の年中次男。凸凹兄弟ママ/元看護師です。長男は学校では「元気な子」。でも家では大変で、わかってもらえない孤独がありました。受診にたどり着くまでの経過と、葛藤した日々のリアル、今だからわかる気づきを書いています。

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