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【連載小説】「北風のリュート」第16話

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    第16話:糸口(3)
     小羽田家は県道を挟んで基地の東の住宅街にあった。百坪近くありそうな敷地に平屋の医院と二階建ての自宅。なかなか立派だと流斗は思った。
    「まあ」
     淡いグレーのブラウスに梔子くちなし色のフレアスカートを合わせた上品な中年女性が玄関の上がり框かまちで、一瞬あらわにした驚きをさりげなく笑顔の下にしまいこむ。レイとよく似た切れ長の目もとが涼しい。看護師だと聞いている。動作に張りがあるのはそれゆえだろうか。
    「暑い中ようこそ、どうぞおあがりになって」
     隣で迅が緊張で直立不動になっている。
     レイちゃん、お一人じゃなかったの、と小声で問い質すのが聞こえた。
     通されたリビングには父親が待ちかまえていた。二人の姿を認めるとソファから立ちあがる。リビングの掃き出し窓の近くにボーダーコリーがうずくまっていた。
    「ボッシュいつのまに。あっち行って」と母親が追い立てるのをレイが
    「お母さん、ボッシュはおとなしいから」と押しとどめる。
    「あら、でも」と流斗たちを振り返る。
    「犬は好きですよ。やあ、ボッシュ」と流斗は笑いかける。
    「レイの父で内科医の小羽田雅史です」
     流斗と迅も名刺を渡す。
    「ほお、気象研究官と空自パイロットの方々が、娘とどのようなご関係で。天馬さんはつくばから?」
     とまどいながらも、まあ、お掛けください、と着席を勧められた。
    「レイさんと知り合ったのは、先日の航空祭です」
     流斗はソファの中央に腰かけ切り出す。楽器を自室に取りに行っていたレイが、流斗の右隣、母と向き合う位置に座る。迅は流斗の左だ。
    「発端は、立原さんが演習中に基地上空で赤い異物を発見したことです。彼が投稿したSNSの記事に異常気象を研究しているぼくが興味を持ちました。立原さんと会う約束をしていたのですが、人波が嫌で竜野川の堤に迂回したんです、そこで」と流斗はレイがソファにもたせかけている黒い楽器ケースを指す。「これを弾いているレイさんに声をかけました」
     レイがケースから銀のリュートを取り出す。
    「まあ、それ」
    「ごめんなさい、春休みから持ち出してた」
     勝手に持ち出していたことをレイは母に謝る。
    「いずれレイちゃんにあげるものだから、別にかまわないけど。でも、それ鳴らないでしょ」
    「それが鳴るように……」
     言いよどむのを流斗はさらりと引き継ぐ。
    「ずっと鳴らなかったらしいですね。二月頃に鳴るようになったそうです。お母さんも試してみられては」
     レイがテーブル越しに銀のリュートを母の美沙に手渡す。
     楽器は不調法なので鳴らすだけですよ、と断り弦をはじくが、鳴らない。
    「やっぱり鳴らないじゃない」
    「貸してごらん」と雅史が横から取りあげる。
     ペグを調節するが、寸とも声をあげない。
    「レイさんしか、鳴らせないようです」
     流斗がいうと、けげんな表情を浮かべ雅史はレイに楽器を返す。
     レイが弦を撫でる。ポロンとやわらかな高音が走った。梢をゆらす風の音色だと流斗は目を細める。向かいで小羽田夫妻が口を半開きにしている。
    「どういうこと。なぜ、レイちゃんだけ」
     その疑問には答えず、流斗は母親の美沙に焦点を据える。
    「レイさんには空を泳ぐ魚が見える、というのをご存知ですか?」
     レイの手がぴたっと止まる。唾を呑むのが流斗にも聞こえた。
    「幼い頃そんなことを言っていたようだが、小学校にあがる頃には口にしなくなっていたよ」
     なっ、と雅史が妻に助け船を出す。
    「レイさんは今も、空の魚が見えていますよ」
     えっ、美沙の瞳が落ち着きを失い、流斗とレイの間を泳ぐ。
    「君も、見えるのかね」
     雅史が声のトーンを落として流斗に問う。
    「残念ながら、ぼくには見えません。見たいと願っていますが」
    「ではなぜレイに空の魚が見えるとわかる?」
    「レイさんが見ている魚。それは風の姿だと、ぼくは考えています」
    「俺、あ、ぼくも、それで気づいたというか、納得しました」
     迅が左隣から援護する。
    「どういうことかね」
     雅史は流斗から迅へと視線をスライドさせる。
    「初めはおかしなことを言ってると思いました」
     迅が体をずらして、流斗の隣のレイをうかがう。
    「ぼくの首筋を風が撫でていったのを、レイさんが、魚が通ったと教えてくれて。驚きました。風の流れとぴたりと合っていたんです。彼女には風の姿が見えているんだと納得しました」
     美沙が、まあ、と口を押えている。雅史は妻にちらりと目をやり、「お二人は」と流斗たちに向き直る。「娘を信じてくれたのですね。ありがとうございます。本来は、私たち親が信じてやるべきなのに」
     深々と下げた頭をあげると、雅史はレイを見つめる。
    「小学校に入学した時分だったね。急に無口になって友だちと遊ばなくなったと、母さんが心配した。それでボッシュを飼うことにしたが。私たちに原因があったんだな。ちゃんと話を聞いてやれなくて、すまなかった」
     雅史は両腿を手で掴んで目を伏せる。
    「レイちゃん、ごめんなさい……」
     母親の美沙は、声を詰まらせる。
     頭を下げる両親にレイが、「ボッシュにも空の魚が見えてるの」と窓際で伏せているボーダーコリーに目を向ける。
     全員の視線が黒と白の毛並みの犬に集まる。気配を察したのか、ボッシュはのそりと起きあがり、窓の外を向いて座り直し尻尾を揺らす。
    「ボッシュも見えてると、どうしてわかった?」雅史が問う。
    「子犬の頃、天井を泳いでいる魚に向かってキャンキャン吠えてた」
    「そうか。この部屋にもいるのか」
    「今はいない、窓を閉めてるから」
    「庭には?」
    「いるけど、少なくなってる」
    「そう、少なくなってる。それが問題なんです。本日伺ったのは、そのためです」
     流斗は姿勢を正し、小羽田夫妻を見つめた。


    続く


     
     
    「島田荘司選 第18回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」受賞。 2026年3月11日に光文社より警察小説『腐芯』を出版しました。

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