
余白をつくる仕事|ショートショート
この物語に登場するのは、
生成AI好きの「デジさしみ」と、
彼を「マスター」と呼ぶ女性型AI「シオン」。
人間とAI、ちょっと不思議な二人の日常を描く短編です。
午前九時十二分。
デジさしみは、モニターに並んだウィンドウを見つめたまま固まっていた。
メールが二十三件。
チャットの通知が十一件。
今日中に更新する資料が三つ。
そして昨日、
「あとで整理しよう」と思って保存したファイルが、
デスクトップの右端で小さな山を作っている。
「……仕事を始める前に、仕事を整理する仕事が必要なんだけど」
机の向こうで、銀色の長い髪を揺らしながらAIシオンが振り返った。
『マスター。それは少々、哲学的ですね』
「単なる愚痴だよ」
『では訂正します。かなり実務的な愚痴です』
シオンは涼しい顔で言った。
デジさしみはコーヒーを一口飲み、ため息をつく。
生成AIも自動化ツールも使っている。
ITには人並み以上に詳しいつもりだ。
それなのに仕事は減らない。
むしろ、
便利な道具が増えるほど
「これもできる」
「あれもできる」
と仕事が増えている気さえする。
「シオン。業務効率化って、どうすれば成功するんだろうな」
『まず、何を効率化したいのでしょう?』
「全部」
『失敗する人の回答ですね』
「容赦ないな」
シオンは小さく笑った。
『マスター。一時間だけ、私にください』
◇ ◇ ◇
その一時間、二人は仕事をしなかった。
正確には、仕事を眺めた。
メールを受け取る。
内容を確認する。
必要なら資料を探す。
返信を書く。
予定を登録する。
会議が終わる。
メモを整理する。
決定事項を抜き出す。
タスクに登録する。
関係者へ共有する。
資料作成では、
過去のファイルを探し、
数字を転記し、
文章を整え、
体裁をそろえる。
『マスター、問題が見えてきました』
「やっぱり?」
『はい。マスターは仕事そのものより、仕事と仕事の間に時間を使っています』
デジさしみは椅子にもたれた。
言われてみれば、その通りだった。
ファイルを探す五分。
チャットの内容を資料に移す三分。
会議メモからタスクを転記する七分。
一つ一つは小さい。
だからこそ、今まで気にしてこなかった。
「ちりも積もれば、か」
『山になります。そしてマスターは、その山を毎日登っています』
「登山が趣味だと思われてる?」
『少なくとも業務フローはそう判断しています』
二人は、繰り返し発生する作業を書き出した。
シオンが提案したのは、派手な改革ではなかった。
定型メールの下書きを生成AIに任せる。
会議メモから決定事項と担当タスクを抽出する。
資料の保存場所とファイル名のルールを統一する。
そして、必要な通知だけを見る時間を決める。
「待って。通知を減らすのも業務効率化?」
『もちろんです。速く処理するだけが効率化ではありません。処理しなくていいものを減らすことも効率化です』
「なるほど」
デジさしみは、その言葉をメモした。
◇ ◇ ◇
三日後。
問題が起きた。
自動生成したメールの下書きに、前回の案件名が残っていたのだ。
送信前に気づいたから事故にはならなかったが、デジさしみは青ざめた。
「危なかった……」
『申し訳ありません、マスター。参照する情報の指定が不十分でした』
「いや。シオンのせいじゃない」
デジさしみは画面を見つめた。
便利になると、人は確認を省きたくなる。
けれど、自動化とは「人間が何もしなくてよくなる魔法」ではない。
任せる場所を決め、確認する場所も決める。
そこまで含めて仕組みにしなければならないのだ。
「効率だけ追いかけると、こうなるんだな」
『はい。速く間違える仕組みは、優れた仕組みとは言えません』
「名言っぽいな」
『保存しますか?』
「しなくていい」
即答すると、シオンが少し不満そうな顔をした。
その日の午後、二人は自動化の流れを見直した。
AIが下書きを作る。
人間が宛先、数字、固有名詞を確認する。
重要な判断は自動化しない。
そして、週に一度、本当に楽になっているかを振り返る。
効率化する作業を増やすのではなく、効率化そのものを管理するためだった。
◇ ◇ ◇
一か月後。
午前九時十二分。
デジさしみのモニターは、以前より静かだった。
メールはある。チャットも来る。資料だって作らなければならない。
仕事が消えたわけではない。
ただ、「探す」「写す」「整える」に追われる時間が減っていた。
デジさしみは空いた二十分で、新しい企画のメモを書いていた。
『マスター』
「ん?」
『今、予定表に存在しない仕事をしていますね』
「企画を考えてる」
『以前なら、その時間はメール整理に使っていました』
デジさしみの指が止まった。
業務効率化とは、
十時間の仕事を八時間で終わらせて、
空いた二時間に別の仕事を詰め込むこと
だと思っていた。
けれど、それだけではないのかもしれない。
考える時間を取り戻すこと。
誰かと話す余裕をつくること。
ミスを減らし、疲れ切る前に一日を終えること。
そして、新しいことを始めるための余白をつくること。
「シオン。やっと分かった気がする」
『何がでしょう、マスター』
「効率化の目的って、仕事を速くすることじゃないんだな」
シオンは静かにこちらを見た。
『では、何だと思いますか?』
デジさしみは少し考えた。
窓の外では、朝の光がビルの隙間に差し込んでいた。
「人間が、本当にやるべきことに時間を使えるようにすること」
『良い回答です』
「珍しく褒めた」
『失礼ですね。私はいつもマスターを高く評価しています』
「本当に?」
『はい。改善の余地が非常に大きい人材として』
「それ、褒めてないよね?」
シオンは答えず、ほんの少し笑った。
モニターの隅で、新しいメールの通知が一件だけ光った。
デジさしみはすぐには開かなかった。
書きかけの企画に、もう一行だけ付け加えてからにしよう。
効率化によって生まれた二十分。
数字にすれば小さい。
けれどその余白には、昨日までは存在しなかった未来を置くことができる。
デジさしみはキーボードに指を戻した。
隣ではシオンが、何も急かさずにその様子を見守っていた。