
人生に求めるもの
散歩中に浮かんだことのまとめ。
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1. 私にできるのは「幸せでいること」
不足や不満を感じていると、その周波数に合う出来事が起きてくる。
兄が戻ってきたらどうしよう、と考えるほど、兄がいる場面が現実味を帯びてしまう。
兄がいてもいなくても、幸せでいると決めれば、嫌なことを想定しなくていい。
周波数が現実を創るとしたら、追い出したいと願うことも、兄を意識の中に混ぜてしまうことになる。その現実と一致することになる。
ならば今、私に出来ることは、ただ幸せを感じること。それだけであり、それが必要な全てだと思う。
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2. 意識の向きを、少しだけ幸せな方へ
目の前に不満があると、どうしてもそちらを向いてしまう。
向けないようにしたいけれど、それでも向けてしまうのなら、その範囲の中だけでも、幸せな方を向けばいい。出来ることしか出来ないのだから。
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3. 「兄が可哀想」や「周りにどう思われるか気になる」も、同じ方向を向いている
兄も、私にそうまで思われて可哀想という気持ちが、私の中にある。兄自身はそんなこと気にしてないかもしれないけれど。
兄に対して申し訳ない気持ちも、不本意だけれど優しさも、実はある。
あるけれど、これまで度々裏切られてきたので、そうやすやすと、素直に思えないのも事実。
また、兄を拒否する私を、周りの人は人でなしと思うかもしれない、という気持ちもある。
でも、これらも望まない現実に意識を向けることになっている。
兄は兄で、周りの人は周りの人で、私は私で、それぞれの幸せに合った現実を体験する。操作しようとせず、なるようになると任せて、望まないことを望まないだけでいい。
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4. 離れて暮らすのは悪いことではない
私が距離を取ることが、兄の不幸や人でなしの行いになるわけではない。「そう思われるのでは」という自分の思いが現実に映っているだけ。
離れて暮らす方がみんな幸せ、という現実がパラレルな世界のどこかにあって、そこと一致すればいい。
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5. では、私は何と一致したいのか
今は、働かずにゆったりと好きな時間に好きなことができていて、(お金のことを除けば)状況への不満はない。
それが脅かされそうになって、どれほど大切かに気づけた。
では私はこれからの人生、どうありたいのか。何を望むのか。
これまでの人生の大半は、「嫌なことを避ける」ことからしか選んでこなかった。積極的に何かを求めてきたというわけではないように思う。単に忘れているのかもしれないけれど。
嫌を避けてきた。だから、私は人生に何を望んでいるのだろう?と考えたとき、望む形が見えにくい。
場所や人や行動ではなく、望む状況に共通するものは何か。それが次の問いになっている。
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嫌を避けても成り立ってきた人生。その些細なことを不満に感じるほど、実は幸せの中にいた。
その幸せの方には目を向けずに過ごしてきた、ということでもあると思う。
でもそれは、実はとても幸せなことだったのではないか。
その幸せを土台に、これから「何を望むか」をゆっくり見つけていけそうな気もする。
いや、ちょっとだけペースは上げたほうが良いかも。。笑