
変わらない景色を愛でながら、足もとをひと回り大きく踏み出してみる
「毎日に大きな劇的な展開なんて、そうそう転がっていない」

そんなことは、私がこれまで生きてきた年月の中で痛いほど知っています。
今日も昨日と同じように朝が来て、同じ路地を歩き、いつもの作業や仕事に向き合う。
夜になれば身体を休め、また明日への準備をします。
世間ではよく「変化を起こそう」「新しい自分に出会おう」なんて威勢のいい言葉が躍るけれど、
目の前の日常を愚直に守り抜くだけで、私たちの毎日はそれなりに忙しいと思います。
けれど、ふと思う瞬間があります。
「このままでいいのだろうか」と。
退屈というほどでもないけれど、どこか景色が色あせて見えるような、小さな停滞感。
「何かを始めたいけれど、今さら遅いんじゃないか」
「失敗したら格好悪いし、無駄な時間になってしまうかもしれない」
年齢を重ねるほど、そうやって理由をつけて安全な領域にとどまる術ばかりが上手くなっていきます。
傷つかないための知恵は身についたけれど、その代わりに胸の奥が小さくしぼんでいくような感覚。
そんなときに、自分に問いかけてみたい言葉があります。
「10年後の自分は、この迷いをどう振り返るだろう?」
今、目の前で大きく見えている不安や恥ずかしさなんて、
10年という歳月のグラデーションの中に置けば、ほんの小さな点に過ぎません。
「あのとき一歩踏み出しておけばよかった」と悔やむ10年後を迎えるくらいなら、
「まあ、やってみて失敗したけれど面白かったな」と笑っている自分でありたいと私は思います。
10年後の自分は、今の自分よりもきっと少し頑固で、でももう少し寛容な気がします。
その未来の自分が、今日のあなたの小さな決断を「よくやったよ」と頷いてくれるかどうか。
基準はそれだけで十分なのだと思います。
そしてもうひとつ、大げさな覚悟を持たずに日常を面白くする知恵があります。
「計画された小さな冒険」と「無計画な気まぐれ」を、両ポケットに忍ばせておくこと。
「冒険」なんて大層な名前をつけると肩肘が張ってしまうけれど、
要は「いつもの軌道から数センチだけ外れてみる」ということになります。
たとえば、あらかじめ「今週末はあの街の見たこともない路地を歩いてみよう」と決めておく。
カレンダーに予定として書き込んでしまうのです。
忙しさに流されそうな毎日に、小さな「楽しみの杭」を打っておく。
一方で、その場の気分で動く余白も残しておく。
歩いている途中でふと目に入った小さな植物園に吸い込まれてみたり、
いつもと違う角を曲がって、名前も知らないカフェの扉を押してみたりする。
特別な機材や、高価なチケットなんて要らない。
手元にあるスマートフォンのカメラひとつ抱えて外に出るだけでもいいと思います。
道端にひっそりと咲く名もなき花にレンズを向けたり、
夕暮れの街並みが黄金色に染まる一瞬を切り撮ったりする。
「こんなところに、こんな美しい光があったのか」
そんな小さな発見があった日、
私たちの日常は間違いなくほんの少しだけ色を取り戻していきます。
人生を大きく変えるのは、雷が落ちるようなドラマチックな出来事ではないです。
「いつもと違う道を歩いてみた」
「迷っていたけれど、えいやと小さな一歩を踏み出してみた」
そんな、誰にも気づかれないような「選択の積み重ね」だけが、
じわじわと自分の世界を広げていきます。
何かを作り、何か表現しようともがいているひとりのあなたへ。
遠くの大きな成功を目指して息を切らす必要はありません。
今週末、いつもの日常からほんの数歩だけ外に出て、まだ見ぬ景色をその目に映してみませんか。
その小さな冒険の記憶が、きっとあなたの言葉や作品に、新しい深みを与えてくれるはずだから。
