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Photo bytarohanamana

結婚と自由

    今、読んでいる島本理生さんの小説に興味深い一文があった。

    主人公は一人っ子の女性。
    相次いで両親を癌で亡くすのだが、独身の彼女は葬儀場で父方の叔母からこんな言葉をかけられる。

    「お兄ちゃんはあなたが独身だってことを最後まで心配してたの。だからね、今はそういう時代だって私が言ったの。それで好きなことをして生きていけるんだからいいんだって」

    島本理生「一撃のお姫さま」文藝春秋

    主人公はこの言葉に愕然とする。
    病気の両親の看病をして、彼らがこの世を去る最後の最後まで尽くした自分は、それでも「好きなことをして生きている」と思われていることに。

    主人公が感じた落胆とやるせなさが文面から伝わってきて、思わずページをめくる指がとまった。
    前のページに戻り、私はそのシーンを繰り返し読んだ。

    世間では独身という生き方に、よく「自由」という言葉を与える。

    私も結婚前は「好きなことして自由に生きている」と言われたことが何度かあった。
    そして、そのたびに首をかしげていた。
    当時の私は銀行員だったのだが、仕事は生きるためにお金を稼ぐ手段であって、別に好きなことでも嫌いなことでもなかったからだ。
    あのときの私には学生の彼氏がいたが、彼と恋人であることが自由だとも、また彼と結婚の話をしても自分が不自由になるのだという考えもなかった。
    無職の父、大学生の弟がいて、母と家事分担しながら家のローンや大学時代に借りた奨学金の返済のために一生懸命働いていた。
    そんな私の生活のどこに彼らは自由を感じるのか、あのときの私にはわからなかった。

    平日は仕事と家の往復、休日は彼氏と会う生活ーー子供を育てあげた親世代からみれば、私のそんな生活はやはり自由なのだろうか。気楽に見えるのだろうか。
    結婚生活を経験していない私には想像もできない不自由さが家庭をもつ人たちにはあるのかもしれない。そう考えていたのだが、結婚して20年になる今になっても、自分が結婚することで自由から不自由になったと感じたことは、やっぱり一度もないのだ。

    結婚を機に仕事は辞めたが、夫のおかげで金銭的な問題は解決したし、家事や育児を自分のペースでこなしながら、好きなことをする時間は独身のときより格段に増えた。好きな本を読み、小説を書くという趣味まで見つけた。
    「結婚は?」と口うるさく言う母から離れることができ、ちょうど心地よい距離感を彼女と保てるようになった。
    独身時代、大企業で働き経済的に自立していたにも関わらず、常に自分にまとわりついていた「自分はこれからどうなるんだろう」「自分はこれからどう生きていくんだろう」という漠然とした不安も、結婚と同時に不思議と消え失せた。

    愛する男性が私の夫として私と共に生きているという事実は、私にこのうえない安心を与えた。

    結婚して私は独身時代より、はるかに自由になったのだ。

    だから、結婚がーー夫や娘の存在が、私を不自由にしたとはどうしても思えない。
    むしろ一人でいるほうが不自由であった気がする。
    子供の時「一人で生きて行く」と誓っていた自分にがんじがらめにされていたように感じるのはどうしてなんだろう。

    確かに結婚には独身時代にはなかった責任が伴う。
    親になるなんて、その最もたることだろう。無責任に子供をもつことはできないし、夫や娘と生活をともにする以上、自分勝手なことはできない。夫や娘に自分を合わせなければならないことは当然ある。でもそれが不自由になったという表現に、私は違和感を覚えてしまう。
    「不」という漢字からネガティブなイメージを抱いてしまうからかもしれない。
    では百歩譲って、それを「不自由」と表現したとしても、その不自由は決して不幸ではない気がする。

    先日、友人から健康診断にオプション検査をつけようと思うが、どんなものを加えようかと相談された。

    「急にどうしたの?」と驚く私に彼女は真面目な顔でこう答えた。

    「ほら、旦那や子供を残してまだまだ死ねないでしょ?私、もっと長生きしなくちゃいけないもん」

    なるほど。確かに結婚は不自由かもしれない。
    でも、それはとてもありがたい不自由なのかもしれない。

     
     

    凛子

     
     
    小説と映画、そして書くことが好きです。 昔のことをどんどん忘れているようなので、古今問わず失いたくない大事な記憶を記していこうと思います。