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Photo byhaku_arakawa_619

96.9:31 それを「好き」だと思い込んだわけは(アートの話)

    え、昨日が立秋ですか?
    はい。立秋でしたよ。
    もう秋ですか。
    そうですね、暦の上では。

    いやいや、蝉はずっと鳴いているし、猛暑が続いている。
    まだまだ夏だと思いたい。

    この夏は、大相撲七月場所、パリオリンピック、甲子園と(私にとっての)夏の風物詩を見続けている。
    非常に楽しい日々である。
    スポーツ観戦は、全て家の中で完結できる趣味である。
    こう暑いと、外出するのが億劫で億劫だ。
    本当に暑すぎませんか?
    この夏は。

    離れて暮らす両親も、今年の夏は命の危険を感じたのか、子のいうことを聞き入れ、エアコンをきちんと使用している。
    一安心である。


    アートの話をしたい。
    どんな人にも「好み」というものがあると思う。
    私にももちろんある。
    昔は西洋の古典的な絵画が好きだった。
    ポストカード、メモ帳やノートの表紙などが美しい西洋絵画であると買い求めていた。
    天使などの宗教的なモチーフが特に好きだった。
    きっと当時好きだった漫画に影響されたのだと思う。
    美術館でそういった絵画を実際に目にしたのは、大学生になってからだった。
    そして、24歳の時、初めてルーヴル美術館でモナ・リザをはじめとした西洋絵画を実際に見た。
    あまりの絵の多さに圧倒された。
    勿論、絵自体の迫力にも。

    若い頃はずっと、自分は「そういう」絵が好きなんだと思っていた。
    例えば、通っていた高校の近くに現代アーティストの美術館があったのだが、ただ通り過ぎるだけで入ったこともなかった。
    ただの風景になってしまっていた。
    西洋古典絵画以外は全く眼中になかったのだ。

    しかし今はというと、その傾向が変わってきている。
    現代アートの展覧会によく行くし、現代アーティストの作品に物凄く興味を持っている。
    同時に、西洋古典絵画にももちろん惹かれるし、更には様々なアートの存在を認識して受け入れるようになった。

    何故だろう。
    ただ単に「好み」が変わったのだろうか。

    よくよく考えてみると、そうではなかった。
    私は西洋古典絵画が好きだと思っていたが、そう「思い込んで」いただけなのかもしれない。

    そのきっかけを思い出した。
    小学校6年生の頃の担任が、図画工作の授業で面白い絵の手法を教えてくれた。
    塗るというより、筆をトントンと置いて、点で全体を表現する方法である。
    私は、それが好きだったし得意だった。
    描いた絵も先生にほめてもらった。

    時は流れ中学校1年生の夏休み、風景画の宿題が出た。
    私は何も迷わず、その手法で絵を描き、夏休み明けの美術の時間に、その宿題を発表した。
    その時、私は愕然とした。
    自分のような絵を描いた生徒は、誰もいなかった。
    小学校の同級生でさえもである。
    私の描いた絵を見て、他の生徒はくすくすと笑った。
    勿論教師は「面白い」とほめてくれたのだが、私にとっては苦い思い出となった。
    他の生徒が描いた、よくある風景がが「普通」なのだと理解してしまった。
    変わった絵は「間違い」なのだと。

    そこから、美術の時間では同級生と同じような絵を描くようになった。
    また、美術史を学ぶ過程で西洋絵画が最も美しいものであり、特にその古典的な絵が認められているもの、素晴らしいものであると認識するようになった。
    それこそが、環境による刷り込みであり、「思い込み」であるとは気づかなかった。

    「好き」や「好み」ではなく、それしかないと「思い込んで」しまったのだ。

    幼い頃、母親が山下清展に連れて行ってくれた。
    とても感動した。
    山下清の絵はいわゆる西洋古典絵画ではない。
    しかし私は彼の絵、アートが好きだった。
    アートを見て感じるそういった本当の「好き」「美しい」という気持ちを、私はあの中学の授業の時に置いてきてしまったのだ。

    今、先述の通り、私は様々なアートに興味を持っているし、美術館や展覧会に多く足を運ぶようになった。
    そこに「好み」は確かにある。
    しかし「思い込み」「偏見」からはできるだけ距離を置こうとしている。
    そうすることで、本当にアートの世界が広がった。
    好きだと思える作品に出合える機会が増えた。
    アートを心から楽しんでいる自分がいる。

    日常には、そういった「思い込み」のなんと多いことか。
    改めて、そう思った。
    「普通」、「当たり前」。
    そういう言葉が嫌いだと思っていた自分自身も、他人や社会の「常識」に囚われていた。
    それは、本当に怖い事である。
    少し話が飛躍した。
    とにかくアートに関わらず、様々な「思い込み」から離れて、物事を見たい。
    そして、自分の心が感じる「好き」を大事にしていきたい。



     
     
    こんにちは。名もなき読書家のkhannahです。 2020年にnoteを始めました。 これまで、書くことで気持ちを整理してきました。書くことは私の軸です。 ずっとそうしてきたように、ここでも正直な気持ちを綴っています。

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