
上野千鶴子が“高市首相”を喜べない理由――理想を語った世代と、現実を生き抜いた世代の断層
Ⅰ 女性首相誕生の歴史的瞬間と「うれしくない」発言
戦後80年を迎え、初の女性首相が誕生するかもしれない――この瞬間を多くの国民が“時代の節目”として見つめた。
だがその一方で、女性学の第一人者・上野千鶴子氏は、SNSにこう投稿した。
「初の女性首相が誕生すると聞いてもうれしくない」
祝福よりも違和感を口にした彼女の言葉は、単なる個人感情ではなく、戦後フェミニズムが抱えてきた思想の限界を映している。
Ⅱ “女性なら誰でもよい時代は終わった”――上野千鶴子の論理構造
上野氏は「女性の利益になる政治を期待できない」と語った。
この発言の根底には、“体制を変える女性”だけを評価し、“体制を維持する女性”を敵視するという発想がある。
それは1970年代の反権力運動から受け継がれた左派的フェミニズムの論理構造であり、
国家・伝統・家族という保守的価値観を“抑圧の装置”とみなす思考法だ。
したがって、高市早苗のように「国家を支え、家族を尊重する女性」は、上野氏の思想体系では“女性解放”の文脈に入らない。
つまり上野氏は、「女性の多様性」を掲げながら、思想の多様性を否定している。
Ⅲ 裕福な出自と思想の乖離
上野氏は京都府で開業医の家庭に生まれ、経済的にも文化的にも恵まれた環境で育った。
女性の大学進学率がまだ低かった時代に京都大学へ進み、さらに大学院へ進学。
当時、大学院に進む女性は全体のわずか数%――彼女は社会の“例外層”だった。
そうした基盤の上で「家父長制」「国家権力」「資本主義の抑圧」を批判する。
その構図自体が、庶民の女性とはかけ離れた現実から生まれた理念だった。
生活のために働き、家庭を守る女性の現実を、上野氏は“構造”という言葉で説明しようとした。
Ⅳ 高市早苗の軌跡――構造を超えて生きた女性
対照的に、高市早苗氏は共働きの家庭に育った。
父・高市大休氏は設備機械メーカーのサラリーマン、母・和子氏は奈良県警勤務。
決して裕福ではない環境の中で、アルバイトをしながら地元の神戸大学で学んだ。
政治家としての地盤も看板もなく、ゼロからの出発。
両親と夫の介護を担いながら、努力と信念で政界を上り詰め、自民党総裁にまでなった。
フェミニズムが理想として描いた“自立した女性像”を、理念ではなく現実で体現した存在と言える。
上野氏の“構造批判”が観念なら、高市氏の“生き方”は実践そのものだった。
Ⅴ 思想で語る女、現実で生きる女
上野千鶴子は理想を語り、高市早苗は現実を生きた。
片や構造の上から社会を論じ、片や構造の中で社会を動かした。
数字や理念で語られる“平等”よりも、努力と責任で掴んだ“自由”の方が、どれほど現実的か。
真の男女平等とは、女性が思想のラベルで裁かれず、人として評価される社会のことだ。
高市早苗という存在は、まさにその“思想を超えた自由”を体現している。
Ⅵ 国際指標への“依存”という思考停止
私が上野千鶴子氏に感じる違和感の一つに、国際機関の数字を“絶対評価”として持ち出す癖にある。
「日本はジェンダーギャップ指数で118位」と聞けば、誰もが“遅れている”と感じる。しかしその指数は、国会議員や企業管理職の**女性比率という“形式的な平等”**を中心に測っており、政策内容や社会的満足度、家族の安定や出生率などは一切考慮されていない。
結果として、“家庭を重視する文化”や“母親としての幸福”を選んだ女性は、統計上「不平等な社会の被害者」として扱われる。
つまり、この指標を用いて日本を叩くこと自体が、多様な女性の生き方を数字で切り捨てる暴力になっているのだ。
本来フェミニズムとは、数字でなく人生を語る思想だったはずだ。
ところが上野氏の論法は、数字の上下で価値を決める“競争の物差し”に依存している。
それこそ、彼女が批判してきた「男性社会の論理」そのものではないかと感じる。
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