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四方山日蚘  べらがうず歩く浮䞖絵のキセキ  千葉垂矎術通



    2025幎6月6日金


    この日、垂川での甚事が思いのほか早く枈んだので、少し足をのばしお千葉駅ぞ。


    うふふ。
    行っおたいりたした、千葉垂矎術通


    開通30呚幎蚘念

    蔊屋重䞉郎 浮䞖絵のキセキ



    江戞前期から埌期たで、浮䞖絵の流れをひずずおり芋お歩けるような展芧䌚。



    金土日は20時たで開通しおいるのをいいこずに、倕暮れどきからいそいそず矎術通ぞ向かいたした。


    「今日が金曜日で本圓によかった〜」
    䜕床そう思ったかわかりたせん。


    ずいうのも、倧河ドラマ『べらがう』に登堎する絵垫たち──
    歌麿、写楜、勝川春章、北尟重政、北尟政挔


    その名前ず顔ず䜜品が頭に入っおいるぶん、
    展瀺宀を歩きながら「あ、いた」「ここにも」ず、いちいち反応しおしたっお時間が  



    あの時代、みんな江戞のどこかで顔を合わせおいたんだろうなず思うず、なんだか懐かしい気がしお、぀い目が现くなっおしたいたす。



    これは倧河ドラマあるある、でしょうか。
    「芋たこずある」から始たっお「知っおる」に倉わる。そしお「昔からの知り合い」みたいな気分になったりしたせんか


    今幎は『べらがう』に絡めた展芧䌚があちこちで開かれおるので、
    ドラマで顔を芚えた人たちにたた䌚える感じがしお、嬉しいんですよね。


    こういう状態で芋に行けるっお、けっこう幞せなこずだなず思いたす。


    画像
    いざ



    浮䞖絵の祖・菱川垫宣から、鳥居掟の祖・鳥居枅信や、錊絵を花開かせた鈎朚春信ずいったレゞェンドたち。

    そしお、埌期の爆発力担圓、北斎や枓斎英泉たちが構えおいる。



    そんな䞭でも、今回のお目圓おは、
    枓斎英泉の《仮宅の遊女》
    それず、勝川春章ず歌麿の肉筆画。



    最近は、埌期のにぎやかな䜜品を远いかけるこずが倚かったので、
    これぞ元犄ず感じさせる、肉筆矎人画の雅で華やかな色づかいや、
    そしお、なんお蚀うんでしょうか、
    挂うおおらかさずいうか、䌝わっおくる“品”のようなものが、逆にずおも新鮮に感じられお、すごく良かったです。

    画像
    å·Š: 菱川垫宣「矎人立姿図」 元犄期16881704
    右:宮川長春「立矎人図」正埳171116埌期享保171636前期頃

    ※画像は今回の展芧䌚にあわせお制䜜された、千葉垂矎術通の収蔵品図録より掲茉に぀いおは矎術通に確認枈みです


    着おいるものの柄や髪型にもそれぞれの時代らしさがあっお、時期で比べるずけっこう違うんですよね。そういう倉化を芋おいくのも楜しかったです。

    画像
    鶺鎒髱せきれいたが    鎎髱かもめづず
    浮䞖絵初期の䜜品は、しっぜのように埌ろのたが埌ろ髪が匵り出した髪型が倚い。



    朚版画っお、絵垫が䞋絵を描いたあず、圫垫や摺垫が仕䞊げおいくものですが、
    肉筆画は、線も色もぜんぶ絵垫ひずりの手による描きっぱなしの䞀点もの。


    絵垫の頭の䞭にある理想が、そのたんた衚珟されおいるんだなっお思いながら、
    摺りものずはたた違った芋方で楜しんでたす。


    画像
    鈎朚春信  䞉十六歌仙「玀友則」
    明和4幎1767幎頃

    そうそう、実物を芋たこずがなかった、この錊絵を芋られたのも嬉しかったな。

    色をのせずに摺る空摺りや、きめ出し、重ね摺りの技法もこの頃に生たれたようで、
    雪が積もっおいる状態が、凞凹でよくわかる。

    他にも鈎朚春信の錊絵があっお、華奢で肩幅どこいったずいうような、あの特城的な女性たちが描かれおいたした。

    画像
    å·Š: 鈎朚春信「芋立䞉倕  定家」 明和2幎1765
    右:鈎朚春信「坐鋪八景  台子倜雚」 明和3幎1766


    江戞時代の初めには「雅」ず「俗」、
    どちらかずいえば察立するようなふた぀の䟡倀芳があっお、圓時は明らかに「雅」の文化のほうが䞊䜍にあった。
    たしか、そんなようなこずが『内なる江戞』ずいう本に曞かれおいたず思いたす。

    たしかに「俗っぜさ」よりも「品のよさ」を感じる。色気ずか粋ずか、艶っぜさずは少し違う。


    俗っぜい䞖界から、距離をずったような女性像ずいいたすか。

    それが、この䞊方文化の流れを受け継ぐ矎人画の味わいなんだず思いたした。



    そしお、お目圓おだった勝川春章。
    春章の生きた江戞䞭期は「雅」ず「俗」がちょうどいい具合に共存しおいお、文化的にも䞀番成熟しおいた時代だった、なんお蚀われたす。

    べらがうでもすでに登堎しおいたすね

    画像
    北尟重政 勝川春章 蔊屋重䞉郎


    超ご近所さんの北尟重政ずは倧の仲良し。
    そんな二人の合䜜『青楌矎人合姿鏡安氞5幎 1776幎』には瀬川が本を読んでいる姿が描かれおいたのが印象的でした。


    春章は吉原「俄祭り」を蚘録した『明月䜙情』の絵も描いおいたしたね。

    この時代、圹者絵ずいえば「勝川春章」の名がよく挙がるのですが、私は圌の肉筆矎人画がずくにお気に入りです。


    ちなみに、葛食北斎は春章のもずに匟子入りしお孊んでいたりしたす。


    春章本人は、肉筆矎人画を埗意ずした宮川春氎に匟子入りしお矎人画を孊んだあず、
    圹者の顔立ちや個性を描く「䌌顔絵」スタむルを圢にしたした。

    画像
    勝川春章「東扇」 䞉代目倧谷広衛門
    安氞5幎1776〜倩明1781〜89初期



    そしおこの「䌌顔絵」の手法を「盞撲画」の䞖界でも存分に発揮したす。

    圹者ず同じく、時の人気者だった力士たち。
    その存圚感を䜙すこずなく描き出した春章の絵は、盞撲奜きの江戞っ子にも倧人気だったそうです


    そんな「䌌顔絵」スタむルは、
    のちの歌麿による矎人画や、写楜の圹者絵

    そしお倧銖絵ぞず、うたく぀ながっおいきたす。

    矎人画、圹者絵の分野でも高く評䟡されおいた春章ですが、晩幎になるずずくに肉筆画に力を入れるようになったそうです。



    肉筆画は、錊絵のように倚く出回るものではないので「矎人画の絵垫」の知名床で蚀えば歌麿に及ばないのですが、

    春章の真骚頂は肉筆画にあるっ
    ず思っお、千葉垂矎術通に行ったのです。

    排萜本『䞖女颚俗通』にも、こんな蚀葉が残っおいたす。

    春章䞀幅倀千金しゅんしょういっぷくあたいせんきん

    春宵䞀刻倀千金しゅんしょういっこくあたいせんきんのもじりで「春章が描いた䞀幅掛軞のこずですには、それだけの䟡倀がある」ずいう排萜た讃え方。ひゅヌひゅヌ


    掚しの話をするず、どうしおも長くなっおしたいたすね。すみたせん。


    そんな春章の肉筆画。

    もう、めちゃくちゃいいんですよ。


    どのあたりがどうしおず聞かれるず、困りたす。


    いろんな肉筆画を芋お「あ、これ奜きかも」ず思ったものを確認するず、だいたい春章。そんな出䌚い方をしおいたす。

    理由があっお、ずいうよりも女性たちのビゞュアルが奜み  ビゞュ掚し、ずいうものです。


    今回の展芧䌚では、そんな春章の肉筆画の前でうっずり。

    お気に入りをご玹介

    画像
    勝川春章「達磚ず矎人図」倩明期1781〜89頃

    幎季が明けるたでに10幎かかるこずから「苊界十幎」ず呌ばれた遊女ず、悟りを開くたで壁に向かっお九幎座った「面壁九幎」の達磚倧垫。
    聖ず俗、たるで正反察のふたりを䞊べた䞀枚です。



    氎墚画みたいに描かれた達磚倧垫の思いきりのよさ、これがたた圹者絵っぜくお。春章らしさがある、すごく面癜い肉筆矎人画でした。


    この癜くお矎しい肌感は、朚版画で衚珟するのは難しいだろうな。

    画像
    達磚倧垫が䜕か教えおくれおるのかな
    笑っおはいないけど、遊女がどこかおだやかに埮笑んで芋えるのも、なんだか印象的でした。



    髪型も、前期ずはガラッず倉わっおいたすね。
    灯籠鬢ずうろうびんず呌ばれる、耳ぎわの巊右を暪に匵り出した髪型が流行しお、矎人画の象城のようになっおいたす。

    画像
    勝川春章「花魁立姿図」 倩明7〜8幎1787〜88頃


    図録やデヌタで芋るだけでは叶わない、線のやわらかさや、现郚の描き蟌みたでじっくりず芳察、堪胜できたのは本圓に嬉しかったな。

    うなじたで矎しかったです。



    先に曞いた「雅」ず「俗」のバランスで蚀うなら、この時代の絵垫が描く女性たちには、
    その䞡方がちょうどよく溶け蟌んでいる気がしたす。

    画像
    å·Š:鳥居枅長「矎南芋十二候 六月 茶屋の遊宎」
    倩明4幎1784頃 錊絵

    右:北尟重政「汐汲」
    倩明期1781〜89 錊絵


    奇抜的な魅せ方ではなく、あくたでも品のある構図や線。
    でも、前より「俗っぜさ」を遠ざけすぎおない感じがしお、なんだか人間味が増しお芋えたした。


    江戞䞭期、矎人画のほかに忘れおならないのが、狂歌本。

    倩明ずいえばこの界隈を忘れられおは困りたす、みたいなずころがありたすね。

    このあたりは、ドラマできっずこれから描かれるず思うので、あたり深くは觊れたせんが──
    東京囜立博物通ではじっくり芋られなかった、ずいう方がいらしたら  千葉垂矎術通、オススメです



    そしお、蔊重に「お前を圓代䞀の絵垫にする」ず蚀われた、唐䞞。 喜倚川歌麿


    なっおたす、なっおたすずも


    それに蔊重に激掚しされた、写楜。

    鳥文斎栄之、初代歌川豊囜  寛政期も良かったですよ。



    こちらは、元祖・䌚いに行けるアむドル
    実圚したリアル矎人を䞀枚に揃えた、江戞のブロマむド

    画像
    【撮圱可 䜜品】喜倚川歌麿  寛政5幎1793
    「圓時䞉矎人 富本豊ひな 難波屋きた 高したひさ」


    巊が歌麿の早期の矎人倧銖絵ず考えられおいたす。このあたりは歌麿ずいったら で想像する構図に近いですね

    画像
    å·Š:喜倚川歌麿  寛政4〜5幎1792〜93頃
    「江戞高明矎人 朚挜町新やしき 小䌊勢屋おちゑ」

    右:喜倚川歌麿  寛政6〜7幎1794〜95頃
    「青楌䞃小町 玉屋内 花玫 せきや おりは」



    歌麿の肉筆画をご玹介


    華やかな色圩を䜿わない「玅嫌い」ずいう手法で描かれた、萜ち着いた雰囲気のこちら。

    絵垫のこだわりが詰たった色づかいや、色圩の自由床が高いのも魅力な肉筆画で、敢えおの玅嫌いですわよ。

    画像
    喜倚川歌麿「朝顔を持぀矎人図」
    寛政1789〜1801䞭期


    長襊袢の透け感から、季節は倏ですかね。

    掟手さをおさえた品のある矎しさ。
    さすが、歌麿。


    そしお、こちらはなんず墚䞀色。
    倩明期に描かれたずされる、たいぞん貎重な肉筆画で、近幎芋぀かったばかりのもの。
    なんず今回の展芧䌚が初公開

    画像
    喜倚川歌麿「祭のあず」 倩明1781〜89埌期
    アンリ・ノェノェヌル 旧蔵 特別出品

    図録別玙  解説から抜粋
    祭りの埌に酔った男性を介抱しながら歩く嚘。
    墚䞀色でありながら、情感ある描写は、のちに䞖に名を銳せる歌麿の力量があらわれおいる。



    私なんかは絵の知識なんお党然ないので、どう衚珟すればいいのかわからないんですが、
    筆に迷いがない感じずか、濃淡や匷匱だけで
    垃の重なりや質感たで出せるっお、、、

    すごい 語圙力



    次の䜜品に参りたしょう。

    どこかで芋たこずがある──ず思う方、きっず少なくないはず。
    写楜の代衚䜜のひず぀ずしお、ずおもよく知られた䜜品です。

    こんなにずっず独り占めしおおいいのず䞍安になるくらい、じっくりゆっくり堪胜できたした。

    画像
    å·Š:東掲斎写楜「垂川鰕蔵の竹村定之進」
    寛政6幎1794特別出品

    右: 東掲斎写楜「䞉代目倧谷鬌次の江戞兵衛」
    寛政6幎1794


    デビュヌ䜜で黒雲母摺りくろきらずり。こんな豪華な技法を䜿うなんお、蔊重が掚しおただけありたす。


    あれ、文字数が思いの倖 
    長くなっおすみたせん。


    ここからは駆け足で、埌期の展瀺ぞたいりたす


    埌期で目を匕いたのは、やっぱり枓斎英泉の矎人画、そしお颚景画では北斎ず歌川広重。
    玍埗のメンバヌです。


    北斎ずいえば、あの晩幎の仙人のような姿が思い浮かぶ方も倚いず思いたすが、

    実は、蔊屋重䞉郎の10歳䞋なんですよね。
    20歳ごろには、歌麿や鳥居枅長が倧掻躍しおいた“黄金期”のたっただなか。


    安氞7幎177819歳で勝川春章に匟子入りしおから、
    嘉氞2幎184990歳で亡くなるたでに、なんず3䞇点以䞊を描いたずいわれおいたす。


    展瀺されおいた『富嶜䞉十六景』のシリヌズも、倩保幎間の䜜  ぀たり、70代で描かれたもの。

    その埌も筆を手攟すこずなく、
    1849幎嘉氞2幎の正月には、肉筆画の傑䜜「富士越韍図」を描き䞊げ、
    その幎の4月18日、静かにその生涯を終えたした。


    生涯で幟床ずなく描いおきた富士山が、最埌の䜜品にもなるなんお、たるで、物語のようです。


    たさに、䞀生を描くこずに捧げた人。
    異次元の生きざたです。


    しかも、あれだけの名声がありながら、絵の道具を優先しお、暮らしはずっず質玠 いや、貧乏だったずか。
    掃き溜めのような堎所で、ひたすら筆をにぎっおいたそう。


    人生たるごず、絵垫ずしお党振り
    それがたた、魅力のひず぀なんですよね。



    そんな北斎、70代でもただただ脂の乗りたくった珟圹絵垫。その頃に手がけた、たさに代衚䜜ずいえるシリヌズもの。


    新千円札にも印刷された、こちら

       富嶜䞉十六景 神奈川沖浪裏

    画像
    【撮圱可 䜜品】
    葛食北斎「富嶜䞉十六景 神奈川沖浪裏」
    倩保2〜4幎1831〜33頃


    抌し寄せる波のうねり、氎しぶき、ゆれる抌送船。
    すべおが止たっおいるはずなのに、そのたたザブヌンず波が萜ちおくるみたい。

    氎の動きを絵に収めるだけでもすごいのに、
    収めたうえで、しかも動かしお芋せるなんお 
    もうなんだかよくわかりたせん。

    でも、北斎なら、そういうこずができおしたうんですね。


    こちらも同シリヌズ。

    画像
    葛食北斎「富嶜䞉十六景 盞州䞃里浜」
    倩保2〜4幎1831〜33頃
    珟圚の鎌倉垂にある皲村ヶ厎から盞暡湟越しに芋た颚景です。

    葛食北斎「富嶜䞉十六景 隠田の氎車」
    倩保2〜4幎1831〜33頃
    珟圚の枋谷区神宮前の原宿呚蟺です。




    この『富嶜䞉十六景』
    䜿われおいるのは、圓時「ベロ藍」ず呌ばれた舶来の絵具、プルシャンブルヌ。

    この鮮やかな青で摺られたシリヌズは、江戞で倧ヒットずなり、あたりの人気に板元が10図を远加したずか。

    なので「䞉十六景」ですが、実は党46図が珟存しおいたす。

    ちなみに、10図を远加したずいう板元は・・・




    画像
    


    氞寿堂西村屋䞎八

    の、䞉代目です笑



    それたで圹者絵や矎人画が䞻だった浮䞖絵版画の䞭で、颚景画ずいうゞャンルをしっかり確立させたのは、もちろん北斎の実力あっおのこず。


      なんですが、
    それだけじゃなくお、板元ずしおこのシリヌズをプロデュヌスした、
    䞉代目・西村屋䞎八の目の付け所も、かなり倧きかったんじゃないでしょうか。

    よっやるねぇ西村屋䞉代目



    はぁ。やっず蟿り぀きたした。

    枓斎英泉



    埌期の矎人画の名手ずいえば、英泉ず囜貞の名前がよく挙がりたすが、
    なかでも英泉の矎人画は、ずにかく勢いがありたす。

    画像
    å·Š:枓斎英泉 文政6幎1823頃
    「吉原芁事廓の四季志 六月あらい日 䞉浊屋内䞉千歳」右:枓斎英泉  文政6幎1823頃
    「吉原芁事廓の四季志 八月八さくにはか 倧文字屋誰袖」



    䞭期に倚かった、スラリずした八頭身スタむルから䞀転。

    英泉の矎人たちは、六頭身で胎長䜓型、ぜっおりずした䞋唇をグッず突き出した、受け口にも芋える個性的な顔立ちが特城。
    気颚のよい、カッコ良さ。


    ビゞュアル党䜓がかなり“匷め”なので、
    前期・䞭期・埌期ず䞊べお芋るず、埌期の矎人画はずくに、奜みがはっきり分かれそうです。


    圓時は朱色や黄色などを倚く䜿った、豪華な矎人画が䞻流。

    英泉のクセ匷スタむルが際立っおいたのは、色䜿いからも䌝わっおきたす。



    そんな英泉ですが、藍䞀色で摺る「藍摺絵あいずりえ」で、矎人画を描いた先駆けでもありたす。


    “ヒロシゲブルヌ”ずも呌ばれるベロ藍。
    じ぀は広重や北斎よりも早く、この色を浮䞖絵に取り入れたパむオニア的存圚だったりするのです。



    「藍摺絵」で怜玢するず、この䜜品がよく出おきたす。

    じゃん

    画像
    枓斎英泉「仮宅の遊女」 倩保6幎1835



    朔く、ベロ藍䞀色。
    くぅ〜っ、カッコいい

    粋だねぇ、っお蚀っおみたくなりたす。


    それに、これはたぎれもなく、英泉の矎人たち。


    クセ者の雰囲気を醞し出すのに、色の倚さなんお関係ないんですね。これが個性ずいうものなのでしょう。



    そんな英泉の個性は、海を枡っおペヌロッパぞ。

    画像
    å·Š: フィンセント・ファン・ゎッホ「タンギヌ爺さん」

    右:枓斎英泉「雲韍打掛の花魁」 撮圱可 䜜品
    文政1818〜30埌期〜倩保1830〜44前期


    ゎッホ

    ゞャポニズム


    鮮やかな色や構図に惹かれたゎッホは、英泉の花魁をもずに、タンギヌ爺さんずいう䜜品の背景にこれを描き蟌んでいたす。


    英泉の花魁。
    北斎の富士山。
    写楜の圹者絵。


    他にもたくさんの浮䞖絵が海を枡ったのでしょう。


    江戞庶民の嚯楜から、䞖界に認められる芞術ぞず倉貌するなんお、誰が想像したでしょうか。

    さすがの蔊重も、たさか写楜や歌麿の浮䞖絵が海を枡っお「Ukiyo-e」ずしお䞖界を魅了し続けおいるなんお  
    きっず、想像もしおいなかったはずです笑



    そうそう、枓斎英泉ですが、じ぀は北斎の䜏たいの近くに暮らしおいたこずもあり、北斎宅に出入りしおは、画法を独孊で孊んでいたそうです。嚘のお栄葛食応為ずも芪亀があったずか。


    江戞の町で、あちこちの絵垫たちが、案倖いろんなずころで぀ながっおいお、互いに圱響を䞎え合っおいたんですね。



    人ず人ずの぀ながりや、出䌚いの積み重ねが、
    浮䞖絵っおいうひず぀の文化を぀くっお
    いたもこうしお時代を越えお届いおいるず思うず、なんずも壮倧です。

    展芧䌚の名にある「浮䞖絵のキセキ」は、
    たさにその出䌚いず連鎖のこずかもしれたせんね。



    そのキセキの䞭に、蔊屋重䞉郎ずいう人物がいたこずを思うず、
    圌の残した圱響の倧きさは、板元印の倚さからも確かに感じられる、そんな展芧䌚でした。


    これでたた、さらに『べらがう』を芋るのが楜しくなりそうです



    なかなかお目にかかれる機䌚が少ない肉筆画も堪胜できお、うっずり、ニンマリ。


    人ず人ずの぀ながりが生んだ、浮䞖絵ずいう壮倧なキセキ。

    その軌跡、あなたもぜひたどっおみおください。



    ここたで読んでいただき、本圓にありがずうございたした。
    毎床ながらの長文、今回もお付き合い感謝です


     
     
    深川は船宿の隠居猫、おたたでございたす🐈🐟 うきうきず享楜的にすごすべき䞖の䞭、にゃんずも泰平な浮䞖のおはなし💭 ずいぶんず長く江戞の町で過ごし、人々ず喜怒哀楜を共にしおきたしたよ。あたしが芋聞した江戞のあれこれを話しおいくよ。飌い䞻「おちか」も四方山日蚘で時々登堎したす🧏🏌‍♀

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