
絵金との邂逅
ふとしたきっかけでやって来たのは、サントリー美術館。
鮮やかな色彩に目を惹かれたのが足を向けた一番の理由だ。
いつもの事ながら、企画展の閉幕が迫っていたので慌てて参上した次第。
❖ 幕末土佐の天才絵師絵金

絵金について
文化9年(1812)に高知城下・新市町(現・はりまや町)の髪結いの子として誕生したといわれる。「絵金」は「絵師の金蔵さん」の略称・愛称であり、本人が名乗ったことはない。
幼少時より画才のあった金蔵は、同じ町内の南画家や土佐藩御用絵師に絵を学んだ。
18歳のとき、土佐藩主の息女・徳姫の駕籠かきの名目で江戸にのぼり、駿河台狩野派の土佐藩御用絵師・前村洞和の下で3年間修業する。
帰郷後、土佐藩家老の御用絵師となった金蔵は、藩医であった林姓を買い取り、林洞意を名乗った。
町人からの大出世だったが、33歳の頃、林姓と御用絵師の身分をはく奪され、城下を追放されてしまう。
贋作事件に巻き込まれたという伝えもあるが、定かではない。
以降、町医者の弘瀬姓を買い取り、弘瀬柳栄となり、後には雀七と改める。
金蔵と弟子筋の手による芝居絵屏風や絵馬提灯は多数残るが、中年以降、いつどこで制作していたのか、確かな史料はない。
赤岡(現・香南市赤岡町)の叔母の家に一時滞在していたと伝えられ、赤岡の北に位置する須留田八幡宮の神祭に奉納された芝居絵屏風が代表作である。
墓碑銘によると金蔵から絵の手ほどきを受けた者は数百人いたとされる。明治9年(1876)、数え65歳で亡くなった。
今回、この企画展がなかったら出会う事もなかった「絵金」。
Wikipediaによる人生は下記のようで、早世の天才肌だったようだが早いタイミングで地元土佐に戻り、土佐藩の御用絵師となったが贋作の嫌疑をかけられてからは身分を落とされ、以降は地元の町絵師として余生を送ったとされる。
幼少より絵の才能が地域で評判となり、見込まれて16歳にして土佐から江戸に出向き、狩野派の薫香を受け20歳にして土佐藩家老桐間家の御用絵師となる。
33歳の頃、狩野探幽の贋作を描いた嫌疑を掛けられたことで職を解かれ高知城下所払いの処分とされたと言う。
狩野派からは破門を言い渡され、御用絵師として手がけた水墨画の多くが焼却された。
その後、高知城下を離れて町医者から弘瀬姓を買い取った後の足取りには不明な点が多いが、慶応年間より叔母を頼って赤岡町(現・香南市)に定住し「町絵師・金蔵」を名乗り、地元の農民や漁民に頼まれるがままに芝居絵(歌舞伎や浄瑠璃の芝居を二つ折りの屏風に描いた土佐独特の形式)や台提灯絵、絵馬、凧絵などを数多く描き「絵金」の愛称で親しまれた。
この時期の猥雑、土俗的で血みどろの芝居絵は特に人気が高い。
現在も赤岡では各家が夜に屏風絵を開陳し、蝋燭の燈でそれを眺めるという「須留田八幡宮 神祭」、「土佐赤岡絵金祭り」(毎年7月)が開催されている。
◯高知の夏祭り
現在、約10か所の神社で、屏風を絵馬台(台提灯)に飾る昔ながらの夏祭りが行われていますが、氏子の高齢化や屏風の劣化などの理由により、その数は年々減少しているそうです。
高知市朝倉の朝倉神社では、夏祭りの際に山門型の絵馬台が6台組み上げられ、拝殿に向かって整列する様子は非常に壮観です。


全くもって歌舞伎に疎く、語る術もないので高知の夏祭りの絵馬台と絵馬で雰囲気だけ味わってください。



























代表作のひとつ「伊達競阿国戯場 累」のレプリカを入口付近で発見。
実物は入場してすぐの場所に展示も撮影不可。
レプリカでもそのおどろおどろしさは健在だ。


地元では上手な筆遣いの絵師として親しまれ、夏祭りでは絵馬台がひとつの風物詩のような存在になっているようだ。
しかし、描かれた作品には、どれもどろどろした情念や怨念が語られるかの如く描かれていて、絵金の内面を見る思いがした。
若き頃、贋作呼ばわりされ身分を落とされてからは、町絵師としてしか自分の持てる技量を表すしか出来なかった悲運ともいうべきひとりの絵描きとしての屈折した不遇な人生が投影されたのであろう。
湾曲せずに順風満帆な人生を送り、鮮やかな色彩と細やかな表現力を存分に発揮して表舞台に立っていたら、全く違う作風になったのは間違いなく、それを思うと残念に思う反面、もしかしたらここまで強烈な光を放って作品を残すことが出来なかったかもしれない。
人生とは皮肉な物で、天賦の才を持ってしても不遇な状況に一旦追い込まれると元の道に戻ることは出来ないものなのだろう。
しかし、多くの芸術家がそうであるように、何故命を絶ってからとてつもなく長い時空を超えてからでないとこの様に評価されないものなのだろうか?
こう書いて、思わず田中一村の人生が折り重なって見え、思いを馳せた。
中央画壇からは相手にされず、喰わず芋などが生い茂り野鳥が飛び交う豊かな自然溢れる奄美に移り住み、遮二無二に創作に没頭したひとりの画家の人生。
片や贋作の嫌疑をかけられ、一方は中央に認められなかったという違い、そして絵金は身分を下げられたが町絵師に、一村は過去に旅した事のある自然豊かな場所へ移り住んだという違いはあるものの、創作に打ち込めるという身の落ち着き場所に辿り着いた点では酷似した生き方と言えるのではないだろうか?
🔵 酢重ダイニング六角
歌舞伎ものの和の絵画鑑賞の後だから、ここは和食とシャレこもうではないか!
酢重正之の発祥
酢重は文政十年(1827年)に信州小諸で味噌蔵として創業し、庶民の食文化を支える味噌や醤油を食卓に届けることからはじまりました。
その後、約200年の歴史の中で変化を重ね、平成17年より初代当主「重右衛門正之」の名をいただき、「酢重正之」として軽井沢で新たな歴史を刻んでいます。
店頭には、郷土食醤油豆や調理味噌、醤油、タレやだし、ドレッシング、等々が並んでいる。


まずは鑑賞疲れにご褒美を!

ランチは5種から選ぶセットメニュー。
迷った挙句、+200円で銀鱈味噌漬け焼きをチョイス。


久々ということもあるが、銀鱈の焼き加減がとても良い塩梅で皮のパリッとしている感じも絶妙で思わず、ご飯をおかわりしてしまった。
最初白米、二杯目は五穀米。
こりゃ、食べすぎ注意報です。
家内は信州和牛ステーキ。

さて、腹ごなしにもう一ヶ所寄って行くとしよう。
❒ FUJIFILM SQUARE
GFX Challenge Grant Program 2024 ~Make Your Next Great Image~



(紡がれる絆 — タジク刺繍の命脈)」
ルオ・フェイ Luo Fei(中国)
中央アジア タジク刺繍
中国ウィグル自治区はさまざまな民族が交錯する地域。
そこでのタジク刺繍の在り方についてのルポルタージュ。
異国情緒が味わえますのでYouTubeもご覧ください。
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(オレゴンのラッコが語る現実)」
グレッチェン・ケイ・スチュアート
Gretchen Kay Stuart(米国)
見た目はカワイイしかないけれど、実はオレゴンでは絶滅状態!
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美術展に中々行けてない今年の秋。
少しだけ芸術の香りを吸い込んで帰ってまいりました。
おわり