
あのイカスミパンが食べたい
2001 年 6 月 3 日: イカスミパンが食べたい から転載.
今日はもうすぐライブで, これからリハに行かねば ならんのですが, 一つ全然関係ない話を.
わしは三軒茶屋というところに住んでおりまして, 世田谷の真ん中にあるもんですから, おいしい食べ物屋さんが 軒を連ねております.歩いて 5 分以内の場所に, 行列のできる うどん屋だとか, テレビ番組で紹介された はちみつ屋だとかが ごろごろとあります.雑誌をめくっていても, テレビを ぼーっと見ていても, 知っている近所の店が良く出てきます. きっと, 雑誌や番組を作っている人も, この界隈に住んでいる からでしょう. わしは田舎者なので, 並ぶということがとにかく嫌いで, 東京の人たちの価値観が良くわからないので, そういう「有名な」 店はほとんど行きません.うどん屋さんにしても, 一度いって みたところ, まぁおいしかったのですが, これなら世田谷通りのサミット (というスーパー) から少し入ったところにある手打ちうどんの 店の方がよほどうまいし, 空いてるし, 卵つけめんがたまらんなぁ, という感じで, 結果的に「穴場」ばかりに通っております.
さて, そんなわしに「このあたりでうまいイタリアンはどこだ」と 質問されたら, 迷いなく「それは, コッパロです」と答えていたものさ. (一度も訊かれたことはないが). 国道 246 から heaven's door に向かう路地の中ほどにある店で, 寡黙な青年シェフと, ぼーっと物静かな奥さん (確かめたわけではないが) が二人でやってる店です. 渡り蟹のスパゲッティや, ペンネアラビアータは, それはうまかった. 値段も良心的で, 酒代を入れても一人 3000 円はいかなかった. 隠れた逸品が, パスタや副菜と一緒に出てくる三種類の自家製のパン. とくに, イカスミを練りこんだ黒いパンは絶品でした. 二つに割ると, ほんのりとイカスミの香りがしてくるのです. あまりのうまさに, 「このパンって, 持ち帰りできるのですか?」 と尋ねたら, 少しわけてくれたこともあります. エンゲル係数のやたら高いわし一家にとって, 味と値段と雰囲気と, 全てを満足させてくれる, すばらしいお店でした.
そう, 過去形なのですな.昨日久しぶりにいってみたら, なかった.
近所に移っただけなのかもしれないし, 改装している途中なのかも しれないけれど, それらしき表示がなかったし, 消えてしまった. シェフの旦那とお姉さん, このページを見てくれたら, 是非, 復活させてください. そして, われわれの学ぶべき教訓は, 支持するお店はためらわずに通いまくれということです. 失ったものの大きさに気づいてからでは遅い. この国では, 良いものはいつまでも残ると思っていたら, 大間違いです. 良いものほど率先して潰されるのではないかとすら思われます.
ここで, 久しぶりに魂の問題に行きついた. 生活様式という言葉がある. 何を食べて, どんな音楽を聞いて, どんなところに住んで, どう働いて, といったことを総称する言葉であるらしい. わしを含め多く皆さんは資本家ではないだろうから, 生産して, 消費して, という循環のなかで, それぞれの 生活様式というものを持っているのだろう. さて, このような経済的関係からすると (なんだか 書いていて似非マルキストみたいな気がしてきたが), 生産も, 消費も, できるだけ画一化されていた方が効率が良い. 50 人やそこらのお客さんを相手にライブをやるよりも, 10000 人の武道館でやった方が, 一晩の儲けは多いに決まっている. お客さんの側としても, 武道館のお客さんはライブハウスの 50/10000 倍しか満足していないということはないだろう. 足し合わせたお客さんの満足も多い, 儲けも多い, 何が悪いんだ, ということになる.
食生活にしても, この論法で雑誌記事が書かれテレビ番組が作成される. 本屋になって気づいたのだが, この論法は, ものすごく強いのだ. なぜなら, 同じ記事に満足してくれるお客さんが多いことは, 直接, われわれの儲けが多いということにつながるのだから. 苦労して新しい記事を創作するよりも, 既にあるものを流用した 方が経済効率が良い. 経済的に安定した循環を作るということは, とても重要なことだ. 種としての人類が増えることにつながるからだ.
ここまで書くと, ちょっと待てよ, 飛躍があるんじゃないかと 思うだろう.そう, 何かが欠けている. それは, 雑誌を買って読んだときの満足と, 実際に店で 飯を食うときの満足とが同質のものであるかどうかわからないということだ. 雑誌を読んで「おいしそうだ」と思うことと, 実際に店で 「おいしい」と思うこととは明らかに違う.そこを上手に書くのが, 腕の見せ所でもあるのだが, 行列に何十分も並んだ時点で, おいしさ半減だと思うのだがいかがだろう. この違いを, 常に気にしていなければ, 「単なる消費者」に終わってしまうの ではないか, と思うのだ.
「まずい店はマスコミで取り上げない.これは一種の競争原理が 働いているので健全なことだ」と指摘する人もいるかもしれない. しかし, それはレストラン業界の競争原理とマスコミ的競争原理とを 混同しているのではないか.実際はおいしい店でも, テレビや写真映えが しなければ取り上げられないだろうし, それはレストラン業界での 競争力とは別物だ. たまたま, 隣の店だけに, 雑誌記者が訪れ, 番組制作会社の人間が訪れた というだけで, この違いは生じるのである.
文化的であるということと, 種の拡大に貢献しているということは, この点において微妙に相克している.雑誌やなにかに書いてあるような 「自分らしいライフスタイル」を素直に受け入れている限りにおいて, あなたは種の拡大に貢献しているので安心するがいい. しかし, われわれは文化的な生き物だ. 生産するときだけではなく, 消費するときも, 文化的な生き物としての 方法があるということだ.文化の循環をつくらなければならない. その第一歩は, 「自分の好きな」イタリア料理屋に通うことであり, 小さなライブハウスに出かけることだ.
めずらしく話が収束した. さぁ, リハだ.
タイトル画像は note お勧めから.