
「心配」は、使い方次第で人を縛る言葉になる
少し前まで、私は、こんなふうに思っていました。
言葉にしてくれないものは、
ないのと同じだ、と。
今日は、その考えが変わった夜のことを書いてみようと思います。
わが家の食卓は、いつも静かでした。
父は、必要なこと以外はほとんど話さない人でした。
その日あったことを聞かれた記憶も、何かを褒められた記憶もありません。
だから私は、いつの間にかこう思い込んでいました。
父は私に、あまり関心がないのだと。
言葉にしてくれないものは、ないのと同じ。
そう決めつけて、私のほうも、父に何も話さなくなっていきました。
進路を伝えた夜
高校三年の秋、私は先生になりたいと、父に伝えました。
返ってきたのは、こんな言葉でした。
「教師は大変だぞ。体を壊す人もいる。安定した会社に入れ。お前のためを思って言ってるんだ」
その瞬間、胸の奥で何かが引っかかりました。
「お前のためを思って」と言われると、
子どもは、反論できなくなります。
心配してくれているのだと分かるから、
逆らうほうが悪いことのように思えてくるんです。
だから私は、勇気を出して言いました。
「その言葉、ずるいと思う」
言いながら、怒られるだろうな、と思っていました。
でも父は、怒らなかった。
ただ驚いた顔で、私を見ていました。
「だって、自分のためを思って言ってくれたことなら、なんでも言いなりにならなきゃいけないの?
親の言うことだからって全部その通りにしてたら、自分では何も決められない人間になっちゃう気がする」
初めて聞いた、父の話
しばらくの沈黙のあと、父はぽつりぽつりと話し始めました。
自分にも、やりたいことがあったこと。
それが写真だったこと。
「そんなもので食えるわけがない」と言われて、何も言い返せなかったこと。
「ずっと後悔していたんだと思う。
なのに気がついたら、同じ言葉をお前に向けていた」
父は、夜中に私の部屋の前を通ったとき、開いたままのノートを見たそうです。
「先生になったら、こんな授業がしたい」と、びっしり書いてあるのを。
「いい先生になると思った。だから怖かったんだ。
お前も、俺みたいに諦める日が来るんじゃないかと」
そして父は、こう言いました。
「心配という言葉を、お前を縛るためにしか使えていなかった。
ほかの言い方を、知らなかったんだ」
その瞬間、気づきました。
父は、ずっと前から、不器用なりに私を見ていてくれたのだと。
言葉にならなかっただけで、なかったわけじゃなかった。
受け取れていなかったのは、私のほうでした。
「ちゃんと言ってくれて、ありがとう」
そう言った父の声は、ぎこちなくて、少し震えていました。
きっと、父の人生のなかで、あまり使われてこなかった言葉だったのだと思います。
その夜、進路の結論は出ませんでした。
でも私たちは、夜が更けるまで、ずっと話していました。
どんな先生になりたいのか。
父が昔撮った、海の写真の話。
こんなに父と話したのは、生まれて初めてでした。
翌朝、食卓で顔を合わせると、
父は新聞に目を落としたまま、ぼそりと言いました。
「ちゃんと食べていけよ」
きっとそれが、父なりの「大切に思っている」でした。
今度は、ちゃんと受け取れました。
今、思うこと
あの夜から、私はこんなふうに考えるようになりました。
「あなたのため」という言葉は、
愛情から生まれるのに、
使い方によっては、人を縛ってしまうことがある。
そして、言葉にならない愛情は、
ないのではなく、
気づかれるのを待っているだけのことがある。
もし今、
「うちの親は、何も言ってくれない」と感じている人がいたら。
あるいは、
「どう伝えたらいいか分からない」と悩んでいる人がいたら。
それはきっと、愛情がないからじゃなくて、
言葉にする方法を、知らないだけなのかもしれません。
だから、受け取る側も、伝える側も、
少しだけ、勇気を出してみてもいいのかもしれません。
私はいつか、自分が親になったとき、
うまく言えなくても、不器用でも、
ちゃんと話をして、ちゃんと聞ける人でいたいと思っています。