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【第2章最終話】NICUでの日々⑧職場復帰と涙のNICU卒業

    ▼前回(第7話)のお話はこちら

    特別支援学校への職場復帰

    2014年4月。
    NICUでの生活が1年4か月目を迎えた頃、育休を終えて職場復帰することになった。


    当時の職場は、肢体不自由児が通う特別支援学校。


    私は、医療的ケアが必要な生徒の担当になり、車いすで生活する生徒たちとの日々が始まった。


    産休に入る前は、まさかお腹にいるわが子も重症心身障害児になるなんて、思ってもみなかった。

    それどころか、ここにいるどの子よりも重度の障害がある次女。

    「自分の子を病院に預けて、他人の子のケアをしていていいのかな…」


    仕事とはいえ、なんだか次女に申し訳ないような、どこか後ろめたいような、障害児の母としての罪悪感でいっぱいだった。

    そして、保護者の方への尊敬の念と、
    障害児ママとしての共感も、以前より強くなった。

    …と同時に、
    「この子たちは家で過ごせて、学校にも通えているんだな…」
    と思うと、それが叶えられていない次女を想い、少しだけ胸がチクッとしたりもした。


    そんな複雑な想いを抱えながらも、
    職場では一教師として他の先生方と変わりなく、膨大な量の仕事をこなしながら、フルタイムで多忙な毎日を過ごしていた。

    当時、長男は小2、長女は年中さんで
    まだまだ手のかかる時期。
    仕事と育児と面会で、毎日が精一杯だった。

    涙のNICU卒業

    そして、職場に復帰したばかりの
    4月のある日。
    我が家はもう一つ大きな転機を迎えた。



    次女が、1年4か月間お世話になったNICUをついに卒業することになったのだ。

    ただ、「卒業」といっても家に帰れるわけではなく、同じ県内の重症心身障害児専門の病院に転院が決まったのだ。


    NICUは「新生児集中治療室」であり、
    1歳を超えた次女がいつまでもNICUにいられるわけではなく、数か月前から主治医が転院の段取りを整えていてくれていた。


    症状が回復したわけではないけれど、
    気管切開や胃ろうの手術をしたことで医療的なケアがしやすくなったのだろう。

    「お兄ちゃんお姉ちゃんと、早く会わせてあげたい」

    主治医がずっとそんな風に気にかけてくれていたので、NICUと離れる寂しさを感じつつも、兄妹3人が一緒の空間で過ごせることへの期待も大きかった。

    転院の日は、仕事を休んで朝から夫と二人でNICUに挨拶に行った。

    あの壮絶な出産から1年4か月。
    週に3日面会に行き、
    手足をマッサージしたり、おむつ交換をしたり、
    5人がかりで入浴したり、爪を切ったり…


    そんなささやかな「育児」をしながら
    時には愚痴をきいてもらったりした
    思い入れのあるNICUとも、今日でお別れ。



    大好きなスタッフの皆さんから惜別の言葉をかけてもらい、なんと、スタッフ一人一人のメッセージ入りの寄せ書きまでいただいた。

    「強い子だったよ」
    「次女ちゃんに癒されていました」
    「元気で頑張ってね」
    「これからも応援しています!」


    世界一温かくて優しいメッセージの数々に、NICUでの日々を思い出して、涙が止まらなかった。


    家に帰れない次女にとって、ここが「第2の家族」と言えるくらい愛情をかけて育ててもらっていたことが、本当に有難かった。

    スタッフさんたちも、涙ぐみながら
    次女のお見送りに来てくれた。

    あの日、不安でたまらなかった私たち夫婦を支え続けてくれたのは、
    このNICUのスタッフさんたち。


    まるで、保育園に預けているかのように、親の私たちにとっても、心から安心できる居場所となっていた。

    卒業は喜ばしいけど、離れるのは辛い…

    でも、いつまでもNICUにいるわけにはいかないしね…


    いつか外に出られるようになったら、またここに顔を見せにこようね。


    こうやって転院できるまでに命を繋いでくれたことへのあふれる感謝を胸に、次女の荷物をまとめてNICUを後にした。

    転院先への搬送

    次女は主治医や担当看護師さんと一緒に救急車で搬送されることになり、
    私たちは病院の玄関で出発を見届けた。


    あの壮絶な出産の夜、ここに運ばれ、
    九死に一生を得た次女。

    初めての母子の対面は、生きて会えるかわからなかったこと。

    脳に重い障害が残ったことを告げられて、絶望したこと。

    二回の手術に葛藤したこと。

    毎週末に家族で面会に通ったこと。

    これまでのNICUでのいろんな思い出がよみがえった。

    暗く深い「心の闇」からスタートした
    NICUでの生活だったが、ほんの少しだけ、「小さな光」を見つけることができた気がしていた。

    転院先での別れ


    転院先は、一般小児病棟で、4人部屋だった。
    同部屋には、次女と同じような障害があるお子さんたちが入院していた。


    次女がベッドに寝かされ、
    新しいスタッフさんへの引継ぎが終わると、NICUの主治医と看護師さんとの別れが待っていた。

    「本当に、本当に、ありがとうございました」

    もう、何万回何億回言っても足りないくらいの感謝を伝えた。


    いつも勇気づけてくれた、大好きな女医さんと担当看護師さん。
    もう会えなくなるのが本当に寂しくて心細くて、ハグをしてお別れをした。

    その日は、夫としばらく次女のそばにいて、新しい主治医や看護師さんに
    面会のルールや次女のケアについて説明を受け、転院先を後にした。

    私たち家族にとって、待ち望んでいた「NICU卒業」という次のステップ。


    しかし、ここでの新しい生活は、思っていたよりも過酷なものになるのだった。

    ~【第2章】NICUでの日々 心の闇と小さな光」終わり~

    この物語は【第3章】に続きます。


    ここまでお読みくださりありがとうございました。
    次回は【第2章まとめ】NICUでの日々から学んだことを書きます。
    番外編①②として、「障害児ママ」としてドン底にいた私の視点から見えたものを綴っています。

    そして、この物語の最終章、【第3章】に続きます。
    よろしければ、これからもお付き合いくださるとうれしいです。

    この物語では、命の尊さ、一人の人間としての尊厳、障害のある子が生きる意味、など、私が経験してきた中で考えさせられた大切なことを、当時の実体験をもとに時系列で綴っています。

    第1章からまとめて読むには、こちらからご覧ください。

    ▼これまでのまとめマガジンはこちら



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