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【デジタル夜譚】紫苑編 #1 幽霊を見たことはないが、幽霊を見た時の反応は知っている

    オカルト大好き高学歴女子の、紫苑(しおん)さんと待ち合わせる。

    夜のカフェ。

    静かな雰囲気が心地よい。店内は広いが、人影はまばらだ。

    一番近い人でも話している声は全く聞こえない。

    入口の自動ドアが開いた。

    何人かは違う人だったが、今度は紫苑さんだった。

    紫苑さんは、撫でるように店内を見回すと、すぐに私を見つけた。
    明るい笑顔を見せながら、顔の横で小さく手を振る。

    黒のドレスシャツに、赤いシュシュ。
    紫苑さんのトレードマークだ。
    愛機ThinkPadに寄せてるんだとか。

    ThinkPad。

    黒いボディに、トラックポイントとボタンに入った赤い線が目立つ。
    紫苑さんも、ThinkPadとおそろを狙ったコーディネートでやってくる。

     *

    ――待ちました?

    「大丈夫、……全然。」

    紫苑さんが、店員に手を上げる。

    ――今日はどんな話をしてくれるんですか?

    目を輝かせて言う。

    「そうですね……。紫苑さんは幽霊を見たことありますか?」

    ――……いきなりですね。見たことはないです。
     見てみたいとは思うんですけど。

     いえ、やっぱり、本物は見たくないです……。

    「私も……見たことはありません。

    ……でも、見たときに自分がどう反応するかは知っています。」

    ――えっ、えっ、どういうことですか?

    紫苑さんが身を乗り出す。

    ――見たことがないのに、自分がどう反応するかは知っている……?

    紫苑さんの瞳の中には、店内のダウンライトの光が輝いている。

    周りの静けさが、二人の周りの空気を冷やしていく。

    ――それって、過去に「幽霊」ではないけれど、それに近い何か……常識の通じない極限状態を経験したから、ですか?

    ――あ……、ごめんなさい。分析しようとしちゃいました。ダメですね、私の浅い推測なんてどうでもいいんです。

    「少し前の話になります。

    以前勤めていた会社が、業績が良くなり、引っ越しをしました。

    渋谷という若者の街にある狭い雑居ビルから、新宿まで一駅の甲州街道沿いの綺麗なオフィスに越したのです。」

    「ゴクリ」、音をさせ紫苑さんが、固唾を飲む。

    「新しいオフィスに入っても、仕事の仕方が変わるものではなく、

    定時を終えると、夕食を摂りに会社を出る。
    夕食を摂ったら、また会社に戻り残業をする。

    そんな日々が日常となっていました。」

    紫苑さんが頷く。

    ――定時が過ぎて、一度外で夕食を済ませてから、また静まり返ったオフィスに戻る……。SEにとってそれは、ごく当たり前の「日常」の風景ですよね。

    なんとなくだろう、紫苑さんが、キーボードを叩く真似をする。
    細く綺麗な指をしている。

    「新しい街で最初にすることといえば、食事をするところを、見つけることです。

    東京のことです、都心部を少し離れたとしても食べるところには困りません。
    むしろありすぎて、今日はここで、明日はあそこでというように、

    ……それは、新しい街でのひとつの楽しみでもあります。」

    「甲州街道から、駅方向に一歩足を踏み入れると、少しずつ灯りが増え駅前には古い小さなお店などがありました。」

    紫苑さんはコーヒーカップに手を伸ばし、一口含むと、またじっとこちらを見つめた。

    「そのビルは、駅と駅のちょうど中間にありました。

     夕食につきましては、
     今日は、新宿寄りの駅の、飲食店に行こうか、
     今日は、八王子寄りの駅前の飲食店に行こうかと、

    それは、もうその時の気分で決めていました。」

    「しばらくすると、『およそ開拓し終わった』、ということになります。」

    「もちろん、すべての飲食店を制覇したわけではありません。
    会社に戻って残業するし、その日の夕食なので、飲み屋やファーストフードは、論外です。

    なぜ。……それがわかりますでしょうか?」

    ――それは……お酒が入ったら、会社に戻って仕事はできませんし、ファーストフードだと夕食になりません。

    「そうですね。

    そうやっているうちに、行先は好みのメニューをリーズナブルな価格で提供している店に偏っていきます。」

    「そうなると、やはり行ってしまった開拓エリアではなく、一切手を付けていない未開拓エリアに行ってみたいと思うものです。
    地図では何回か見たことがありました。表の甲州街道に沿うようにして。一本の道がありました。
    水道道路。……そう名付けられたその裏通りは、かつて大量の水を運んでいた道路だとのことでした。」

    「その日、私は思い立ち、オフィスビルを出て、裏通りに抜ける路地に入りました。

    東京の大きな幹線道路は、道路沿いに高いビルが立ち並びます。しかし一歩路地に入るとビルのような高い建物はなくなります。
    ……建築法に基づきそう建てられているものなのです。

    幹線道路の音は、立ち並ぶビルという名の防音壁によって遮られているのです。
    ですから、そこから一本路地に入るだけで、まるで世界のボリュームを急に絞られたみたいに静かになるのです。」

    紫苑さんは、両手を膝の上で重ねて、静かに聞いている。

    「初めて通る道でした。

     薄暗い住宅街を抜けていきます。東京と言えど人影はなく、さびしいものでした。

    いつ建てられたかもわからない、灰色のマンション、人のいない公園。

    薄暗くなった、夜道を歩きます。光を失ったモノクロームの世界。

    東京のこういった剥き出しの静寂は、冷たくて、よそよそしいものに感じられるものなのです。

    ただ、自分の足音だけが鳴り響くだけでした。」

    紫苑さんが、胸のシャツのボタンのあたりをキューと握りしめた。

    「昼間は確かに人間が生活しているはずの場所なのに、夜になると、その気配が綺麗に消えてしまう。いつ建てられたかも分からないコンクリートの塊や、遊具の影が、ただそこに『在る』だけ。

    そんな中で、自分の足音だけがコツ、コツと響いている……。」

    「こんな時には余計なことを考えるものです。
     いつか見た、怪異の本の中にあった『べとべとさん』。」

    「本で見た時には、愛らしくもコミカルなその名前から、さほど恐ろしさも ほとんど感じず、
    足音の妖怪のため、挿絵も、日本画・原画の価値は薄く、さっとながめるだけのものでした。」

    「しかし、今は違います。

     誰もいないのに、後ろから足音がついてくる。
     振り返っても誰もいない。

     また歩き出すと、また後ろからついてくる。

     うら寂しい通りでは、それが本当にいるのではないかという気持ちになるものなのです。」

    「べとべとさんは、

        『べとべとさん、先にお行き。』

    そう言うと、足音は、自分を追い越して先へ行ってしまうとのことです。

    ……もちろん、べとべとさんは、ファンタジーだということはわかっています。
    しかし、ファンタジーだと捉えているため、

        『べとべとさん、先にお行き。』

    という、おまじないに効果がないこともわかっています。

    「そうなると、依然として消えない、誰かが背後からついてくる気配。
    その言い知れぬ恐怖から逃れる術はないのです。
    ただ、ただ、何か恐ろしい何かが背後にいるのではないかという気持ちに包まれたままになるのです。」

    「紫苑さん。」

    ――あ、はい。

    「人は……人間は、暗闇に恐怖を感じるものだと言われています。なぜか御存じでしょうか。」

    ――えと、まだ動物だったころの、夜行性の捕食者に対する警戒ですよね。

    「そう、……そう言われています。

    好きそうだから、式にしてみましょう。
     
     平穏-本能的な暗闇への恐怖+おまじないによる後付けの安心=平穏

    おまじないが、恐怖というマイナス要因を打ち消していることがわかります。
    この式から、『おまじないによる後付けの安心』を、除いてみましょう。

     平穏-本能的な暗闇への恐怖 = 平穏-おまじないによる後付けの安心

    おまじないは式から消すことができても、本能を消すことは出来ません。
    平穏が、本能的な恐怖により、著しく阻害された状態になるのです。

    ですから、人の気配のない夜道を独りで歩くのは、大人になっても怖いのです。」

    紫苑さんが、ハッとした表情を見せる。

    ――……すごく、鋭い洞察です……

     現代を生きる私たちの冷徹な理性が『そんなのただのファンタジーだ』って、その救済システムを捨ててしまっている。

     おまじないという防御壁が消えた瞬間、そこに残されるのは、名前も形もない、ただの『本物の未知の恐怖』だけ……。

    ――先生、

     ……あの……、ここにいるのって私たち二人だけですよね。

    「そうですが、何か。」

    ――ごめんなさい、さっきから、もう一人だれかいるような。

    「ほう、その人は男性ですか?それとも女性ですか?」

    ――女性です。すこし上から、私たちを観ています。

    「そんな人はいません。」

       ※

    「そんな人はいません。」

    先生はそう言った。

    でも、なにか感じる。

    こんな話をしていると、寄ってくるという。

    浮かばれないさびしい魂が、

    『私にも気づいて』とか、

    心の隙間に滑り込もうと狙ってたりとか。

    自分に鳥肌が立っていることを感じる。

    ……『あれ』。

    光の届かない、天井の角。

    今、顔があるような気がした。

    ……『こっち!』

    別の角を見てみる。

    何もない。

      *

    「どうしたんですか?急にあちこちを見たりして。」

    ――いえ、何でもありません。
     さっきから、少し背中に寒気を感じているんです。

     ……空調のせいだと思います。
     続けてください。

    「わかりました。

    会社の横から入った路地は、裏通りに辿り着くまで、まっすぐな道ではありませんでした。

    いくつもの角を曲がり通り抜けていきます。

    裏通りは近い。

    少し安堵感が出てきました。

    そして、何番目かの路地を曲がったその時です。

    「『!!!!っ、◯△◻︎×※』

    目の前に現れたものは、髪を振り乱し、蝋燭の炎の灯に、顔を照らされた、およそこの世のものとは思えない、老婆のような女でした!

    叫び声が声になりません!体に電気が走る、全身硬直、顔が引きつる。」

    「紫苑さん、後ろに!」

    ――ひゃっ……!?

    紫苑さんが、悲鳴を上げて、後ろを振り向いた。

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    人影のまばらな、広いカフェの空間。静かな店内。ガラス窓に映る自分たちの影と、遠くの席のぼんやりとした照明があるだけ。

    ーー誰も、いません。

    紫苑さんが、真っ青な顔をして、片手でドレスシャツの胸元をぎゅっと押さえて、大きく息を吐き出す。

    「私は落ち着きを取り戻しながら、自分が見たものが何かを確認しました。

    奥行きの殆どない岩屋の中。

    そこに、それがいました。

    正気のない表情で、不気味に蝋燭の炎をぼぉっと眺めている。

    落ち着いて見てみても、不気味さは変わりませんでした。」

    「夕闇迫る、薄暗く、人影がない初めて通る道。
    どこまで続くか、そろそろ心細くなるころに、突然現れた異界とその住人。

    これは反則でした。

    何も言わない、うつろな目。こちらを見ることはありませんでした。
    それだけに、心臓が止まるほどの不気味さだったんです。」

    ――奥行きの、ほとんどない岩屋……ですか

    「そうです。寿命が縮んだどころではありませんでした。貴重な魂を減らしてしまったのです。

    私は、その時、人生20回分くらいは死にました。

    それがあって、自分が幽霊を見た時、いったいどうなるかを知ることになったのです。

    「仮に、もし私が高齢者だったら、小さなニュースになっていたかも知れません。」

    『今日夕方、6:00頃、渋谷区幡ヶ谷の路上で、男性が倒れているのが発見されました。
     男性に目立った外傷はなく、警察では心因性のショック死だとみています。
     明日、司法解剖が行われる予定です。
     
     次のニュースです……。』

    「それほどまでに心臓は踊っていたのです。」

    「もちろん、死んではないです。ここにいますし。

    その岩屋の中央には庚申塔があり、幽鬼のようなその女は、岩屋と庚申塔の隙間に、まるでジグゾーパズルのピースの様にはまっていたのです。

    冷静になって見れば、どうやら人間らしい。

    髪を振り乱した老婆ではなく、中年女性でした。」

    紫苑さんは「ふうぅぅぅ」、と息を吐き出すと、袖の上から腕をさすった、
    額に薄っすらと汗が浮かんでいるのが見える。

    「その後、もちろん夕食は摂りました。

    しかし、あまりの衝撃的な出来事に、会社に戻った後、インターネットを使い調べまくりました。

    鼻水が垂れるのも忘れて、マウスを光の速さで動かす勢いでした。

    庚申塔はあちこちに立っていて珍しいものではなかったが、それが何なのかは何も知らなかったのです。」

    『庚申信仰(こうしんしんこう)』

    「道教に由来するもので、
    60日に一度、三尸(さんし)の虫が足の指から抜け出して、その人間の60日間の行った悪事を天帝(閻魔大王)に告げ口しに行く。
    眠ったときに出ていくので、夜通し起きているのだといいます。」

    「足の指から抜け出す、三尸(さんし)の虫。
     それって、絶対ガンジス川のなんとかっていう寄生虫じゃん!」

    「そう思いました。 おそらくギニアワーム(メジナ虫)という線虫です。」

    「人が川の水を飲むことによって寄生虫の卵が体内に入り、メスが産卵の時期を迎えると皮膚に焼けるような痛みが出る。
    人はたまらず、川に入り患部を冷やすことにより、メスは川に戻り産卵する。

    人の体を宿主として繁殖・世代が継がれている寄生虫です、おそらく。」

    「……信仰は個人の自由なので、他人の信仰にたいして、とやかく言ったりなんら関わり合いを持つものではありません。

    ただ、信仰は進んでしまえば道徳観という秩序となり得ますが、信仰の起こりは、かなりいい加減な「設定」だと認識しています。

    寄生虫までもを神格化してしまうとは、何ともシュールな話だと感じました。」

    ――……え……寄生虫ですか?

     妖怪や神様じゃなくて?

     ……昔の人って、本当に何でも神話にしてしまうんですね……。

    「はい。恐らくそうだと思います。」

    恐怖から解放された紫苑さんが、深いため息をつく。

    「……紫苑さん、後ろ……。」

    紫苑さんが、顔を引きつらせて後ろ振り返る。

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    ――……いない。誰もいません。

    紫苑さんがこちらに向き直る。

    ――……ふふ、あははは!

    紫苑さんは突然、弾けたように笑い声を上げる。

    ――もう……本当に、勘弁してください! そんな、ジャンプスケア(脅かし)はやめてください……っ!私、20個も魂持ってませんから。

    彼女はコーヒーカップを少し乱暴にテーブルに戻す。

    ――……いない。絶対に、いない。……先生、意地悪ですね。

    紫苑さんが涙目で虚空をにらみながらつぶやく。

      *

    「まぁね、庚申待ちは、宗教的な名目で集まるものではあるものの、地域や近所の寄り合いというか、お楽しみ会であったようだよ。
     お菓子とか持ち寄ってさ、『どこそこの息子はもう所帯を持ってもいい頃だ。』、『どこそこの娘はどうだ、年頃だぞ。』なんて話をしてたんじゃないかな。

     以上になります。」

    ――素晴らしい怪談話でした。って怪談でもないか。ありがとうございました。

    「紫苑さん。」

    ――なんですか。

      :
      :
      :
      :
    「いたりして。」

    ――ひぃぃ!

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    【デジタル夜譚】紫苑編 #1 幽霊を見たことはないが、幽霊を見た時の反応は知っている  完

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    デジタル夜譚。 デジタルと人の想いの、あわいを行き来します。 ここには、現実のどこかで、ふとすれ違いそうな夜譚女子たちがいます。 読者が物語の中に立つ、体感型文学を目指しています。

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