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かぼちゃの種とワタ、何を残す?|noteに書ける経験の探し方


    かぼちゃを半分に割ると、真ん中には種とふわふわしたワタが詰まっている。下ごしらえで取り除く部分にも、料理によっては残す理由や別の使い道がある。noteに書く経験も同じだろうか。「こんな話、誰でも知っている」と外してきたものを考えてみたい。

    かぼちゃの種とワタは、全部捨てるもの?

    かぼちゃの種とワタをスプーンでかき出す。料理をする人には、見慣れた下ごしらえだと思います。僕も長く厨房にいるので、つい作業の一つとして済ませてしまう。

    炒め物や揚げ物なら、ふわふわしたワタが残ると焦げやすい。スプーンを少し立てて、種と一緒に取り除く。カットしたかぼちゃを保存するときも、種とワタは先に取っておくのが基本です。

    ところが、スーパーでカットかぼちゃを選ぶときは、むしろその種を見ることがあります。大きな種がすき間なく詰まっているかどうかは、熟し具合を見分ける目安の一つ。調理では取り除くものが、買うときには判断材料になるんですね。

    皮も同じです。煮物なら緑の皮を残すことが多いし、なめらかなポタージュなら皮をしっかりむく。ワタを汁物に活かす料理や、種を下処理して食べる方法もあります。全部を残すのが正解でも、全部捨てるのが正解でもありません。

    何を作るかで、残す場所が変わる。 料理では当たり前の判断だけれど、ここを言葉にしようとすると、案外説明することが多い。

    僕は調理師として15年、病院や福祉施設などの大量調理に関わってきました。丸ごとのかぼちゃを扱った経験もありますが、今の厨房では安全と作業効率を考えて、カット済みのものを仕入れています。

    これも、僕の中では特別な工夫ではありません。何を作るか、誰が食べるか、どれだけの量を用意するか。その日の条件に合わせて方法を選んでいるだけ。けれど、その「選んだ理由」まで話さなければ、ただの手抜きに見える人もいるかもしれない。

    実際、料理の手順を一行で書くと「種とワタを取る」で終わります。でも初めて扱う人が知りたいのは、どこまで取るのか、なぜ取るのか、取らないとどうなるのか。慣れるほど、そんな途中の判断を飛ばしてしまうんですよね。

    慣れた人ほど、初心者の迷いが見えにくくなる

    厨房でも、以前教えた野菜の切り方を、数日たつと忘れてしまうことがあります。「メモを取っておいて」とまでは言いたくない。ただ、分からないまま包丁を進めるより、いったん立ち止まって聞いてほしいと思っています。

    教えた側には当たり前でも、覚える側にはまだ当たり前じゃない。ここ、僕自身も見落としたくないところです。説明を一度聞けば次もできるはずだと考えてしまうなら、それは教える側の慣れが生んだ思い込みかもしれません。

    心理学には「自己効力感」という言葉があります。心理学者バンデューラが示したのは、「この行動を自分はできそうだ」と思える見通しのこと。自分自身の価値を高く見積もるかどうかとは、別の話です。

    もう一つ、興味深い研究があります。ハインズが1999年に発表した研究では、熟練した人ほど、初心者が作業にかかる時間を正確に予測できない傾向が示されました。慣れた人には、初めての人が立ち止まる場所が見えにくいことがある。

    もちろん、これらはnoteの売れ方や、経験にどれだけ価値があるかを証明した研究ではありません。ここから先は僕の考えです。

    自分には簡単にできることほど、「こんなの書いても仕方ない」と片づけてしまう。でも、昨日初めてその作業をした人から見れば、知りたい理由や順番がまだ残っているんじゃないでしょうか。

    noteのネタがないとき、出来事より「判断」を探してみる

    noteを書いていると、特別な実績がない自分に何が書けるんだろう、と考えることがあります。僕も料理の仕事を長く続けているからといって、毎日すごい発見があるわけじゃありません。

    ただ、「誰にでもある経験はすべて価値がある」と言い切るのも違うと思っています。日常の出来事を並べただけなら、読む人にはただの日記かもしれない。読者が知りたいことまで残せているかは、別の問題です。

    たとえば、こんな一文。

    今日はかぼちゃの下ごしらえをした。

    事実は分かる。でも、ここで話が終わってしまう。少しだけ視点を変えて、こう書いたらどうでしょう。

    かぼちゃのワタを取るとき、どこまでスプーンを入れるか迷う。炒め物なら焦げやすい部分をしっかり取り、スープなら使い方を考える。同じ作業でも、次に作る料理で判断が変わる。

    これは説明用に作った例文です。出来事は変えていません。足したのは、迷った場所と、そう判断した理由。そこに、読む人が自分の台所で試せることが生まれます。

    料理以外でも同じ。仕事で引き継ぎがうまくいかなかったなら、「失敗した」で終わらず、何が伝わらなくて、次はどこを変えたのか。noteを投稿しても読まれなかったなら、閲覧数だけでなく、書くときに何を迷って何を直したのか。

    成功談より失敗談のほうが必ず読まれる、という話ではありません。成功にも失敗にも、その間にあった判断がある。その部分を自分で先に削ってしまうのは、少し惜しい気がするんです。

    「当たり前すぎて書かなかった経験」を3つ探す

    昨日は、最初の一文を残す話をしました。今日はそこから、記事にできそうな材料を探してみます。立派なエピソードはいりません。スマホのメモで十分です。

    次の3つを、一つずつ思い出してみてください。

    1. 前は迷っていたのに、今は当たり前にできること

    2. 一度失敗して、そのあとやり方を変えたこと

    3. 安全や手間を考えて、あえてやめたこと

    例えば僕なら、かぼちゃを丸ごと扱うことだけが料理人の仕事ではない、という話が一つ。今はカット済みを選んでいる理由を書けば、単なる仕入れの報告ではなくなります。

    もう一つは、野菜の切り方を教える場面。教えたことより、なぜそこで手を止めてほしいのかを書いたほうが、僕の考えが残る気がします。

    書き出せたら、それぞれに短く三つだけ付け足します。

    出来事:
    そのとき迷ったこと:
    選んだ理由・次に変えたこと:

    三つとも埋まらなければ、一つでも大丈夫。まだ記事にはしなくていいんです。かぼちゃの種とワタを取り分けるように、今日は材料を手元に残すところまで。

    ここで終わりではありません。同じかぼちゃでも、煮物にするか炒め物にするかで切り方が変わる。noteだって、残した経験のどこを切り取るかで、読まれ方は違ってくるはず。

    明日は、今日見つけた材料を使って、記事の切り口とタイトルを考えます。


    かぼちゃ×心理学×note|7DAYS DAY2(10月20日・無料)


    参考資料

    #かぼちゃ #かぼちゃの下ごしらえ #note初心者 #noteの書き方 #記事のネタ探し #文章術 #心理学


    巻末|買ってきた経験が、誰かの判断材料になるかもしれない

    今回の話を書きながら思い出したのが、ずぼらさんの企画「逆襲」です。

    僕自身、有料noteをたくさん買ってきました。買う前に迷ったこともあれば、読みながら考えたこともある。けれど、そんな感想を誰かに伝える機会は、意外と少ないものです。

    この企画は、noteを買ってきた人が、今度は実際に読んだ人の立場から「本音の口コミ」を記事にするもの。ノウハウの中身を明かしたり、誰かを攻撃したりする企画ではありません。

    買う前に迷ったこと。読んでよかったところ。思っていたものと違ったところ。そういう声こそ、次に買う人には知りたい情報かもしれない。今日の「何を残すか」と、どこか重なる気がしています。

    買ってばかりだった時間を、ただの無駄だったと片づける前に。こんな企画があることも、知ってほしいです。


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    書いたのに、読まれない。何を直せばいいのかわからない。僕もそこから始まりました。調理師15年。noteを書き、売り、実際に購入して読んできた経験から、記事の作り方や届け方、最初の1部が売れるまでの試行錯誤を発信しています。うまくいった話だけでなく、失敗した経験も書いています。

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