メインコンテンツへスキップ
見出し画像

フィヒテがイェナを去るきっかけとなった「無神論論争」

    ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ 『ザクセン侯国の没収令によって非難された無神論的な表現についての公衆への訴え』 1799年 イエナ、ライプチヒ、テュービンゲン刊
    Fichte, Johann Gottlieb, Appellation an das Publikum ueber die durch ein Kurf. Saechs. Confiscationsrescript ihm beigemessenen atheistischen Aeusserungen. Eine Schrift, die man erst zu lesen bittet, ehe man sie confiscirt. Jena und Leipzig, bei Christian Ernst Gabler, Tuebingen: J. G. Cottaische Buchhandlung. 1799 <R18-361>
    First edition, 8vo, 116pp, modern marbled board, red morocco label, gilt in letter, library stamp on title page

    在庫有り:お問い合わせはこちらまで
    極東書店 - ホームページ

    画像
    タイトルページ

    「無神論論争」とは、1799年4月にドイツ観念論の哲学者ヨハン・ゴットリープ・フィヒテが最終的にイェナ大学を去ることになった事件のことです。この論争は、フィヒテが共同編集していた「哲学雑誌」上にて、彼の弟子の寄稿論文「宗教の概念の発展」とともに発表された論稿「神的世界統治に対する我々の信仰の根拠について」が無神論と見なされたことをきっかけにとして発生しました。

    画像
    本書に掲載されたザクセン候の「哲学雑誌」没収令

    事態を重く見たザクセン邦とヴァイマル邦の政府が同雑誌の没収命令を発し、責任追及を始めました。これに対してフィヒテが反論書を書くことになりました。まずは、一般公衆向けに書かれたのが1799年1月に発行された本書「ザクセン候国の没収令によって非難された無神論的な表現についての公衆への訴え」で、大学当局向けには1799年3月に「無神論という告発に対する法的な弁明書」が発行されました。

    画像
    本論

    両方の著書にて、自らの主張が無神論を信奉するものではないことと、当局の対応が学問の自由を脅かすものと訴え、自らの主張に賛同する同僚の支援も期待しましたが、賛同が得られず、フィヒテはイェナ大学より解雇されることとなりました。以後フィヒテは、1814年に死去するまで、プロイセン王国のベルリンを拠点に活躍することになります。

    画像
    外装。後に再製本された装丁

    参考文献:福吉勝男『フィヒテ』清水書院、1990年、55-57頁

    〒101-0061
    東京都千代田区神田三崎町2-7-10 帝都三崎町ビル
    株式会社極東書店

    *店舗・ショールームは併設しておりません。
    まずはお問い合わせくださいませ。

     
     
    1951年1月に創業。 「洋書の輸入を通じて、日本の学術研究・文化に貢献する」学術書専門書店です。 古書・稀覯書情報にとどまらず、イベント告知、また私たち極東書店を知っていただけるような記事を投稿いたします。

    あなたへのおすすめ