
田町最後の金曜日
勤めている会社の事務所が移転することになった。
今までは、田町駅・三田駅が最寄りだったが、天王洲アイルに引っ越すことになったのだ。
かれこれ田町に二十年以上通ったことになるので、それなりに思い入れも深い。
通勤経路が変わってしまうので、田町にはそう頻繁に来ることはなくなるだろう。
よく考えてみると、この場で迎える金曜日はあと二回しかない。
そのうち一回は既に予定が入っているため、チャンスは一回きりだ。
そこで同僚であり、二十年来の飲み友達であるKさんと、徹底討論を行った。
1.今のうちに行っておきたい思い出の店はないか。
2.いつか行きたいと思っていたが結局いけてない店はないか。
3.何度も通ったが最後にもう一度味わいたい店はないか。
真剣な討議を重ねた結果、三軒のお店がピックアップされた。早速今週末突撃となった。
一軒目は、居酒屋“大浜”だ。ここはKさんとKさんの元上司Tさんの行きつけのお店だ。
残念ながらTさんは数ヵ月前に事故でお亡くなりになってしまったのだ。
追悼の意味も込めて訪問することにした。
田町駅前の飲食店が数軒入っているビルの一階にあった。今時珍しく店員さんが注文を直接取りに来るスタイルのお店だ。
テレビではプロ野球の中継が映っていた。
いわゆるカウンターの大衆居酒屋ではなくテーブルに着くスタイルだが、なんとなく昭和の匂いがする。
まずは瓶ビールから始めることにした。お互いのコップにどうもどうもと言いながらビールを満たし、乾杯だ。
「いつも何を食べてたんですか」
「Tさんがあんまり食べる人ではなかったんですよ。厚揚げとか、茄子焼きとかだったかな」
「渋すぎません?せめて唐揚げとか食べませんか」
「そうですね。あとはなぜか焼きそばが名物らしく、頼んだりしましたね」
「こういう居酒屋で食べるとなぜか美味しく感じますよね」
「あっ、思い出した。飲み代はだいたいTさんが奢ってくれてたんですね。それなのに、『焼きそば一口もらっていい』なんて聞いてきたりするんですよ。結局奢ってくれるのに」
「いい思い出じゃないですか。ちゃんとTさんのこと偲んで飲めてますね」
「自分も一回だけTさんと飲んだことあるの、覚えてます?」
「ありましたっけ?」
「自分が怒られたからよく覚えてるんです。その頃は元嫁とケンカばかりで最悪だったんですね。でそれをぐちったら、『お前が選んだかみさんだろ。文句言うな』って真剣に怒られましたよ。Tさんとは仲良くなりたかったのに失敗しましたね。まあ結局離婚したんですけどね」
「Tさんは愛妻家だったからよけいですね」
とお互いにTさんのことを思いながら、杯を進めた。
「ずっとTさんには奢ってもらってばかりだったんで、一度ぐらいちょっといいお店ででも御馳走したかったんですよ。まさか事故なんて、残念です」とKさんはこちらを見ずに呟いた。
「じゃあ、次いきましょうか」と自分から席を立った。
二軒目は、“がんぎ”にした。
ここは、昼時間は立ち食いそばのお店だ。新潟のへぎそばを出しており、とても風味が良い。自分は気に入っていてよく昼食に来ていたが、夜時間は立ち飲みスタイルになるとチラシが貼ってあった。
新潟の日本酒を中心に、それに合う肴が出される。
一度、ソロ飲みで訪れたことがあるが、とても良い印象だった。
そこで、日本酒好きのKさんを是非連れてきたかったのだ。
店に入ると、数人のお客さんがカウンターに向かいながらコップのお酒を飲んでいた。
「日本酒の立ち飲みって珍しいですよね。飲み過ぎないからいいかもですね」と自分から声をかける。
「そうですね。雰囲気もいいですね」とKさん。
お酒のメニューを見ると、全て新潟の地酒だった。新潟への偏愛を感じる。
値段も明確で、750円、680円、580円となっており、それぞれ4~5種類の地酒がラインナップされている。そこから好みのお酒を選ぶのだ。
「この『魚沼で候』って新潟に旅行に行ったときに飲んだんですが、旨かったですよ」と自分が紹介すると「じゃあ飲んでみます」とKさんのお酒は決まった。
自分は、清泉にした。確か「夏子の酒」のモデルになった酒蔵のお酒だ。
注文すると、冷蔵庫で冷やされた一升瓶からコップに注がれる。
量も多い、しっかり一合あるかもしれない。
では「乾杯」と手で真似だけして、カウンターに置かれたグラスの方に口を運び、一口すする。
スーっと喉を通っていく。軽く酔っていることもあり、いくらでも飲めそうな気がしてくる。
「さあ、このお酒に合う肴はなんにしましょう」とホワイトボードに手書きされたおすすめをくまなく眺めると、あなご祭りと書かれたセットがあることを発見した。
680円までの日本酒一杯とセットで1,680円とかなりお得になる。
あなごは、天ぷら・焼き・煮から選べる。
さらにきのこの煮物までついてくる。
「じゃあ、自分の日本酒ならこのセット頼めるんで、これにしましょう。
あなごはどうしますか」とKさんに聞くと、迷いなく「天ぷらで」との返事だった。
「あと、ふぐのから揚げと鴨の黒胡椒焼きもいきましょう」とKさんはノリノリだ。
「このお酒に絶対合いますよ。値段も手ごろだし」と上気した様子に見えた。
やがて肴がそろうと、カウンターの上は壮観な眺めだ。
これ以上地酒に合うメニューは無いんじゃないかという気になってくる。
特にあなごの天ぷらは揚げたての熱々で、塩で食べるとさっぱりしつつも旨味が濃かった。冷酒とのマリアージュに酔う。
「こんないい店だったんですね。早く来ればよかった」とKさんからお褒めの言葉をいただいた。
もう一杯ずつ日本酒をおかわりして、肴を堪能した。
目の前のチラシにがんぎ祭り復活と書いてあったので、「これなんでしょうね」と話していたら隣で一人で飲んでいたおじさんが「その、あなご祭りのことですよ」と教えてくれた。
時々によりメニューは変わるが、さんま祭りとかあるようで、それを総じてがんぎ祭りと呼ぶようだ。
「そうなんですね、確かにお得だし頼めてよかったです」と答えると
「自分もお酒好きで、ここわざわざ探して来てみたんです」
「そうですか。肴も旨いし、いいですよね。〆のそばまでいってますね」
「そうなんです。へぎそばもいいです」
と、酒飲み同士の会話あるあるを楽しむことが出来た。
我々もだいぶ酔いが回ってきた。そろそろ三軒目に向かうタイミングのようだ。
三軒目は“熱烈中華食堂日高屋”だ。こんな正式名称だと知らなかった。
何の気兼ねもなく安く飲めるので、なんだかんだでしょっちゅう日高屋飲みをしていた。
そこでいつも通りに「最後に行っとかないと」となったのだ。
まずは、改めて生ビールで仕切り直しだ。
「結局落ち着くんですよね」
「ホントにねえ」
「じゃあ、汁なしラーメンと餃子でいいですね。〆といいつつ飲んじゃうかもしれませんが」
「それでいきましょう」と第三ラウンドに突入した。
「天王洲アイルには日高屋ないですよね」
「この前いったとき見かけませんでしたよね」
ってことは、Kさんとの会社帰りの日高屋飲みは今日が最後になるかもしれない。
そう思うと、この時間が貴重なものに感じてきた。
が、二人とも既に大分酔っている状態だ。
それにも関わらず「とりあえずおかわりですね。じゃあ自分はハイボールを濃いめで」と回っていない頭で更に酔いを強化するようなものを頼んでいる。
「汁なしラーメン初めて食べたのもこの店でしたね」Kさんがしみじみいう。
「日高屋唯一の欠点は、広い店内なのにトイレが一個しかないことだ」と自分は答えている。
全く会話がかみ合わなくなってきたので、そろそろ引き上げ時だ。
毎回こんな感じで終電ぎりぎりまで飲んで、「無事に帰れるといいですね」といって別れる。
田町最後かもしれないのに、完璧なルーティンでの締めくくりとなった。
(了)