
【短編日記】No.1 〜知らない振りを覚えること〜
S.62. 8/31(月)
曇りです。学校が休みでした。夏の終りを機に、日記を書き初めます。
ぐだぐだと、いつものように本を読んで、昼過ぎに外へ出ました。
行き先はとくには考えていません。ただ、電車で遠くへ行きたくなりました。
駅へ向かう途中、工事現場に出会いました。
小さな民家があった所です。そこに住んでいた人はたしか、一人暮らしのおばあちゃんだったと思います。よく杖をついて、散歩しているのを見かけました。父が教えてくれた話だと、そのおばあちゃんの夫さんは戦争で亡くなり、それからは子供もおらず一人その家で過ごしていたそうです。そのおばあちゃんが住んでいた家は、今、解体されて、誰かの住む新しい家が建てられようとしています。
私はその建設の音を聞いて、とても悲しくなりました。
思えば、家が壊される音や、そしてまた建てられる音、それらは町ぢゅうに響きわたっていますが、それは同時に色々な生活が忘れられてゆく音のように思います。
そこにかつてあった生活の音、住んでいた人たちの息づかい、会話、それらすべてが、建設の音が一つ、また一つ起こるたびに、かき消され、潰えて、埋められて、やがて忘れられる。
私には、それがむしろ忘れるように言い聞かせているようにすら聞こえてきて、居ても立ってもいられず、足早に立ち去ってしまいました。
しかし、それがこの音にとって成功なんです。
私もまた忘れる側に立ってしまったからです。
* * *
京王線に乗って、ぼうっと車窓をながめ、たまに手許の詩集を読んで、明大前駅で降りてから、またふらふらと歩き廻ることにしました。
東松原駅まで気付けば来ていました。
喫茶店に入って、今、これを書いています。隣のサラリーマンから、煙草の煙がながれてきて、けむくて、何だか落ちつきません。
尾形亀之助の詩にちょうど、「私が煙草を吸ってゐると少女はけむいと云ひます」という、短いものを見つけました。
* * *
他にもたくさん書きたいことはあるけれど、今日はもう帰って、明日の学校に備えます。あと、夕飯の食材も買わないと……

はじめまして、ろかと言います。
今回から日記形式の長篇小説を書いてみたいと思います。
自分のために詩や日記を書き続けていた内気な少女が、他者に言葉を伝えることの大切さに気づいてゆく話です。
舞台は昭和62年。1987年です。なぜその時代なのかというと、単純にレトロなものが好きだからというのと、わたしの母が持っていた中原中也の詩集の刊行日がその年だったからです。
あくまでこれは日記ですので、日付通りに読み進めずともけっこうです。読み飛ばしたり、おもしろそうな副題だけ読んでみたりと、ほんとうの日記を読み返すみたいにしてお楽しみください。
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