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#369[エッセイ]真実の鎧と、諸刃の剣ー思考のかけら

    はじめは愛されないことが、やがて分からないことが、そして、分かったことが苦しい──満ち足りた夜に、小さなあかりを灯して……。


    こんばんは、久藤あかりです。今日もエッセイです。
    言いたいことと違う。何か別の言い方がありそうで見つからないけれど、ひとまずこのまま出してみます。


    「理解」の残酷さ

    それは、無意識の痛み──人を「理解」し始めると、
    意識的な痛みへと、歩んでいきます。

    「無知」のときは、知らなかったがゆえの心の痛みを持ち、理解しすぎてしまうことも、心の痛みをどこへやってよいか、分からなくさせてしまいます。

    そして、その痛みに寄り添う言葉が、ほとんど存在しないことも、次第に理解し、苦しむようになります。

    この苦しみは、ヒトの「嘘」という構造を、
    あまりにも完璧に理解しすぎることに始まります。


    「理解」は皮肉なことに、相手の嘘を見抜きます。
    それは、言葉だけでなく、人生そのものを嘘で固めてきたこと、自分自身と向き合うことを拒否し、常に他者や外部のせいにしてきた生き方に、見えること。

    心のしくみを「理解」すればするほど、その人がいかに虚偽に満ちていたかが明確になり、その虚偽が、あなたを深く傷つけたという真実が、より鮮明に浮き彫りになるからです。

    まるで、暗い部屋の真ん中に、自分が負った傷を、
    ランプで照らすように、「傷の正体」を知ることはできますが、同時に、その傷がどれほど深いものだったかを、直視せざるを得なくなります。

    このときこそ、自分自身を棚に上げてしまう恐れ、
    自分の目が曇りやすいことに注意を祓うことが、自分を知り、見つめ直す、絶好のチャンスなのです。


    自分自身で創造した「真実の鎧」

    私は満ち足りている。そう口に出すしかない夜、
    「この苦しみを誰も知らない」と叫びたい日。

    静かな部屋でひとりになると、胸の奥がざわついたときは、この「満ち足りている」という言葉は、本当に私の心の声なのか、それとも、まだ癒えていない傷から目を逸らすための、おまじないにも思えます。


    この言葉を繰り返して、心の痛みから自分を守りながら、長い苦しみの旅の果てに、ようやく辿り着ける安息のひととき。

    これは、現実から目を背けるための言葉と紙一重なのです。


    愛する人との間に築き上げた「真実と愛」

    誰にも奪うことのできない豊かさが、心の痛みを、それでもなお「満ち足りている」と感じさせます。

    こうした強さは、誰かが与えてくれるものではありません。

    私たちが、長い苦しみの旅路の果てに、自分自身の力で見つけ出した、最も価値のある「知恵」です。


    鏡に映す姿を変える勇気と、はじめの一歩

    映りたい自分になって、古い姿を消し去ること。

    例えば、洗面台の歯ブラシひとつから捨てて、鏡をお店のように磨きあげてみる、8年前の実話です。

    そして、心の平穏を取り戻すこと。


    あなたが、あなたの言葉で、あなたの「満ち足りた」人生を、これからも歩み続けることを願っています。

    わからないこと、知らないことは限りなくあります。

    私も、あなたと共に歩みつづけます。


    <了, 約1,300 字>


    あとがき

    こんにちは、今日は下書きです。
    noteを始めた頃に考えていた、思考の断片を寄せ集めて、なんとかまとまりを持たせてみました。

    各段落を、それぞれ独立した読み物にする方が、読み手の方には届くと思います。論理的な構成に直す前の、散文詩のような、本当に思考のかけらです。

    鏡がきれいになると、思わずにっこりです。
    よい連休をお過ごしくださいね。


    投稿498にちめ、ありがとう!
    2024年5月に、意図的に1日お休みしました
    そこから、500日近く…!
    おかげさまでなんとか続いています


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    本日で、投稿 1000本目!
    ありがとうございます😊
    (下書きに戻した記事と、つぶやきが1本ずつ)



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