
待つ時間【シロクマ文芸部】
待つ時間ばかりのような気がする、生きるということは。電車を待つ、バスを待つ、晴れてくるのを待つ、人を待つ、メールを待つ、電話を待つ、病院で名前を呼ばれるのを待つ、回復を待つ・・・
父とふたりで病院巡り、診察科巡りをした日々を思い出す。両足がパンパンにむくんで痛み、歩けなくなった父を近所の病院へ連れていくと「なにか大きな病気が隠れているかもしれない、大きい病院に行くように」と紹介状を持たされ、この地域一番の病院へ行った。大きい病院ほど待つ人も大勢で、世のなかに具合の悪い人がこんなに多いのか、と驚いた。時間予約をして行ったのに、総合待合、循環器科、内科、整形外科それぞれたっぷり待ち、検査予約で待ち、会計で待ち、帰りのタクシーを待ち・・・多彩な「待つ時間」を経験し、忍耐力を試されているようだった。
「待つ」という字は「行人偏に寺」。行人偏とはどんな意味?と調べてみると
「彳亍(てきちょく)は、ア:同じ所を何回も行ったり戻ったりする、
イ:あちこち歩き回るの意味」 OK辞典より
だそうだ。なるほど、寺を行ったり戻ったり・・・これこそ修行ではないか!
父には認知症もあったため、「物忘れ外来」に行った日も、一日がかりで検査を受けた。どんな検査だって?いろいろあり過ぎて、読まれた皆さんがイライラして終わりまで読むのが待てなくなるのが心配なので詳しく書くことは省略する。
「待つ」ことから解放された父は、今頃母とのんびりあの世巡りを楽しんでいることだろう・・・「こっちへおいでよ、待ってるよ」って?
「もうちょっとこっちにいます。いいことが起こるかもしれないし、
もうちょっと待ってからね」
おわり
小牧さんの企画に参加させてください。
小牧さんお手間をおかけしますがよろしくお願いいたします。