
中国のキャンパスライフと夜間サイクリングの流行を考える
中国河南省で、深夜のサイクリングが流行している。SNSの投稿をきっかけに、河南省の鄭州市から、約50キロ離れた開封市まで一晩かけて移動することが流行、当局は規制に乗り出したという。
台湾メディア「端伝媒」に詳しい解説がある。
報道を総合すると、当初は夜間サイクリング自体が問題視されたわけではないらしい。しかし、大量の自転車が現れ交通をふさいだこと、野宿する参加者がいること、国旗をかかげ国歌を歌うなどの政治的主張が現れる……に及び、当局は規制に乗り出したという。
その背景について、メディアでは様々な分析を述べている。コロナ禍の行動制限の反動である、若者の盲目的な行動である……等。
いずれにせよ、中国の大学でなにか潮目が変わった感じがする。
各方面から問題視され禁じられるにいたったが、サイクリング自体は違法ではない。個々の学生にとってみれば、深夜に学生寮を抜け出すというささやかな逸脱をしたにすぎない。しかし、コロナ禍以前の中国の大学では、そうしたささやかな逸脱さえも稀だったのである。
基本的には全寮制で4-8人が相部屋で集団生活をする、教室使用に許可が下りにくいなどの理由で課外活動は低調、厳しい競争社会を勝ち抜くため資格取得やインターンに力を入れる……
それでも、コロナ禍以前は、学生生活が「不自由」だと認識されていたわけではない。運動部がいないので学内のグラウンドやテニスコートは誰でも使用できたし、全寮制なのでいつもそばに人がおり、何より大学生は周囲から尊敬され将来の成功もある程度思い描くことができる状況で、かえって中国は「自由」だ!という主張さえ行われていたのである。
コロナ禍の末期に行われた白紙運動のように明らかな政治的主張を掲げる活動ならともかく、中国人学生が日常のキャンパスライフの中で政府や大学当局から見ての逸脱行為を行うことは稀だった。特に、直接的な交友関係を越えた大集団での逸脱行動は目にしなかった。
中国の学生は政権や社会に対しては意見を持っていたとしても、自身を直接管理する家族や教員、学校に対しては、彼らの意図を汲み取り、期待に沿うようなふるまいを心掛けていたのではないかと思う。
しかし、夜間サイクリングはそうではない。明白な政治的主張ではない、本格的な反抗ではない、しかし学生はもはや年長者や権威の思うままに意図を汲み取ってくれる存在ではなく、不可解、制御不可能な存在に変わりつつあるのかもしれない。
国歌斉唱など政治的アピールについても、数万人の参加者がどれほど同調したのだろう。
夜間サイクリング自体は規制されたが、今後その風向きが、より先鋭な社会的行動に変わるのか、それとも上の世代と下の世代の不和に終わるのかは、いまだわからない。
何かが変わりつつある。
このニュースを見て久々に中国に行きたいと思った。
若者のエネルギーが野放図なように見えようとも、彼らは少なくとも従来の社会の閉塞感を意識し、社会の秩序に違和感を抱いてる。それはどこに向かうのか。
それにしても、なぜ鄭州-開封なのだろう。出発地の「鄭州 Zheng zhou」は「政」zhengと同音の「鄭」、目的地の「開封 Kai feng」は封を開けると読める。
ロックダウン(都市封鎖)は中国語で「封城 feng cheng」、ロックダウン解除は「解封 jie feng」であった。開封は文字通りの「封鎖解除」のイメージをもつ。やはり、潜在的には封鎖からの自由を求める声なのではないか。
もはあやまり意識されないが、中国で都市をまたぐ公共交通機関のチケットを買う場合には身分証(外国人の場合にはパスポート)の提示が必要である。人の移動は国家によって記録されている。鉄道は記名制、駅には保安検査があるので、旅行に行くにも何かものものしい装置の存在を意識せねばならない。自転車旅行は相対的に見て、そうした管理の網を意識させない旅のスタイルなのだろう。