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ベストセラーとロングセラー。

    あれー? と思いながら読んでいる。

    何年かぶりの『カラマーゾフの兄弟』である。40歳くらいまでは、ドストエフスキーの五大長編を毎年一冊ずつ読み返す、という習慣を続けていた。まあ実際には『未成年』を飛ばして『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』の四冊でそれをやることが多かったのだけど、ともあれ続けていた。しかし、この十年ほどのあいだ、その習慣が止まっている。思いつきのように『罪と罰』あたりを読みかえしては、上巻も読み終わらないうちに挫折することがほとんどだった。

    で、ソーシャルメディアから離れるためもあって、また中公文庫から江川卓えがわたくさん訳の『カラマーゾフの兄弟』が復刊されたこともあって、ひさしぶりにカラマーゾフを読みはじめたのである。

    さすがに何度も読んでいるので、登場人物はすぐに思い出す。ミウーソフとかラキーチンとか、ほとんど忘れかけていた周辺人物についても「ああ、そういえばミウーソフっていたよなあ」と懐かしく思い出す。その後の物語の展開もぼんやりとは憶えているし、ここからどんどんおもしろくなることを知っている(今回の中公文庫版は全四冊に分かれており、ぼくはまだ「1」を読んでいるところ)。

    しかし、率直に言っていまのところ、あまりおもしろくない。

    最初は翻訳のせいかな、と思ったのだけど、読み慣れた原卓也訳の新潮文庫版と読み比べてみても、そこまで翻訳に差があるようには思えず、注釈の充実ぶりでいえば今回のほうがずっとよい。でも、もともとそういう作家だとわかっていたものの地の文がいかにも冗長で説明っぽく、なかなかエンジンがかかってくれない。うーん、こんなのだったっけ。

    もっとも、この先ぐんぐんおもしろくなることは知っているし、離脱しやすいポイント(ゾシマ長老の一代記)もわかっているし、なんといっても江川版のカラマーゾフを読むのははじめてなので、最後まで読むつもりだ。来週あたりには寝る間を惜しんで読みふけっているのだろう。


    すべての本にはそれぞれに「読むべきタイミング」がある。

    十代のうちに読んでこそ感激できる本。年齢を重ねてから読みかえしたときにその真価を理解する本。落ち込んだときに読むべき本、元気のあるときに読んだほうがいい本。どんなタイミングであろうと読まなくていい本を含めて、いろいろある。

    で、いわゆるベストセラーとロングセラー(古典)を分けているのは、その「読むべきタイミング」が時代に依っているのか、それとも個人に依っているのか、というところではなかろうか。

    つまり(刊行から半年や一年で売れまくる)ベストセラーの「読むべきタイミング」は、誰にとっても「いま」であり、「今年」である。読者個人の置かれた環境など関係なしに「いま」読んでこそ、そのおもしろさを満喫することができる。逆に言うと、いまおもしろく読まれているベストセラーが十年後や二十年後の読者にも同じおもしろさを保てているかどうかは、かなり疑わしい。

    対して古典やロングセラーの「読むべきタイミング」は、まったく個人による。いま読まなくてもいいし、刊行から何十年というタイミングで読んだからといって遅すぎることはない。タイミングを決める主語は、いつも「私」なのだ。

    簡単にいえば「時代の悩み」に向き合うのか、「個人の悩み」に向き合うのか、ということなんだけど、行き過ぎたマーケティング思考は前者の本ばかりをつくらせるところがある。もちろん「いま」を無視してつくるのはよくないけれど、「いま」ばかりを見てつくられた本というのもつまらない。数十年前と違って、「いま」と対峙するだけなら本よりも優れたメディアはたくさんあるはずだ。YouTubeでもポッドキャストでも。


    まあ、そんな感じで「いまはカラマーゾフのタイミングじゃなかったのかなあ」と思いつつ、むしろそういうときにこそあの荒波に飛び込んで、スマホの存在なんてすっかり忘れる夜を過ごしたいと思っている。


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    batons代表。最新刊『集団浅慮』。その他『嫌われる勇気』シリーズ、『さみしい夜にはペンを持て』シリーズ、『取材・執筆・推敲』など累計2200万部超。古賀ならびにbatonsへのお仕事ご相談は→ http://www.batons.jp

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