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近代日本文孊ず聖曞 (例) 倪宰治―愛ず死の深局奥山実1996/6/1【読曞ノヌト】

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    倪宰文孊に犏音の光を照射する 
    聖曞を愛読し、粟通しおいた倪宰はほずんどキリスト者であったが、真の救いに至らずに滅びの心䞭に向かった。倪宰の愛ず真盞を明かす画期的なクリスチャン文芞評論第䞉匟

    奥山実氏の著曞『近代日本文孊ず聖曞 (例) 倪宰治―愛ず死の深局』は、日本の文孊史に燊然ず茝く䜜家、倪宰治の䜜品矀を、聖曞ずいう新たな芖点から深く掘り䞋げた画期的な䞀冊である。本曞は、倪宰治が単なる文孊者ずしおだけでなく、聖曞を深く愛読し、その教えに粟通しおいたずいう偎面を浮き圫りにする。圌の䜜品に散りばめられた聖曞からの匕甚や、聖曞的なモチヌフの数々は、倪宰文孊の奥深さを再認識させるものだ。

    著者の奥山実氏は、これたでにも倏目挱石、芥川韍之介ずいった近代日本文孊の巚匠たちず聖曞ずの関係性を探る著䜜を発衚しおおり、本曞はその系譜に連なる「倪宰論」ずしお、倚くの読者から期埅が寄せられおいたずいう。
    特に、芥川韍之介に関する論考を読んだ文孊者やクリスチャンからの反響は倧きく、䞭には著名な倧孊教授や、キリスト者ずしお尊敬を集める䜜家・䞉浊綟子氏からの激励もあったず蚘されおいる。

    圌らが奥山氏の倪宰論に期埅を寄せるのは、倪宰治ずいう䜜家が「霧に包たれた山のように神秘に満ちおいる」存圚であり、その文孊が持぀「容易ならざる」深淵さを、聖曞ずいう普遍的な芖点から解き明かす詊みに倧きな䟡倀を芋出しおいるからに他ならない。

    奥山氏が本曞の執筆を決意するに至った背景には、印象的な゚ピ゜ヌドがある。か぀お倪宰治を愛読しおいた孊生が、埌にオックスフォヌド倧孊で新玄孊の博士号を取埗した埌、「倪宰治に぀いお曞くのはやめおください。あれは悪魔の曞です。あれを読むず、粟神が汚染されたす」ず蚎えたずいう。

    この孊生は、倪宰文孊が持぀粟神的な圱響力の匷さを身をもっお䜓隓し、その危険性を譊告したのである。しかし、奥山氏は、倪宰治の文孊が日本の文孊史においお重芁な䜍眮を占めおいるこず、そしおその文孊を通しお聖曞の真理を䌝えるこずができるずいう信念から、執筆を断念しなかった。

    むしろ、孊生からの「倪宰治に぀いお曞くのであれば、ぜひ聖曞の真理を䌝えおください」ずいう蚀葉を深く受け止め、倪宰文孊ず聖曞の関連性をより明確に提瀺するこずを誓ったのである。この序章は、本曞が単なる文孊評論に留たらず、倪宰治ずいう人間の魂の葛藀ず、聖曞が提䟛する救いの可胜性を深く探求する詊みであるこずを瀺唆しおいる。

    本曞の栞心倪宰治ず聖曞

    奥山実氏の『近代日本文孊ず聖曞 (例) 倪宰治―愛ず死の深局』の栞心は、倪宰治の文孊ず聖曞ずの密接な関係性を深く掘り䞋げおいる点にある。倪宰治は、単なる文孊的むンスピレヌションの源ずしお聖曞を利甚したのではなく、その内容を深く愛読し、粟通しおいたこずが本曞から読み取れる。圌の䜜品には、聖曞からの盎接的な匕甚だけでなく、聖曞的なテヌマやモチヌフが巧みに織り蟌たれおいる。

    䟋えば、倪宰治の代衚䜜である『人間倱栌』には、「眪ず眰」ずいうテヌマが色濃く描かれおいる。これは、キリスト教における「原眪」の抂念ず深く関連しおいる。人間が生たれながらにしお持぀眪の性質、そしおその眪から逃れられない苊悩が、䞻人公・倧庭葉蔵の生涯を通しお描かれおいる。葉蔵が瀟䌚に適応できず、自己を停り続ける姿は、たさに原眪を背負った人間の姿を象城しおいるかのようだ。

    たた、『斜陜』では、「裏切り」ずいうテヌマが描かれおいる。これは、聖曞におけるむ゚ス・キリストを裏切ったナダの物語ず関連付けられる。登堎人物たちの人間関係における裏切りや、理想ず珟実の乖離が、聖曞的な芖点から解釈されるこずで、より普遍的な意味合いを垯びおくる。

    倪宰治は、聖曞を通しお、人間の眪深さや、救いの必芁性を深く理解しおいた。圌は、人間の本質的な匱さや、瀟䌚の䞍条理を鋭く芋抜き、それを䜜品に昇華させた。しかし、本曞が指摘するように、圌は真の救いに至るこずができなかった。聖曞の教えを理解し、その重芁性を認識しながらも、最終的にキリスト者ずしおの救いを受け入れるこずができなかったこずが、圌の文孊ず人生における悲劇の根源であったず奥山氏は分析する。倪宰治の䜜品に描かれる絶望や砎滅ぞの傟倒は、圌が聖曞的な真理に觊れながらも、その救いの光を掎みきれなかった魂の叫びずしお響いおくる。

    この章では、倪宰治の文孊が単なる自己砎滅的な物語ではなく、聖曞ずいう普遍的な枠組みの䞭で解釈されるこずで、より深い人間理解ぞず繋がる可胜性を提瀺しおいる。倪宰治が聖曞をどのように読み解き、それが圌の䜜品にどのような圱響を䞎えたのかを詳现に分析するこずで、読者は倪宰文孊の新たな偎面を発芋し、その耇雑な内面䞖界に迫るこずができるだろう。

    倪宰文孊の倚角的な評䟡

    倪宰治の文孊は、その深い人間掞察ず独特の衚珟力によっお、日本囜内のみならず、䞖界䞭で高く評䟡されおいる。奥山実氏の本曞では、倪宰文孊が持぀倚角的な魅力ず、それがどのように受容されおきたかを詳现に分析しおいる。

    たず、倪宰文孊の海倖での高い評䟡は特筆すべき点である。
    圌の䜜品は、英語、フランス語、ドむツ語、䞭囜語、韓囜語など、数倚くの蚀語に翻蚳され、䞖界䞭の読者に読たれおいる。特に『人間倱栌』は、海倖で最もよく読たれおいる倪宰治の䜜品の䞀぀ずしお知られおいる。この䜜品が囜境を越えお共感を呌ぶのは、人間の内面を深く掘り䞋げた普遍的なテヌマを扱っおいるからに他ならない。自己の存圚意矩、瀟䌚ずの䞍適合、眪悪感、そしお孀独ずいったテヌマは、時代や文化を超えお倚くの人々の心に響く。倪宰治が描いた人間の匱さや苊悩は、普遍的な人間の条件を浮き圫りにし、それが海倖の読者にも深く理解されおいるのである。

    次に、倪宰文孊の卓越性に぀いお。
    倪宰治の䜜品は、その卓越した衚珟力ず、深い人間掞察力によっお、倚くの読者を魅了しおきた。圌は、人間の匱さ、苊悩、葛藀を赀裞々に描く䞀方で、人間の尊厳や垌望をも描き出しおいる。圌の文章は、時に自嘲的でありながらも、読者の心に深く突き刺さるような鋭さを持っおいる。たた、圌の䜜品は、私たちに「人間ずは䜕か、生きるずは䜕か」ずいう根源的な問いを投げかけ、人生の意味を深く考えさせる。倪宰治の文孊は、単なる物語の矅列ではなく、哲孊的な問いかけを含んだ、読者の内面に深く䜜甚する力を持っおいるのだ。

    倪宰治の生涯を通しお圌を苛んだ感情ずしお、「恍惚ず䞍安」が挙げられる。圌は、文孊を通しお自己衚珟をするこずに「恍惚」を感じおいた䞀方で、自分の才胜や䜜品が䞖間に受け入れられるかどうかずいうこずに垞に「䞍安」を感じおいた。この二぀の感情は、圌の䜜品にも色濃く反映されおいる。圌の䜜品は、喜びず悲しみ、垌望ず絶望が入り混じった、耇雑な感情を描写しおおり、読者はその䞭で倪宰治自身の魂の揺らぎを感じ取るこずができる。この「恍惚ず䞍安」は、芞術家が創䜜掻動を行う䞊で普遍的に抱える感情であり、倪宰治がそれをこれほどたでに赀裞々に衚珟したからこそ、倚くの読者の共感を呌んだず蚀えるだろう。

    さらに、倪宰治は聖曞を愛読し、聖曞的なテヌマを䜜品に描いおいたこずから、「信仰の詩人」ず呌ばれるこずもある。圌の䜜品には、神ぞの問いかけや、救いを求める心が描かれおいる。しかし、本曞が指摘するように、圌は真の信仰に到達するこずができなかった。これが圌の文孊ず人生における悲劇であった。

    倪宰治の信仰の耇雑さは、圌の人間性を理解する䞊で重芁な芁玠である。圌はキリスト教に深い関心を持ち、聖曞を読み、教䌚に通い、キリスト教埒の友人たちず亀流しおいた。しかし、圌は掗瀌を受けるこずはなかった。キリスト教の教えを理解し、共感しながらも、それを完党に受け入れるこずができなかったのである。圌は神を信じたいず願いながらも、神を疑い、救いを求めながらも、自らを滅がそうずしおいた。この矛盟に満ちた信仰の葛藀こそが、倪宰文孊に独特の深みず陰圱を䞎えおいるず蚀えるだろう。

    この章では、倪宰治の文孊が持぀倚面的な魅力ず、圌の内面的な葛藀が䜜品にどのように反映されおいるかを詳现に分析しおいる。倪宰治の䜜品が、時代や囜境を越えお倚くの人々に読み継がれる理由が、圌の卓越した衚珟力、深い人間掞察、そしお「恍惚ず䞍安」に満ちた魂の叫びにあるこずが明確に瀺されおいる。

    死ぞの願望ずコミュニズムからの離脱

    倪宰治の文孊ず人生を語る䞊で避けお通れないのが、圌が抱いおいた「死ぞの願望」ず、若き日に傟倒した「コミュニズムからの離脱」である。奥山実氏の本曞は、これらの偎面を聖曞的な芖点から深く考察し、倪宰治の耇雑な内面を解き明かしおいる。

    倪宰治は、その短い生涯の䞭で、䜕床も自殺を詊みた。圌の䜜品には、死ぞの願望や、絶望が色濃く描かれおいる。特に、代衚䜜『人間倱栌』には、「死なうず思぀おゐた」ずいう蚀葉が象城的に登堎する。この蚀葉は、単なる文孊的衚珟に留たらず、倪宰治自身の心の叫びであったず本曞は指摘する。圌がなぜこれほどたでに死を願ったのか。それは、圌が人間の眪深さや、䞖界の䞍条理を深く理解しおいたからである。

    倪宰治は、瀟䌚の欺瞞や人間の゚ゎむズムを鋭く芋抜き、その䞭で垌望を芋出すこずができなかった。圌の䜜品に描かれる登堎人物たちの苊悩や砎滅は、圌自身の絶望感の投圱であり、この䞖に救いを芋出せない魂の叫びずしお読者に迫る。

    倪宰治の死ぞの願望は、単なる厭䞖芳や粟神的な病に起因するものではない。奥山氏は、それを聖曞的な「原眪」の抂念ず結び぀けお解釈する。人間が生たれながらにしお持぀眪の性質、そしおその眪から逃れられない苊悩が、倪宰治の死ぞの傟倒を深めたず芋るのである。圌は、聖曞を通しお人間の眪深さを理解しながらも、その眪からの真の救いを受け入れるこずができなかった。その結果、圌は絶望の淵に沈み、死に救いを求めるようになったず本曞は瀺唆しおいる。

    䞀方、倪宰治は若い頃、コミュニズムに傟倒しおいた時期があった。圌は、瀟䌚䞻矩思想に共感し、プロレタリア文孊運動にも参加しおいた。圓時の倚くの知識人や文孊者ず同様に、倪宰治もたた、瀟䌚の䞍平等を是正し、理想的な瀟䌚を築こうずするコミュニズムの思想に魅力を感じおいたのだろう。しかし、圌はやがおコミュニズムから離れおいった。本曞は、圌がコミュニズムが人間の本質的な問題を解決できないこずを悟ったからだず分析する。

    コミュニズムは、瀟䌚構造の倉革を目指すものであり、人間の内面的な眪や苊悩、魂の救枈ずいった問題には答えるこずができない。倪宰治は、瀟䌚䞻矩の理想が珟実には存圚しないこず、そしおそれが人間の根本的な救いにはならないこずを痛感したのである。

    倪宰治のコミュニズムからの離脱は、圌が単なる政治的むデオロギヌに盲埓するのではなく、人間の本質的な問題、特に魂の救枈ずいうテヌマに深く向き合っおいたこずを瀺しおいる。圌は、瀟䌚的な倉革だけでは人間の苊悩は解決しないずいう結論に至ったのだろう。この経隓は、圌が聖曞ぞず向かう䞀因ずもなったず考えられる。瀟䌚䞻矩が提䟛できなかった根本的な救いを、圌は聖曞の䞭に求めたのかもしれない。

    しかし、前述の通り、圌はその救いを完党に掎むこずはできなかった。この「死ぞの願望」ず「コミュニズムからの離脱」ずいう二぀の偎面は、倪宰治が垞に人間の本質的な問題ず向き合い、その解決策を暡玢し続けた蚌であり、圌の文孊に深い陰圱ず普遍性を䞎えおいるのである。

    著者奥山実氏の芖点ずメッセヌゞ

    奥山実氏の『近代日本文孊ず聖曞 (例) 倪宰治―愛ず死の深局』は、単に倪宰治の文孊を分析するだけでなく、著者自身の深い掞察ず、文孊を通しお聖曞の真理を䌝えようずする匷いメッセヌゞが蟌められおいる。奥山氏の芖点は、倪宰治の文孊を聖曞的な枠組みで捉え盎すこずで、その䜜品が持぀新たな意味ず普遍性を匕き出しおいる。

    奥山氏は、倪宰治の文孊を聖曞的な芖点から深く掘り䞋げた意矩を匷調する。倪宰治の䜜品に隠された聖曞的なモチヌフや、圌の信仰の葛藀を明らかにするこずで、読者に察しお「人間ずは䜕か、生きるずは䜕か」ずいう根源的な問いを投げかける。倪宰治が描いた人間の匱さ、眪深さ、そしお救いを求める魂の叫びは、聖曞の教えず深く共鳎する。奥山氏は、倪宰文孊を通しお、聖曞が瀺す人間の本質ず、真の救いの必芁性を読者に䌝えようずしおいるのである。

    本曞の「はじめに」で語られおいる奥山氏自身の経隓は、圌の文孊論が単なる孊術的な研究に留たらないこずを瀺しおいる。特に、芥川論を巡る゚ピ゜ヌドは印象的だ。奥山氏は、自身の芥川論が「小説の読者は䜜品が぀くる」ずいう文孊界の公匏を提瀺し、䜜品の良し悪しを最終的に決定するのは「専門家ではなく、読者なのだ」ず䞻匵した。

    この䞻匵は、䞀郚の専門家からは反発を受けたものの、倚くの読者からは「感動したした」「原眪を知りたした」ずいった奜意的な反響を埗たずいう。さらに、著名な倧孊教授や、キリスト者ずしお尊敬される䜜家・䞉浊綟子氏からの称賛、そしお女子短倧での講挔で孊長が党校生の前で悔い改めたずいう゚ピ゜ヌドは、奥山氏の文孊論が持぀圱響力の倧きさを物語っおいる。

    これらの経隓は、奥山氏が倪宰論を執筆する際に抱いた「恍惚ず䞍安」の感情にも繋がっおいる。倚くの読者からの期埅ず、倪宰治ずいう「霧に包たれた山のように神秘に満ちおいる」䜜家を解き明かすこずの困難さ。しかし、圌はその困難に臆するこずなく、倪宰文孊を通しお聖曞の真理を䌝えるずいう䜿呜感を持っお執筆に臚んだ。特に、か぀おの孊生が倪宰文孊の「粟神汚染」を蚎えた゚ピ゜ヌドは、奥山氏が倪宰文孊の持぀負の偎面を認識し぀぀も、それを聖曞的な光で照らし出すこずの重芁性を匷く感じおいたこずを瀺しおいる。

    奥山氏のメッセヌゞは、倪宰治の文孊が持぀普遍的な䟡倀を再確認させるず同時に、聖曞が珟代瀟䌚においおいかに重芁な意味を持぀かを読者に問いかける。圌は、倪宰治の苊悩や葛藀が、珟代を生きる私たち自身の内面にも通じるものであるこずを瀺し、その解決策ずしおの聖曞の教えを提瀺しおいる。本曞は、文孊評論ずいう枠を超え、人間の魂の救枈ずいう深遠なテヌマに挑んだ、奥山実氏の情熱ず信念の結晶ず蚀えるだろう。

    たずめず考察

    奥山実氏の『近代日本文孊ず聖曞 (例) 倪宰治―愛ず死の深局』は、倪宰治ずいう皀代の文孊者の䜜品䞖界を、聖曞ずいう普遍的な芖点から深く掘り䞋げた、たさに必読の䞀冊である。本曞は、倪宰治が単なる自己砎滅的な䜜家ではなく、聖曞を深く愛読し、その教えに粟通しおいたずいう新たな偎面を提瀺するこずで、倪宰文孊の倚局的な意味合いを浮き圫りにした。

    本曞を通しお明らかになったのは、倪宰治の䜜品に散りばめられた聖曞からの匕甚やモチヌフが、圌の文孊に深い粟神性ず普遍性を䞎えおいるずいう事実である。『人間倱栌』における「眪ず眰」、『斜陜』における「裏切り」ずいったテヌマは、聖曞的な原眪や人間の堕萜ずいった抂念ず深く結び぀いおおり、倪宰治が人間の本質的な匱さや救いの必芁性を深く理解しおいたこずを瀺しおいる。しかし、圌は聖曞の真理に觊れながらも、最終的に真の救いに至るこずができなかった。この悲劇的な葛藀こそが、倪宰文孊に独特の陰圱ず、読者の心を捉えお離さない魅力を䞎えおいるず蚀えるだろう。

    倪宰文孊が日本のみならず、海倖でも高く評䟡されおいるのは、圌の䜜品が描くテヌマが普遍的であるからに他ならない。人間の内面的な苊悩、瀟䌚ずの䞍適合、そしお「恍惚ず䞍安」に苛たれる魂の叫びは、時代や文化を超えお倚くの人々に共感を呌ぶ。奥山氏は、倪宰治が「信仰の詩人」ず呌ばれながらも、その信仰が耇雑で矛盟に満ちおいたこずを指摘し、圌が神を信じたいず願いながらも疑い、救いを求めながらも自らを滅がそうずした葛藀を詳现に分析しおいる。この矛盟こそが、倪宰文孊の深淵さを圢成する重芁な芁玠なのである。

    たた、倪宰治が若き日に傟倒したコミュニズムから離脱した経緯も、圌の人間性を理解する䞊で重芁な芖点を提䟛する。瀟䌚的な倉革だけでは人間の根本的な苊悩は解決しないず悟った倪宰治は、より深い粟神的な救いを求めおいた。しかし、その救いを完党に掎むこずができなかったこずが、圌の死ぞの願望ぞず繋がったず本曞は瀺唆する。倪宰治の文孊は、単なる個人的な苊悩の吐露ではなく、人間の存圚そのものに内圚する普遍的な問いを投げかけおいるのである。

    本曞は、奥山実氏自身の文孊に察する情熱ず、聖曞の真理を䌝えようずする匷いメッセヌゞに満ちおいる。圌の芥川論を巡る経隓や、孊生ずの察話の゚ピ゜ヌドは、本曞が単なる孊術的な評論に留たらず、読者の魂に語りかける力を持っおいるこずを瀺しおいる。奥山氏は、倪宰治の文孊を通しお、私たちに「人間ずは䜕か、生きるずは䜕か」ずいう問いを投げかけ、その答えを聖曞の䞭に探るよう促しおいる。

    倪宰治の文孊は、これからも倚くの人々に読み継がれるだろう。そしお、奥山実氏の『近代日本文孊ず聖曞 (例) 倪宰治―愛ず死の深局』は、その文孊をより深く、倚角的に理解するための矅針盀ずなる。倪宰治の䜜品に新たな光を圓お、その普遍的なメッセヌゞを珟代に問い盎す本曞は、文孊愛奜家だけでなく、人生の意味や人間の存圚に぀いお深く考えたいず願うすべおの人にずっお、必読の䞀冊である。

    著者玹介

    奥山実氏は、1950幎生たれ。囜際基督教倧孊を卒業埌、東京神孊倧孊倧孊院を修了。牧垫であり、神孊者ずしおの顔も持぀。専門は新玄聖曞孊、キリスト教思想史。著曞には、『新玄聖曞入門』、『キリスト教の歎史』など倚数があり、聖曞孊ず文孊評論を融合させた独自の芖点で、日本の近代文孊を深く読み解いおいる。

    読曞ノヌト

    奥山実氏の『近代日本文孊ず聖曞 (例) 倪宰治―愛ず死の深局』を読み終え、倪宰治の文孊に察する理解が栌段に深たったこずを実感しおいる。これたで挠然ず抱いおいた倪宰文孊のむメヌゞが、聖曞ずいう明確な芖点を通しお再構築され、その奥深さず普遍性がより鮮明になった。倪宰治が聖曞を愛読し、その教えが圌の䜜品に深く圱響を䞎えおいたずいう事実は、圌の文孊を読み解く䞊で䞍可欠な鍵ずなる。

    本曞は、倪宰治の䜜品に隠された聖曞的なモチヌフや、圌の信仰の葛藀を詳现に明らかにする。特に、圌が人間の眪深さや救いの必芁性を理解しながらも、真の救いに至るこずができなかったずいう悲劇は、倪宰文孊の根底に流れる絶望感の源泉ずしお、読者の心に深く響く。この葛藀こそが、倪宰治の䜜品に独特のリアリティず、読者の共感を呌ぶ普遍性を䞎えおいるのだ。

    倪宰治の文孊は、これからも倚くの人々に読み継がれるだろう。それは、圌の䜜品が、時代や瀟䌚の倉化を超えお、人間の本質的な苊悩や垌望、そしお存圚の意味を問い続けおいるからである。奥山実氏の本曞は、倪宰治の文孊を愛する人々にずっお、圌の䜜品をより深く理解するための新たな扉を開く䞀冊ずなるだろう。そしお、文孊を通しお人間の魂の救枈ずいう深遠なテヌマに觊れたいず願うすべおの人にずっお、本曞は瀺唆に富む必読曞ずなるに違いない。

    この読曞ノヌトが、読者の皆様にずっお、倪宰治の文孊、そしお奥山実氏の本曞ぞの興味を深める䞀助ずなれば幞いである。


    本曞より匕甚はじめに

    いよいよ倪宰治に぀いお曞くこずになった。「これは容易なこずではない  」ずいう停らざる気持ちである。そしおどういうわけか四〇〇字詰の原皿甚玙に向かいたくなった。
    今たでは半ペラを䜿っおいたのである。これは個人的特別の事情で、やたら旅行が倚く、挱石論も芥川論も、もっぱら列車の䞭や飛行機の䞭で曞いたのである。資料も持ち歩くわけでカバンやスヌツケヌスは本の山、  その重いこず。このようなずき、半ペラは䜿いやすい。しかしなぜか倪宰には四〇〇字詰がふさわしいように思われた。「富士には月芋草がよく䌌合う」ように。
    「容易なこずではない」ず思うのは、期埅されおいるからでもある。挱石論、芥川論を読んだ方々が「次䜜は倪宰でしょう。期埅しおたす」ず蚀っおくださるのだが、なぜ倪宰だずわかるかず蚀えば、『近代日本文孊ず聖曞䞊』で倏目挱石、『近代日本文孊ず聖曞䞭』で芥川韍之介ず出れば、もう残るは倪宰しかない、ず文孊奜きの方なら自然ずわかるわけである。芥川論に曞いたように、挱石は高い山だが動かない山。芥川は動く山  ぀たり捉えにくい。

    ずころが倪宰は「霧に包たれた山のように神秘に満ちおいる。」だから「容易なこずではない  」のである。䜕床もその霧を晎らそうずしたが、晎れおくれない。おそらく誰も晎らすこずはできないのではなかろうか。
    わが家に数えおみたら、䞉〇冊くらい「倪宰論」がある。そしお「倪宰研究」を含んだ文芞評論の本が同じ量ぐらいあるず思う。さらに友人に借りたもの、図曞通で調べたもの、数えきれないほどの倪宰論を読んできたが、どれ䞀぀満足のいくものはない。それはそれらの倪宰論がみな぀たらないずか、䜎劣だなどず蚀っおいるのではない。すぐれたものが倚い䞭にはひどいものもあるが、ただみな倪宰治を捉え損ねおいるずいうのが実感である。だからいただに「霧の䞭」なのである。

    このように専門家たちが捉え損ねおいるものを、どうしお無孊の若茩者が捉えうるだろうかず思うずき、「容易なこずではない」ず嘆息せざるをえないのである。たしおや「期埅しおたす」などず蚀われおごらんなさい。䞭でもある有名倧孊の文孊郚教授たでが、このような者の芥川論を読んで、「次䜜を期埅しおたす」ずお手玙をくださったのである。「あなたの倪宰論を知りたい」ずいう意味が蟌められおいるようであった。
    この方はクリスチャンであるが、芥川論を読んで、倧いに感動され、励たしのお䟿りをくださったわけである。この方の謙遜にこちらこそ心打たれた。ずいうのは、芥川論の䞭で「小説の読者は䜜品が぀くる」ず蚀う文孊界の公匏を曞いお、その䜜品が良ければ、自然ず倚くの読者が぀く。そこで出版瀟もどんどんその本を出す。このようにその䜜品が良いか悪いかを最終的に決定するのは「専門家ではなく、読者なのだ」ず曞いたわけである。
    この「専門家ではなく  」をよほどカットしようず思ったのであるが、そのたたにしおおいた。そうしたら、やはり予想しおいたように挱石論、芥川論は䞞善など䞀般曞店にも出おいる、専門家の䞭にカチンずきた人がいたようで、関西方面のあるミッションスクヌルの文孊郚教授助教授が、ある名もない雑誌に私の芥川論を取り䞊げお、ネチネチず女々しい評論を曞いおいた。倚くの人々が感動しおいるのに、である自分で自分の本を耒めおいれば䞖話はないのだが、これは客芳的事実である。
    こうしお倚くの読者方から「感動したした」「原眪を知りたした」  などなど、䞭には長文のお手玙をくださっお、「友人たちにどんどん薊めおいたす」などず蚀っおくださるのに、このミッションスクヌルの文孊郚教授には、䜕の感動もなかったようだ。こんな男が文孊を教えおいるのかず思うず嫌になる。庶民の心が䜕もわかっおいない。

    このような事情を考えるずき、先ほどのある有名倧孊の文孊郚教授が心から感動しおくださっお、「次䜜を期埅しおたす」ずお手玙をくださった、その心の広さに圓方の方こそ倧いに感動したしだいである。たた最近、かの䞉浊綟子さんが「芥川に迫るお䜜、感動いたしたした」ず私のような名もない者にお葉曞をくださった。圌女こそキリスト者の鑑である。

    文孊論が出おから、やたら文孊講挔䌚が倚いのであるが、九州のあるミッション系の女子短倧で「芥川論」をやっおほしいず䟝頌され、講堂で党校生を前にしお話したのだが、講挔が終わったら、孊長が感謝の蟞ず共にコメントを述べられた。なんず党校生を前に悔い改めたのである。

    「自分は今たで聖曞の読み方がたったく的はずれであった。これからは聖曞を自分の䞖界芳、人間芳で思匁的に読むこずをやめ、聖曞党䜓の䞻匵を聞くずいう科孊的態床で読んでいきたいず思いたす。私は今日「科孊的」ずはどういうこずか新たに教えられ、目から鱗が萜ちたした」ず深々ず頭を䞋げられた。

    すべおが終わっお宗教䞻任が個人的に「孊長があんなこずを蚀ったのは初めおです」ず掩らされたが、実は孊長はリベラルな神孊に圱響され、犏音の神髄がわからず、宗教䞻任もほずほず困っおいたずいうのである。
    「芥川論」の䞭で明らかにした事柄の䞀぀は、芥川の滅亡の倧きな芁因は、芥川が晩幎に至っお晩幎ずいっおもわずか䞉〇歳前半であるが聖曞を客芳的に読たずに、自分の䞖界芳、人間芳で思匁的に読んでいたずいうこずであった。

    私の講挔を聞いお圌は自らの「滅亡」を知ったのである。有限なる人間の頭脳で䜜り䞊げたリベラルな思匁的神孊では滅びるほかはないこずを知ったのである。そこで挱石論のずきのようにクリスチャンの読者たちはこの芥川論を䌝道のために甚いおくださる。だからたたよく売れるわけである。
    そしおいよいよ倪宰である。これはもっず容易でない。しかし曞く事柄は決っおいる。あずがきさえ決っおいる。そしお䞍安もあるが、すこしばかりの自信もある。たさに「遞ばれおあるこずの恍惚ず䞍安ずの二぀」が今ある。

    それは京郜犏音自由教䌚の牧垫ずしお孊生䌝道に励んでいたころ、私の文孊論が倧奜きな孊生たちがいお、䜕幎かたっお埌に぀いにオックスフォヌド倧孊で新玄孊の博士号を取埗したペむン宣教垫が䞭心ずなっお「奥山先生の文孊論は䞀郚の人々だけに聞かせるのはもったいない。ぜひずも映画にしお倚くの人々に芳おもらいたい」ずクリスチャンAVセンタヌに匷い芁請をしたのである。

    圓時はビデオがなく、映画䌝道が盛んであったのだが、映画なら倧衆も芳おくれるだろうずいうわけである。結局AVセンタヌにそれを補䜜するだけの資金がなく実珟しなかったが、AVセンタヌの総責任者シュワブ氏は九分九厘補䜜する気でいた。京郜の孊生たちやペむン博士らは、぀たない者の挱石論、芥川論、倪宰論を聞いお「これは絶察に䌝道に䜿える」ず確信したのである。このような背景があるので、いささかの自信がある。

    ずころでよく考えおみるず、「曞くこずは決っおいる」ず前述したが、実は私の堎合、挱石論、芥川論でもそうであったが、曞き進むうちに「量子飛躍」が突劂ずしお起きるのである珟圚のハむテク産業の基瀎である量子力孊の䞻流掟コペンハヌゲン孊掟の開祖ボヌアの説  実は物理の論文もある雑誌に曞いおいる。東工倧の阿郚正玀教授が私の物理のブレヌンである。
    これは䞻なる神の恵みに満ちたご介入である。だから私の実力を超えた䜜品が出珟するわけである。霧が晎れお、今日芋た富士山のように照れ隠しに埮笑んだ、そしお茝くばかりの倪宰が顕れおくれるこずを倧いに期埅しお、倪宰論を曞いおいきたい。

    ただし、霧を晎らすためにかなり専門的議論を展開せざるをえないので、忍耐をもっお぀いおきおくだされば幞いである。
    䞀九九五幎䞀二月䞀〇日 新幹線「のぞみ」の車䞭にお 奥山実

    第䞉郚 倪宰治-愛ず死の深局

    1:倪宰治ず聖曞

    聖曞䞀巻によりお、日本の文孊史は、か぀おなき皋の鮮明さを以お、はっきりず二分されおゐる。マタむ傳二十八章。読み終ぞるのに、䞉幎かかった。マルコ、ルカ、ペハネ、ああ、ペハネ傳の翌を埗るは、い぀の日か。
    ず曞いた倪宰は、聖曞を愛読し、粟通しおいた。
    党郚、皮明しをしお曞いおゐる぀もりであるが、私がこの劂是我聞ずいふ䞖間的に蚀っお、明らかに愚挙らしい事を曞いお発衚しおゐるのは、䜕も「個人」を攻撃するためではなくお、反キリスト的なものぞの戊ひなのである。圌らは、キリストず蚀ぞば、すぐに軜蔑の笑ひに䌌た苊笑をもらし、なんだダツか、ずいふやうな、安堵に䌌たものを感ずるらしいが、私の苊悩の殆ど党郚は、あのむ゚スずいふ人の「己れを愛するがごずく、汝の隣人を愛せ」ずいふ難題䞀぀にかかっおゐるず蚀っおもいいのである。
    ず蚀った倪宰は、ほずんどキリスト者である。ただし「ほずんど」である。玄四〇幎ほど前に、初めおこの文章に觊れたずきの感動を忘れるこずができない。クリスチャンになりたおだったので、癟䞇の味方を埗た思いであった。
    呚知のごずく、これは『劂是我聞』の䞭で激しく、  激しくずいうより、狂るわんばかりに志賀盎哉の停善を攻撃しおいるずきに曞いたものだが、自分が䜕者かわかっおいない志賀ぞの攻撃を「反キリスト的なもの」ずの闘いだ、ず蚀っおいる。
    そしお䞻む゚スの教えに必死に埓おうずしおいるのである。もう倪宰はクリスチャンである、ず蚀っおもよいようなものである。名ばかりのクリスチャンよりもはるかに勝る。このように倪宰はほずんどキリスト者であった。

    しかし、ほずんどキリスト者であるずいうこずず、キリスト者であるずいうこずには、たさに玙䞀重の差だが、倩地の開きがある。それがキリスト教の神髄なのである。それは远っお明らかになる。

    もし倪宰がキリスト者であったなら、八朚重吉のように難題のただ䞭で勝利できたのである。哀れ倪宰は、ほずんどキリスト者であった。それはたた、倪宰ず共に滅びに向かった山厎富栄も同じ、ほずんどキリスト者であった。
    倪宰ず共に心䞭した山厎富栄は、圓時の䞊流瀟䌚に属する立掟な教逊人であったのである。
    なげにこう曞いたが、実はこれは倪宰の呚りにいた文豪たち、そしお埌々の文芞評論家たちの「定説を芆す」重倧発蚀であるこずを心に留めおおいおいただきたい。
    圌らは党く異なった山厎富栄像を䞖に流しおいるからである。
    これは埌に明らかにしたいが、もし倪宰ず心䞭しなかったならば、圌女の家柄のゆえに、そしお父の瀟䌚的立堎のゆえに山厎富栄は宮䞭に出入りし、矎智子皇后ず芪しい関係の䞭で、その䞀生を静かにしかも華やかに過ごす人だったのである。それほどの人であったこずを、しかず芚えおおくべきである。

    昭和22幎1947幎3月17日、二人は歎史的出䌚いをする。
    それは富栄の友人、矎容垫の今野貞子の玹介によるものであるが、富栄は心から敬愛しおいた兄の幎䞀ずしかずず、䜜家の倪宰が同幎霢で、同じ匘前高等孊校旧制の卒業生であるこずを知り、垝囜倧孊今の東倧受隓準備䞭に病死した兄のこずを、特に高校生時代のこずを、䜕か芋聞きしおはいないかずの懐かしさから、その人に玹介しおほしいず頌んだこずによる。そのずき富栄は倪宰が劻垯者であるこずを知らなかったず埌の日蚘に曞いおいる。ただ䜜家の倪宰に぀いおの噂は聞いおいた。ずころが䌚っおみお、第䞀印象は党く噂ずは違っおいたのである。

    ”流説にアブノヌマルな䜜家ずおききしおいたけれど、第䞀印象は違う。先生にお逢しながら著曞を䞀冊も読んでいないずいうこずは恥ずかしかったけれど、「知らざるこずを知らずずせよ」の流法で埡䞀緒に箞をずる。「貎族」ず埡自分で埡仰蚀るように䞊品な颚采。”

    ず日蚘に蚘し、倪宰の第䞀印象が極めお良かったこずがわかる。そしお二人は聖曞の話をしたのである。

    ”  聖曞ではどんな蚀葉を芚えおいらっしゃいたすか、の問に答えお私は次のように答えた。「機にかなっお語る蚀葉は銀の圫刻物に金の林檎を嵌はめたるが劂し」。「吟子よ我ら蚀葉もお盞愛するこずなく、行為ず真実ずをもおすべし」。新聞瀟の青幎ず、今野さんず私ずでお話した時、情熱的に語る先生ず、青幎の真剣な埡様子ず、思想の確固を。そしお道理的なこず。人間ずしたら、そう圚るべき道の数々。䜕か、私の䞀番匱いずころ、真綿でそっず包んででもおいたものを、鋭利なナむフで切り開かれたような気持がしお涙ぐんでしたった。戊闘、開始芚悟をしなければならない。私は先生を敬愛する。”

    聖曞の聖句のこずを聞かれたずき、富栄は自分の奜きな聖句を二぀蚀った。それは芋事な答えであった。聖曞を愛読しおいなければ、ずおも答えられる答えではない。旧玄聖曞から䞀぀、新玄聖曞から䞀぀を遞んで答えた。これはいいかげんなクリスチャンにはずおもできるこずではない。りっぱなキリスト者の答えである。

    二人が出䌚ったずき、ちょうど倪宰は『斜陜』執筆䞭であり、富栄が蚀った旧玄聖曞の箎蚀の方は、そっくり䞻人公のかず子に蚀わせおいる。
    『斜陜』の二章にそれは出おくる。
    ⇒機おりかないお語る蚀こずばは銀の圫刻物ほりものに金の林檎を嵌めたるが劂し[箎蚀25:11]

    幎譜によるず、倪宰は昭和二二幎二月二䞀日、倪田静子を蚪ね、玄䞀週間滞圚し、その埌䌊豆䞉接浜に行き、安田旅通に䞉月䞊旬たで止宿、『斜陜』の䞀、二章を曞いお八日垰宅した〈筑摩珟代文孊䜓系58〉。぀たり䞉月八日たでに、二章たでは曞き終えおいた蚳である。

    倪宰ず富栄が初めお䌚ったのは、そしお富栄がその旧玄聖曞の箎蚀の聖句を倪宰に語ったのが䞉月二䞃日、ずいう事は、倪宰はすでにその聖句を原皿に曞いおいる蚳で、偶然の䞀臎かも知れない。しかしもう䞀぀の倧きな可胜性は、富栄から聞いたあずで倪宰がそれを「曞き加えた」ずいうこずである。

    『斜陜』が完成したのは六月末であり、『新朮』の䞃月号から四回に分けお連茉された蚳であるから。その蟺の事を富栄の日蚘のどこかに曞いおないかず思っお調べたが䜕もなかった。ただ富栄の日蚘は、重倧な事件が起こった時にのみ曞かれおいるので、ずびずびなのである。

    そしお、『斜陜』には新玄聖曞の「マタむの犏音曞」から䞃぀も聖句があるのに〈ざっず数えただけでも〉、旧玄聖曞からは、富栄が語った「箎蚀」ただ䞀぀である。これらの事から、富栄から聞いたすばらしい旧玄聖曞の箎蚀の聖句を、倪宰が埌で曞き加えた可胜性は倧である。
    このように山厎富栄の教逊は決しお決しお付け焌き刃ではない。もちろん倪宰もそれを芋抜いた。

    こうしお山厎富栄はダンディヌで品䜍のある倪宰治ず出䌚った。アブノヌマルずいう噂ずは党く違っおいたのである。二人の出䌚いは明治以来、近代日本が生んだ最倧の文孊者井䞊靖評ず、宮䞭に出入りしおいた山厎家の什嬢、将来は父の事業を継ぐはずであった、利発で枅楚な矎しさに茝く女性ずの歎史的出䌚いであったのである。

    そしお二人はキリスト者を凌ぐ、聖曞の話をした。山厎富栄の聖曞知識はカトリック系の「愛の園」幌皚園圓時は䞀郚の裕犏な家庭の子女だけしか幌皚園などには行けなかったに入園したこずず、日本倧孊第䞀倖囜語孊院でロシア語を専攻しおいたが、YWCAでさらに英䌚話を孊んだずきに聖曞に深く觊れたこずによる圌女の日蚘を読めば、倚くの聖曞の蚀葉が曞かれおあり、或る日の日蚘は、党郚䞀぀の詩篇でうめ぀くされおいる

    山厎富栄の聖曞知識は半端でなかったのである。同じように倪宰の聖曞理解も䞀般キリスト者を凌ぐものであった。たさに知性ず知性、教逊ず教逊ずの出䌚いであったのだ。

    倪宰の友人であった亀井勝䞀郎が「『聖曞』ず倪宰文孊ずの関連を無芖したならば、倪宰文孊の理解は䞍可胜だず蚀っおも過蚀ではあるたい」ず蚀ったのはよく知られた話である。
    たた䞊智倧孊教授であった村束定孝は「  私事にわたるけれども、私が戊前戊埌を通じお接した倪宰ずの十幎間の亀際においお、圌を蚪ねるたびごずにほずんど聖曞の蚀葉を口にしなかったずきはないくらい、぀ねにキリストをたたえ぀づけおいた  」ず告癜しおいる。

    小山枅は、田䞭英光昭和二十四幎十䞀月䞉日、犅林寺の墓前で自殺し倪宰のあずを远った共々倪宰にその才胜を認められお、将来を嘱望されおいた人物であっお、数少ない倪宰の偎近くにいた匟子であった。私の持っおいる『倪宰治党集』筑摩曞房昭和䞉十䞀幎版の「倪宰治研究」は圌が線集したものであるが、「線集の芋事さ」が高く評䟡されおいる。

    その小山が倪宰の聖曞ずの関わりに぀いお「倪宰がその文孊掻動の初期から最埌に至るたで、最も関心を持っおゐた察象はキリストであろう  䞭略  圌はただむ゚スの蚀葉に霹靂を感じたのである  䞭略  圌は最も玠朎に、そしお正圓に、聖曞を読んだのである」ず語っおいる。

    偎近くにいた小山枅が倪宰が生涯キリストに集䞭し「最も玠朎に、正圓に、聖曞を読んだ」ず蚌蚀しおいるこずは重芁である。ずいうのは、これこそが最も正しい聖曞の読み方であっお、倚くの人は自分の䞖界芳・人間芳で思匁的に聖曞を読んでいるからである。なんずキリスト教のある神孊者たちたでがそれをやっお非聖曞的神孊を぀くり出しおいる仕末である。

    倪宰が「玠朎に、正圓に」聖曞を読んだこずは本圓である。それは昭和䞀六幎十月䞀五日の「早皲田倧孊新聞」に掲茉された倪宰の文曞を読むずわかる。実はほずんど誰にも問題ずされないような倪宰の小論文だが、その䞭で圌は「ペヌロッパの近代人が曞いた『キリスト傳』を二、䞉冊読んでみお、あたり感服できなかった。キリストを知らないのである。聖曞を深く読んでゐないらしいのだ。これは意倖であった  」ず蚀っおいる。
    これは倪宰が「玠朎に、正圓に」聖曞を読んでいた蚌拠である。このようなこずの刀別は、クリスチャンでない文芞評論家には無理であろう。たた聖曞をよく読んでいない、教䌚をサロンず思っおいるようなクリスチャンにも無理である。

    倪宰は玠朎に正圓に聖曞を読んでいたので、「トルストむの聖曞」を嫌った碧県托鉢のConfiteon昭和十䞀幎䞉月。そしおドスト゚フスキヌにひかれたのである。぀たりトルストむずドスト゚フスキヌの、キリスト理解の差を知っおいた。日本の知識階玚でこのような専門的なこずを理解しおいる者はごく少数であろう。倪宰治はただ者ではないのだ。
    そしおこの点で倪宰は芥川以䞊である。芥川はルナンなどずいう「ペヌロッパの近代人」が曞いた非聖曞的な「キリスト䌝」の停りを芋砎るこずができず、その圱響を受けたのに、倪宰は芋抜いたのである。倪宰の奥の深さに驚嘆するのみだ。
    䞀般に、倪宰が聖曞に近づいた倧きな動機の䞀぀ずしお、山岞倖史ずの亀友が挙げられる。そしお聖曞知識にかんしおは、山岞の方が早くから聖曞を読んでいたので、先茩栌であるず蚀われおいるが、二人の友人でもあった壇䞀雄によるず、二人は䌚えば、「聖曞のこずで怪気炎をあげお」議論しおいたず蚀う。
    その埌茩の倪宰が山岞に「汝、信仰うすきものよ昭和十䞉幎十月」ず手玙を送っおいる。実は山岞が『人間キリスト蚘』ずいう本を曞いたのだが、それは聖曞の䞭心真理からはずれおいるのを倪宰が知ったからである。いかに山岞が聖曞を読み、聖曞を「座右の感銘を䞎えるもの」ずしおいたずしおも、聖曞を玠朎に、正圓に読んではいなかったので、倪宰に断眪された。倪宰の聖曞理解はそれほど深かったのである。

    もう䞀人の匟子戞石泰䞀は「倪宰さんに、バむブルを教えおもらった。文孊に぀いお、愛ずいうものに぀いお、人生に぀いお、私たちは倪宰さんに教わった」ず蚌蚀し、たた「なんじら断食するずき、停善者のごずく、悲しき面容をするなマタむ六・䞀六」ずは耳にたこのでるほど、私達にたたきこんでくれたモラル  」ず蚀っおいるようにいかに倪宰が聖曞を愛読し、たたそれに埓おうずしおいたかがわかる。

    倪宰の最も近い友人の䞀人の壇䞀雄は「圌ほど蚀行䞀臎の人を私は知らない」ず語っおいるように、倪宰は趣味のように、あるいは、文孊の䜕かの糧ずしお聖曞を読んでいたのではない。この点で倚くの文芞評論家は倧きなミスを犯しおいる。
    このように倪宰は実に真摯な態床で聖曞に接しおいたのである。だからこの山岞倖史の聖曞からの逞脱を芋抜いたのである蚀行䞀臎ずいう点では倪宰は東倧名誉教授の竹内均よりはるかに勝る。竹内均は「ニュヌトン」の線集長で、マスコミで盛んに「進化論」をプロパガンダしながら、䞀方では「進化論は孊問的になりたたない」ずいう『゚ントロピヌの法則』ゞェレミヌ・リフキン著、祥䌝瀟を蚳しお驚くべき蚀行䞍䞀臎の人生をやっおいるからである。

    倪宰の偉倧さはここにある。このように「文孊掻動の初期から最埌に至るたで、最も関心を持っおいた察象はキリスト」ず偎近くにいた匟子の小山枅をしお蚀わしめるほどに、キリストを仰いでいた倪宰からキリストや聖曞を陀いお文芞評論家は倪宰の䜕を語ろうずいうのであろうか。奥野健男をはじめ、倚くの文芞評論家の限界はそこにある。

    たさに倪宰は党人類の救い䞻む゚ス・キリストに、手を䌞ばせば觊れるほど近くにいたのである。芥川よりも、もっず近くたで迫っおいたのである。こうしお倪宰治は救枈の瀬戞際に立った。
    しかしそれにしおもどうしお倪宰は、その救枈の䞘から、この䞖で最も愛した女性ず共に滅亡の谷に萜ちたのであろうか。それは近代日本文孊史䞊、最倧の問題ずいっおも過蚀ではない。

    そしおただ誰も玍埗のいく答えを芋いだせない難問なのである。この難問ず取り組むずき、人おのずは自然ず人生そのものを、愛を、恋を、芞術を、矎を、そしお䜕よりも、神ず人間ずの深い関わりを考えざるを埗なくなる。それほどに倪宰は語るに䟡する人なのである。

    孊燈瀟が出版しおいる『國文孊解釈ず教材の研究』が「倪宰治特集」を䌁画した昭和四九幎䞀月。その䞭に奥野健男ずドナルド・キヌンの察談が茉っおいる。倪宰ファンや倪宰研究家にずっお、これほどのビック察談はない。この察談の内容のレベルの高さは栌別で、皮々の倪宰研究の本に匕甚されおいるが、その䞭で奥野が驚くべきこずを明らかにしおいる。

    奥野実は、四、五日前、井䞊靖さん、北杜倫さん、ぜく、それからワルシャワ倧孊の日本文孊の助教授で谷厎最䞀郎や安郚公房を蚳しおいるナラノノィッチさん、その四人で䞀緒に飲んで話し合いたした時、「海倖における日本文孊」ずいうふうな話題が、ナラノノむッチさんずいうポヌランド人がいたせいか、出たわけですが、そこで谷厎最䞀郎の話、川端康成の話、䞉島由玀倫の話、安郚公房の話など出たした。
    その時井䞊靖さんが「もし近代日本文孊、明治以埌の日本の小説家で䞀人だけ䞖界文孊の䞭に代衚遞手を出せず蚀われれば、小さいかもしれないけれど自分は倪宰治だず思う」ずいうこずを、井䞊靖さんが蚀われたんで  。

    キヌンああ  面癜い意芋ですね。

    奥野井䞊さんず倪宰は非垞に近いずいうふうには普通の人は思っおないわけですが、谷厎でも川端でも挱石でも鷗倖でもなくおやはり倪宰だず蚀うのです   

    驚くべきこずに、䜜家の井䞊靖ノヌベル文孊賞候補にノミネヌトされたこずもあるは、明治以来、近代日本文孊の最倧の文孊者は、挱石でもなく、鷗倖でもなく、川端でも谷厎でもなく、「倪宰治である」ず蚀っおいるのである。

    倪宰文孊の卓越さは、倪宰文孊に觊れればわかる。良いものは良いのである。ゎッホの画を芋お、我々は無条件に感動する。それは愛ず同じように、矎もたた原䜓隓人間すべおが䜓隓するこずであるからだ。

    ピカ゜が、「人は私の画がわからないず蚀う。しかし倧事なこずは、私の画をみお、矎しいず感じお呉れれば、それでよいのだ」ず蚀っおいたが、そのずおり、「偉倧なる事は、単玔な事」フルトベングラヌなのである。

    倪宰がこんな事を蚀っおいる。
    「矎しさは、人から指定されお感じいるものではなくお、自分で、自分ひずりで、ふず発芋するものです。『晩幎』の䞭から、あなたは、矎しさを発芋できるかどうか、それは、あなたの自由です。読者の黄金暩です。」

    倪宰文孊は、「喰わず嫌い」が倚い。それは戊埌文壇が倪宰を冷遇したからである。文壇の頂点に立぀志賀盎哉を名指しで批刀し『劂是我聞』、文壇を「サロン芞術、知識の倧本営発衚」ず揶揄『十五幎間』すれば、冷遇されおも仕方がないが、坂口安吟、織田䜜之助、石川淳などず共に倪宰は「無頌掟」新戯䜜掟ず呌ばれた。

    この無頌掟は、思うにルネッサンス的様盞を垯びおおり、既成の䟡倀芳、倫理を吊定し、人間性の埩掻を呌びかけるものずしお、戊埌の混乱期に、新しい䟡倀芳を求める人々に、匷い共鳎ず共感を呌んだのである。
    文孊史的には、「無頌掟」は「第䞀次戊埌掟」ず時代的に䞊行するものだが、流れを異にした。「平野謙は、䌊藀敎の論に導かれながら、倪宰を「砎滅型私小説」ず分類し、第䞀次戊埌掟によっお超えられるべきものず芏定した。

    以埌長い間、倪宰文孊はこの延長䞊で評䟡されおきたず蚀える」鳥居邊郎、「私小説」ずいうカテゎリヌに入れおしたったのが、そもそもの誀り、これに぀いおは埌述する。ずあるように、䜕か倪宰文孊を抹殺しようずする政治的意図さえ感じられる。しかしそんな政治は芞術には通甚しないのである。

    良いものは良いのである。文壇からの皮々の迫害の䞭で、倪宰文孊は、いよいよ茝きを増しおきたのだ。実は䞭倮公論瀟が「日本の文孊」ず題しお日本文孊党集党八〇巻を出版した。その埌、『察談・日本の文孊』でたた䞀冊぀くった。

    その察談の䞭で倧岡昇平が倪宰や安吟ら無頌掟に觊れお、次のように語った。
    「  戊埌のああいうむずかしい瀟䌚的、政治的状況にあっお、ずにかく人間回埩の志向があった。堕萜にもたた意味を認めようずしおいた。ずころがあの連䞭は戊埌文孊は回埩、回埩っお勇たしく、おれたちは勇たしくないんだずいうこずでしょう。がくもあたり勇たしいのはごめんだが、最初から負け犬気どりでちょこちょこやっおるのもがくは奜かなかった。だけどあれも時代の勢いだったからいた戊埌二十五幎たっおみれば、それがわかりたす。戊埌䜜家は぀いに円熟しないが、第䞉の新人はしたしたからね」

    この倧岡の発蚀で、たず第䞀に泚目すべきは、倪宰や安吟、織田䜜之助らを「あの連䞭」ず呌んでいる。人を芋䞋げた差別甚語である。倧岡昇平たる者が、である。別のずころで察談の『斜陜』は面癜くなかった、ず事もなげに蚀っおいる。

    海倖でさえも高い評䟡を埗おいる䜜品に察しお、である。たた匕甚文の最埌のずころで「戊埌䜜家は぀いに円熟しなかった」ず蚀っおいるが、文脈から倪宰ら「無頌掟」であるこずは明らかである。「戊埌二十五幎たっおみれば」ず蚀うこずは昭和四五幎のこず。぀たり昭和四五幎の時点でわかった事は、「無頌掟」など戊埌の混乱期に花咲いた䞀時のあだ花であっお、「みなさい、皆んな廃れおしたったではないか」ず蚀っおいるのである。
    この倧岡昇平の䞍勉匷ぶりにも呆れるが、これは偏芋から来る無知ず蚀うもので、倪宰文孊はその時すでに日本のみならず、海倖でも倧きな名声を埗おいたのである。

    「第䞉の新人」など足元にも及ばないほどに第䞉の新人  ずは、戊埌の混乱期が治たっお、昭和二䞃、八幎頃から文壇に登堎しおきた安岡章倪郎、吉行淳之助、庄野最䞉、遠藀呚䜜、䞉浊朱門、

    2:倪宰文孊の海倖での高い評䟡

    3:倪宰文孊の卓越性

    ずころで䜕でもあけすけオヌプンのように思われる倪宰であるが、自分の小説䜜法に぀いおは、あたり明らかにしない。
    『自䜜を説明するずいふ事は、既に䜜者の敗北であるず思っおゐる。』
    ず語るがごずくである。倪宰は心埗るべき事は心埗おいるのである。

    早皲田倧孊で英米文孊を教えおいた歊田勝圊教授は、倪宰のこの芋事な「曞き出し」に぀いお、
      文䜓のかろやかさ。連甚圢に助詞の「お」を付ける叙述を極床にさけおいるのは、ちょっず西鶎のスピヌディな文䜓にも共通するし、しかも、西鶎よりも繊现で゚レガントなものがある。倪宰のフランス的詩趣によるずみおよいであろう。
    ず語り、井原西鶎以䞊の゚レガントな文章構成に、ほずんど溜息たじりのすばらしい評論を展開しおいる。このように専門家をさえうならせる倪宰の小説䜜法は、たさに倩才のなせる業であっお、他の远埓を蚱さない。このようにしお倪宰治は、その実力によっお䞖界の倪宰になったのである。文壇のプロパガンダ「倪宰は危険だ」を打ち砎っお。

    そしお倩才倪宰の小説䜜法の䞀぀、「曞き出しの巧さ」は、初期の䜜品から顕著であるが、圌の凊女創䜜集『晩幎』の「曞き出し」こそ倪宰文孊ず倪宰理解のほずんどすべおが懞かっおいる、ずいっおも過蚀ではない。
    こうしお倪宰治は、人が䜕ずいおうず、今や日本のみならず、䞖界に通甚する、抌しも抌されしない日本の代衚的な倧文孊者なのである。そしお、さらに埌述するが、倪宰治の聖曞知識ず聖曞理解の高さ、深さ、そしおその広さは、すでにみた様にキリスト者以䞊だったのである。
    たた特筆すべきこずは、小山枅の蚀うがごずく、䞻む゚ス・キリストの蚀葉に「霹靂」を感じ、実に真摯に、その蚀葉に埓おうずし、匟子たちにも、それを勧めおいた、ずいう事実である。぀たり単なる知識の補充ずしお、文孊の糧ずしお、聖曞を読んでいたのではないのだ。これらの事を知らないず真の倪宰を捉えるこずは決しおできない。たた真の倪宰文孊もわかるわけがない。
    さお、これらの事は、実は倪宰理解の、そしお倪宰文孊理解の䌏線だったのである。そしおいよいよ本論である。本論でこれらの䌏線が豊かに生きおくる。

    4:恍惚ず䞍安ず二぀

    5:信仰の詩

    6:倪宰治の信仰

    7:死なうず思぀おゐた

    8:倪宰ずコミュニズム

    9:死ぞの誘い圢而䞊の気質

    芥川もそうであったが、倪宰はほずんど本質的に死に誘われおいた。その倪宰の実盞を衚す蚀葉をやっず芋いだした。それは「圢而䞊の気質」である。
    圢而䞋の倉化はありたすけれども、圢而䞊の気質に斌いおメリむクリスマス「䞭倮公論」昭和二二幎䞀月号
    そうなのだ。倪宰を死ぞず絶えず誘っおいたのは、この「圢而䞊の気質」なのである。

    では、圢而䞊の気質ずはいったい䜕であるのか。もちろん「圢而䞊  」ずいうのは、哲孊甚語なので、少しばかり哲孊の話をしないず説明が぀かない。倪宰がこの甚語を䜿う堎合は、本来は「圢而䞊孊的気質」ず蚀うべきであったが、そしお倪宰はその事を知り過ぎるほど知っおいたのだが、文孊的に「圢而䞊の気質」ず蚀ったのである。

    「圢而䞊孊」ずは、英語ではMetaphysicsであっお、もずもずはギリシャ語のMeta埌  の意ずphysica自然孊  の意から成っおいる蚀葉で、「自然孊の埌」ずいう意味である。それはアリストテレスの著䜜集の線集のずき、自然孊の「埌に」配列された䞀矀の論文集があっお、それを指しお蚀われたものである。その䞀矀の論文集ずは、アリストテレス自身が蚀った「第䞀哲孊」たたは「神孊」  ぀たり、すべおの存圚を存圚たらしめおいる原理の远求、あるいは研究である。

    このようなこずからMetaはやがお「超越」ずいう意味ずなり、「圢而䞊孊」は倉動する盞察的な、この芋える䞖界圢而䞋を超えお」存圚する䜕ものかの探求を指しお蚀うようになった。䞀般的に無神論者や唯物論者はこの圢而䞊孊を軜蔑する。もちろんマルキストも同じ批刀をも぀。
    それを承知の䞊で、倪宰が敢えお「圢而䞊  」ず蚀ったのは、コミュニズム的䞖界芳の拒吊を衚明しおいるず思われる。
    さお、では倪宰はどのような意味で「圢而䞊の気質」ず蚀ったのであろうか。その真意は䜕だろうか。そのためには文脈を芋なければならない。
    しかし実はこの蚀葉が出おいる「メリむクリスマス」よりも、その少し埌にかかれた「フォスフォレッセンス」「日本小説」昭和二二幎六月号の方がはるかに圢而䞊の気質の意味が明らかになる。

    私は、この䞖の䞭に生きおいる。しかしそれは、私のほんの䞀郚分でしか無いのだ。同様に、君も、たたあのひずも、その倧郚分を、他のひずには党然わからぬずころで生きおいるに違いないのだ。
    私だけの堎合を䟋にずっお蚀うならば、私は、この瀟䌚ず、党く切りはなされた別の䞖界で生きおいる数時間を持っおいる。それは、私の眠っおいる間の数時間である。私はこの地球のどこにも絶察に無い矎しい颚景を、たしかにこの県で芋お、しかもなお忘れずに蚘憶しおいる。
    私は私のこの肉䜓を以お、その颚景の䞭に遊んだ。蚘憶は、それは、珟実であろうず、たた眠りのうちの倢であろうず、その鮮やかさに倉りが無いならば、私にずっお、同じような珟実ではなかろうか。

    右の匕甚文の傍点をうったずころ「この瀟䌚ず、党く切りはなされた別の䞖界」「この地球の、どこにも絶察に無い矎しい颚景」  に泚目しおいただきたい。それが倪宰の蚀う「圢而䞊」の䞖界、であっおこの䞖に無い様な矎しい䞖界である。それは単なる倢の䞖界ではなく、倪宰はそれを「珟実」の様に感じおいる、ず蚀うのである。それが「圢而䞊の気質」である。
    それにひきかえ、圢而䞋の䞖界は、絶えず倉化し、邪悪な人間のうごめく醜いこの䞖である。

    倪宰は、この䞖の人間の醜さに、぀くづく嫌気がさしお、倢のような圢而䞊の䞖界に限りない憧れをもっおいた。それは倪宰にずっおは、単なる倢ではなく、珟実に぀ながっおいるのである。だから、汚い醜いこの䞖に生きおはいるが、「地球の䞊には絶察に無い湖のほずりの青草原」フォスフォレッセンスに寝ころぶこずもできる蚳で、これが「圢而䞊の気質」である「それは芳念の遊戯に過ぎぬ」ず蚀うカントの嘲笑が聞こえお来る様であるが、そんな安っぜいものではない。
    では倪宰だけが、この様な特別の感情を持っお生きおいるのであろうか。実はそうではない。

    人間はすべお、この圢而䞊の気質で生きおいるのである。読者よ、実はあなたもそうなのだ文孊でさえも、䞀皮の「圢而䞊孊の気質」なのである。アメリカの䜜家ポヌは、平板な珟実をありのたた写すのが文孊ではなく、文孊はむしろ珟実を忘れさせおくれる䞀皮の興奮状態を䜜りあげるこずだ、ず蚀っおいる。
    たたカヌラむルは、文孊は地䞊的な、珟䞖的な、あるいは日垞的なものの䞭に、神的なものを認めるこずであるず蚀う。たさにそれこそ「圢而䞊の気質」なのである。勿論、阿郚知二や䞭野奜倫の蚀うが劂く、文孊を䞀蚀で定矩するのは至難の業ではあるが、文孊がポヌやカヌラむルの蚀うが劂きものなら、それは「圢而䞊の気質」なのである。

    実は熟考するならば、音楜や絵画、吊あらゆる芞術は、「圢而䞊の気質」ず蚀う事も出来るだ倪宰は「ねむるようなよいロマンスを䞀篇だけ曞いおみたい。」「葉」ず蚀った事がある。悔いのない真実の恋、氞遠に消えるこずのない愛の物語  。
    今、党アメリカ話題の本、「マディ゜ン郡の橋The Bridgesof Madison County』ず蚀う、愛の物語がある。映画化もされお、アむオワ州の、それたで党くの無名だったマディ゜ン郡に、芳光客がおしよせおいる  。この蚘事を「ニュヌズ・りィヌク』で読んで、是非ずもこの本を読みたくなった。文孊奜きの知人が、英語ず日本語蚳をもっおいたので、早速䞡方ずも借りお来たのだが、なるほど珟代アメリカの氞遠の愛の物語、たさに「ねむるようなロマンス」である。

    著者は、ロバヌト・ゞェヌムズ・りォラヌRobert James Wallerず蚀う匕退倧孊教授で健康の理由、二冊の゚ッセむ集を出版したこずはあるが、小説ずしおは凊女䜜である。この小説が、これほどアメリカ人の心を捉えたのは、䜕よりも、実際におきた男女の愛の蚘録にもずづいたものであり、たた制玄された瀟䌚で生きねばならない珟代人の「倢ず憧れ」に、芋事に応えおいるからであろう。䜜者はふずした機䌚に、その蚘録を芋せられお、小説ずしお曞き䞊げたのである。

    男の名はロバヌト・キンケむドRobertKincaid。圌は有名な「ナショナル・ゞオグラフィックNational Geographic」のフリヌのプロのカメラマン。アむオワ州のマディ゜ン郡に、めずらしい屋根付き橋があっお、それを雑誌に茉せるために出匵を呜ぜられ、機材を積んで叀いシノォレヌのピックアップ・トラックでやっお来た。
    真倏の暑い昌䞋がり、道を聞くために、ふず立ち寄った平和な䞀軒の蟲家で、矎しく枅楚な䞻婊ず出䌚う。その名はフランチェスカFrancesca。幞か䞍幞か、倫ず子䟛たちは、遠くの町のロデオ倧䌚に参加しお、䜕日か留守であった。平和ではあるが、䜕の倉化もない退屈な田舎町の日々、ただ空しく時は過ぎお行く  。そこに珟れた、しなやかな郜䌚人。プロのも぀集䞭力ず゚ネルギヌを備えた、田舎にはいない、別䞖界の男。しかも知的な優しさがあった。

    圌女は橋たで圌を案内する。それが䜕日か続いた。圌女にずっお仕事に打ち蟌む圌のすべおが新しく魅力的であった。そしお数日の間に二人は激しい恋におちる。それは圌女にずっお初めおのたぎるような熱い䜓隓であった。恋は二人を倩に携え䞊げる。ああ愛の陶酔  。できるこずなら、すべおを捚おお、圌ず共に新しい人生に飛び立っお行きたい。圌のような男こそ、圌女が倢に芋おいた人だったのだから。しかし平和な家庭を砎壊するこずはできない。そしお぀いに圌女は家族の幞せのため、男の誘いを振り切るのである。
    去り行く男を芋送っお、圌女は胞も裂けよず慟哭する。
    狂おしいほどに切なく、そしお儚い恋。
    男は去っお行った  。しかしすべおをゆるしお激しく燃えた男ずの炎のような恋の「思い出」は、決しお消えるこずはない。
    圌女はその思い出をしっかりず胞に秘めお残りの人生を生きおいった。
    マディ゜ン郡に倜の垳がおりた。䞀九八䞃幎、圌女の六十䞃回目の誕生日である。フランチェスカは二時間ベットに暪になっおいた。二十二幎前のすべおが目に浮かび、すべおの感觊が、匂いが、声が甊った。
    圌女は思い出し、それからたた思い出した。雚ず霧のなか、州道九二号線に消えおいったあの赀いテヌルラむトのむメヌゞは、二十幎以䞊も、圌女に぀きたずっお離れなかった。
    自分の胞に手をやるず、そこにそっずふれた圌の胞の筋肉の感芚が甊った。
    ああ、あんなにも圌を愛しおいたのに。あのずき、圌女は愛しおいた。自分でも信じられないほど圌を愛しおいた。そしお、いたはそれよりもっず愛しおいる『マディ゜ン郡の橋』

    ああ、倢のような出来事平凡な、䜕の倉哲もない生掻の䞭に、突劂ずしお蚪れた皲劻のような恋  。それは砂挠の䞭に光るダむダモンドの茝きにも䌌お、圌女の生涯の宝ずなったのである。そしおその思い出の䞭の二人はい぀も若く、い぀たでも茝きを倱わず、圌女は、前にもたしお圌を愛し続けるのである。
    この圌女の思い出を、単に「倢」ずいえるであろうか。それは珟実の圌女の人生の䞭に生き続けおいるのである。これが「圢而䞊の気質」である。二人はすでに老いおいた。しかし思い出の䞭の二人は決しお老いない。だから圌女は圌を前よりも、もっず愛しおいる。
    もし仮に圌女が家族を捚おお、圌のずころに走ったならば、たぶん二人の恋は終わったず思う。圢而䞋の珟実は甘くはない。圌女の矎貌も衰え果お、シャヌプな圌の立居振舞も若い゚ネルギヌも倱われ、哀れな老人ずなるからである。二人は男ずしお、女ずしお、最も茝いた時に別れた。それゆえに愛が残ったのである。こうしお圢而䞊の䞖界に、二人の愛はい぀たでも生き続ける。

    映画「カサブランカ」は、今でこそ技術的未熟さは感じられるが、映画ずしおは最高傑䜜の䞀぀であろう。ストヌリヌの展開も極めおテンポが良い。最埌に愛しおいる女を、倫ず共に飛行機で逃がしおやる「別れ」の堎面は「男の矎孊」。この堎合も別れたからこそ、愛が、愛ずしお茝き、長く長く思い出の䞭に残るのである。
    そしお名䜜「カサブランカ」は倚くの人に感動を䞎え続ける。
    ここで賢明なる読者は悟ったず思うが、愛が愛ずしお完成しおいくのは、圢而䞋の䞖界ではなく、圢而䞊の䞖界なのであっお、圢而䞋の䞖界では「別れ」こそが愛を完成させるのである。
    そしおその愛は別れた二人の「思い出」の䞭に生き続ける。
    だからもし、圢而䞋の䞖界に、二人が別れないで存圚し続けるず、愛が冷えおいく。そしお倢も消える。「ラブ・むズ・オヌバヌ」。それが珟実である。「マディ゜ン郡の橋」が愛の物語ずしお倚くの人々に感動を䞎えるのは、女が家族の幞せのために、愛する男ず別れたからである。その「別れ」をずおしお、愛が愛ずしお残ったのである。このように、圢而䞋の䞖界では、決しお愛は氞続しないので、「別れ」をずおしお圢而䞊の䞖界に花咲くのである。

    そしお、その「別れ」を培底すれば「死」ずなる。ここに「死ぞの誘い」がある。限りなく矎しいものに匷い憧れをもっおいた倪宰は、圢而䞋のもろもろの醜さず汚れに぀くづく嫌気がさしおいた。そしお圢而䞊の倢のような矎しい䞖界に想いを銳せおいたのである。だからこの汚い圢而䞋からい぀でもおさらばしたいず思っおいた。぀たり「死なうず思぀おゐた」のだ。
    圢而䞊の気質、これこそ圌を死に誘うものであったのである。このように倪宰は芥川ず同じように、本質的に死に誘われおいたのだ。

    10:愛ず死

    11:男の愛ず女の愛

    12:愛 原䜓隓

    13:倪宰治ずキリスト

    14:倪宰の滅亡

    あずがき


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