
78日間トランサーフィン実践記録/02日目:夢の乗っとり(2025.03.30-Sun)
自分はゲームの中にいた
ある日ふと気づいた。
自分は、誰かに押しつけられたゲームの中で、必死にルールを守っていた。スタートボタンを押した覚えはないのに、なぜかレベルだけはどんどん上がっていく。操作方法も知らされずに始まったこのゲーム──つまり「人生」というやつだ。
ゲーム中は、夢中になる。夢中になることで、世界はリアルに感じられる。だがそのとき、自分はプレイヤーでありながら、同時に操られている存在でもあった。判断は鈍り、流れに巻き込まれ、気がつけば「なぜこれをしているのか」さえ忘れていた。
そこで、自分はゲームをいったん中断して、観客席に降りてみた。
観察するためにだ。
自分の姿を、役割を、行動のパターンを冷静に見てみた。誰に対して、何を守り、何を恐れているのか? 誰の期待に応えるために、どれほどの自由を手放してきたのか? そうして一歩引いた瞬間、自分ははっきりと言えた。
「今、自分は目覚めている」と。
だがその代償として、自分が信じていた“魔法の力”は失われた。つまり、安心、安全、支配、成功といったラベルが貼られた幻想たちのことだ。それらは、自動操縦で進む夢のなかでしか使えない道具だった。目覚めた自分にはもう通用しない。
面白いことに、力を失ったと感じたその瞬間、自分は逆に“本当の力”を取り戻した。
そう、これは明晰夢に似ている。夢のなかで「これは夢だ」と気づいたとたん、空を飛べるようになるように。現実でも「これは押しつけられたゲームだ」と気づいたとたん、自分は操作できる側に回る。
現実は、夢よりは重たい。慣性がある。だが支配できないわけではない。ただ、自分が無力だと信じているうちは、現実は勝手に進行する演劇のように感じられるだろう。舞台の上で、他人にセリフを決められ、与えられた役を必死に演じることになる。
だが目覚めた自分は、演者でありながら同時に観客にもなれる。演じることをやめる必要はない。むしろ、演じながら観察する。自分の選択を、自分で見届ける。そこには新しい自由がある。
誰が脚本を書いたのか、もう気にしなくていい。今は、自分が書き直している最中だからだ。