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第4話 りヌゞの物語        

    『ガゞュマルの朚の䞋でもう䞀぀の物語』 短線集             第䞀郚 暮らしから芋える沖瞄 第話


    お付き合いの長い沖瞄の䌚瀟で研修䌚を行うず、講垫の垭にはい぀もお茶ずお菓子が甚意されおいた。小さな皿の䞊には煎逅やクッキヌず䞀緒に、決たっお黒糖のお菓子が入っおいる。最初は特に意識しおいたわけではなく、䌑憩時間に䞀぀口ぞ入れ、お茶かアむスコヌヒヌを飲むだけだったのだが、沖瞄ぞ通ううちに、私は知らず知らずのうちに黒糖の味が奜きになっおいた。
    那芇空枯の土産物店をのぞくず、黒糖そのものはもちろん、黒糖を䜿った菓子や加工品が実に倚い。黒糖チョコレヌト、黒糖风、黒糖かりんずうなど、棚にはさたざたな商品が䞊んでいる。最近の健康志向も関係しおいるのだろうか。黒糖には癜砂糖よりミネラルが倚く含たれるずいう。もっずも、砂糖であるこずに倉わりはない。健康に良いからず食べ過ぎれば、結局は同じこずだろう。
    土産を買うずきにも、気が぀けば黒糖に関係する菓子を遞んでいる。         黒糖の甘さは癜い砂糖ずはかなり違い、口に入れるず、わずかな苊みず独特のコクが残る。芁するに、黒糖だけでも十分に぀たみになるのである。
    そんな䜕気なく口にしおいた甘さの向こうに、私はやがお、琉球王囜を支えた産業の歎史があり、その利益が薩摩の財政を支え、幕末の政治を動かし、さらに明治維新ず近代囜家の成立にたで぀ながっおいたこずを知った。      小さな黒糖菓子を入口にしお、りヌゞ畑や補糖の煙、その䞭で働いおきた人々の姿たでが、少しず぀芋えるようになっおきたのである。

    埳川家康が関ヶ原の戊いに勝利し、江戞に幕府を開いた頃、遠く南の琉球では、䞀人の男が島の暮らしを倉えようずしおいた。儀間真垞ぎたしんじょうである。
    野國瞜管のぐにそうかんが䞭囜から持ち垰った唐芋は、真垞の手によっお琉球各地ぞ広められた。台颚や干ば぀の被害を受けやすく、耕すこずのできる土地も限られおいる島で、唐芋は人々の飢えを防ぐ倧切な䜜物になった。しかし、真垞が琉球にもたらしたものは唐芋だけではなかった。
    そこで登堎するのがサトりキビである。島の人々はりヌゞず呌び、真垞が補糖法を導入する以前から、その茎を噛んで甘い汁を味わっおいた。

    1623幎、儀間真垞は䞭囜犏建ぞ枡る進貢船に、儀間村の若者を乗せるこずにした。
    真垞は以前から、犏建ではサトりキビの汁を煮詰め、黒糖を䜜っおいるこずを知っおいた。か぀お䞭囜で知り合った商人に曞状を送り、補法を教えおもらえるよう頌んだのである。
    問題は、誰を送り蟌むかであった。
    真垞は村の若者たちの䞭から、手先が噚甚で、物芚えがよく、蟛抱匷い者を遞んだ。さらに、䞭囜ずの亀易や倖亀に通じた久米村の人物に協力を求め、犏建で必芁ずなる蚀葉を教えさせた。
    出発を前に、真垞は若者を呌んだ。
    「お前は手先が噚甚だず聞いおいる。だが、それだけでは足りん。異囜で芚えた技を、琉球の者たちに教えるこずができるか」
    「必ず芚えお戻りたす」
    「よし。ならば、お前に任せよう。犏建には迎えおくれる者がいる。芋るだけでなく、自分の手で芚えおくるのだ」
    「はい」
    「蚀葉が通じぬずきは、䜕床でも聞け。わからぬたた垰っおくるな。琉球でも、あの黒糖を䜜れるようにするのだ」
    若者は深く頭を䞋げた。

    犏建から戻った若者は、さっそく村の職人や蟲民たちを集め、黒糖䜜りに取りかかった。
    刈り取ったりヌゞから汁を搟り、倧きな釜で煮詰めおいく。甘い銙りが挂い始めたが、最初からうたくいったわけではない。焊がしたり、固たらなかったり、䜕床も倱敗を重ねた。
    倜になっおも釜の火は消えず、職人たちは汗ず煀すすにたみれながら䜜業を続けた。やがお煮詰めた汁が冷めるず、黒い塊になった。
    真垞は小さな欠片を手に取り、口ぞ入れた。匷い甘さのあずに、サトりキビの銙りず、わずかな苊みが残った。
    「この䜜り方を、島の各地ぞ䌝えよう」
    唐芋ずは違う圢で、この黒糖もたた、やがお島の暮らしず深く結び぀いおいくこずになる。

    りヌゞの畑には、ほかの畑にはない音があった。颚が吹くず现長い葉が重なり合い、海の波のような音を立おる。畑の呚囲には月桃げっずうが怍えられ、その倧きな葉も颚に揺れおいた。月桃は沖瞄ではサンニンずも呌ばれ、䞈倫な茎は刈り取ったりヌゞを束ねるのに䜿われた。
    村の子どもたちは収穫のあずに畑ぞ入り、折れた茎を拟っお、硬い皮をむき、䞭の癜い郚分を噛んだ。するず甘い汁が口いっぱいに広がった。
    「甘い」
    䞀人の子どもが声を䞊げるず、畑で働いおいた老人が蚀った。
    「党郚食べたらいけないよ。それは黒糖になるりヌゞだ」
    「少しくらい、いいでしょう」
    「少しだから、うたいんだ」
    老人も笑い、短く切った茎をもう䞀本、子どもぞ枡した。
    子どもが腕に止たった虫を远い払っおいるず、老人は畑の端から月桃の葉を䞀枚取っおきた。
    「これを揉んで、腕にこすり぀けおごらん」
    「䜕で」
    「虫が嫌がる匂いなんだ」
    子どもは蚀われたずおりに葉を揉んだ。青く爜やかな銙りが広がった。
    「りヌゞは甘いし、月桃はいい匂いがするね」
    老人は笑いながら、月桃の茎でりヌゞの束を結び盎した。

    補糖法が広たるず、各地で黒糖が䜜られるようになった。やがお黒糖は島の倖ぞ運ばれる重芁な商品ずなり、収穫の季節には村のあちこちに甘い匂いが挂った。りヌゞを刈る者、運ぶ者、黒糖を䜜る者。子どもや幎寄りも、それぞれにできる仕事を手䌝った。そうしお䜜られた黒糖は、次第に琉球を代衚する産物ぞ育っおいった。
    江戞幕府が鎖囜䜓制を固めおいた十䞃䞖玀半ばには、琉球から黒糖やりコンが薩摩ぞ茞出され、王府による専売制床も始たったずされる。真垞が補糖技術を導入しおから二十幎䜙りの間に、黒糖は単なる甘い食べ物ではなく、王囜の経枈を支える商品ぞず倉わっおいったのである。
    しかし、その甘さが、い぀たでも人々に同じ味をもたらしたわけではなかった。
    補糖法が䌝えられた時代の琉球は、すでに薩摩の支配を受ける立堎にあった。埳川家康が江戞幕府を開いお間もない頃、薩摩は軍勢を送り、琉球を歊力で制圧しおいる。囜王も王府も残されたが、政治や亀易には制玄が加えられた。䞀方、琉球が䞭囜ずの冊封・朝貢関係を続けるこずは、その亀易から利益を埗ようずする薩摩にずっおも重芁な意味を持っおいた。
    黒糖の䟡倀が高たるに぀れお、王府はその生産ず取匕を管理するようになった。島の倖ぞ売る商品を䜜るこずず、村の家族が日々食べおいくこずが、い぀も同じ方向を向いおいたわけではない。

    圹人が垳面を持っお畑ぞやっお来た。蟲民の男は、りヌゞの向こうに残された芋畑を芋ながら蚀った。
    「りヌゞを増やせば、芋を怍える畑が少なくなりたす」
    圹人は垳面から顔を䞊げた。
    「黒糖は王府にずっお倧切な産物なのだ」
    「台颚が来たら、家族の食べ物はどうすればよいのですか」
    圹人はすぐには答えなかった。垳面を閉じるず、次の畑ぞ向かった。男はその背䞭を芋送りながら、足元の土を䞀握り぀かんだ。
    唐芋なら掘り出せば、その日の食べ物になる。しかしりヌゞは、黒糖にしお売らなければ暮らしを支えるこずはできない。そしお黒糖が重芁な商品になればなるほど、䜜った村の人々だけのものではなくなっおいった。

    補糖の季節、釜のそばで䞀人の子どもが、冷たしおある黒糖ぞ手を䌞ばした。
    「それは食べおはいけないよ」
    母芪が、その手を぀かんだ。
    「少しだけ舐めたい」
    「これは玍める分だから、勝手に取っおはいけないんだよ」
    「え、僕たちが䜜ったのに」
    母芪は答えず、子どもの手を握ったたた、その堎を離れた。甘い匂いだけは、二人のあずを远うように぀いおきた。

    ある幎、倧きな台颚が島を襲い、りヌゞは倒れ、葉が裂け、折れた茎が畑に散らばった。颚が収たるず、男は畑ぞ向かい、䜿える茎を䞀本ず぀拟い集めた。その隣では劻が泥の䞭から唐芋を掘り出しおいた。家族が今倜食べる分はどうにかなりそうだったが、男の目は倒れたりヌゞから離れなかった。
    「こっちは、黒糖にするのは無理かも」
    劻は芋の入った籠を抱えたたた、黙っお倫のそばに立っおいた。同じ台颚のあずでも、二぀の畑で心配しなければならないこずは違っおいた。
    だからずいっお、村人たちがりヌゞそのものを嫌っおいたわけではない。颚に揺れる畑は矎しく、搟りたおの汁は甘かった。黒糖はもおなしや祝いの垭にも䜿われ、働いたあずにひずかけら口ぞ入れるのも楜しみだった。   ただ、黒糖が重芁な商品になるに぀れ、生産や取匕は王府の管理のもずに眮かれ、村人たちの自由になるものばかりではなくなっおいった。
    枯ぞ運ばれた黒糖は重さを量られ、垳面に数字が曞き蟌たれた。そこには前幎より増えたか枛ったかは残っおも、誰がりヌゞを育お、どれほど苊劎しお黒糖を䜜ったのかは曞かれない。台颚のあず、倒れた畑の前で家族が䜕を心配したのかも、数字の䞭には衚れなかった。
    琉球で䜜られた黒糖は鹿児島ぞ送られ、さらに倧坂などの垂堎ぞ流れおいった。その利益は琉球王府の財政を支えるず同時に、薩摩ずの経枈関係の䞭にも組み蟌たれおいった。

    ここで、琉球ず奄矎あたみの違いにも觊れおおきたい。
    薩摩が盎接支配した奄矎の島々では、琉球王府ずは異なる制床のもずで黒糖の生産ず買い䞊げが厳しく管理されおいた。ずりわけ江戞時代埌期、黒船来航を目前にした時代には、薩摩藩の財政改革を支える重芁な産物ずなった。
    圓時の薩摩藩は、巚額の借財を抱えおいた。藩は倧芏暡な財政改革に乗り出し、奄矎の黒糖専売は、その財政を立お盎す倧きな柱の䞀぀ずなった。しかし、その䞀方で島の人々には重い負担がかかった。
    琉球ず奄矎を䞀぀の制床ずしお語るこずはできない。それでも、南の島々で䜜られた黒糖が海を枡り、薩摩の経枈を支える倧きな流れの䞀郚になっおいた。

    やがお幕末を迎える。
    薩摩藩は財政改革で蓄えた力を背景に、産業の振興や軍備の近代化を進め、幕末の政治に倧きな圱響力を持぀ようになった。その財政を支えたものの䞀぀が、奄矎や琉球の黒糖であり、琉球ずの亀易だった。もちろん、薩摩の力を黒糖だけで説明するこずはできない。海倖から取り入れた技術や人材の育成など、いく぀もの芁因が重なっおいた。
    西郷隆盛や倧久保利通らが歎史の衚舞台に登堎し、薩長同盟、倒幕、戊蟰戊争ぞず時代は動いおいった。
    私は長い間、明治維新ずいえば薩摩や長州の志士たちの物語だず思っおいた。しかし、黒糖の歎史をたどるうちに、その薩摩の財政を支えた南の島々の存圚に気づかされた。歎史の衚舞台には登堎しなくおも、名もなき人々の働きが、その時代を支えおいたのである。
    明治維新によっお新しい囜家が生たれるず、琉球の立堎も倧きく倉わった。明治政府は琉球藩を蚭眮し、その数幎埌には沖瞄県を眮いた。薩摩の琉球䟵攻から二癟䞃十幎。明治十二幎䞀八䞃九幎、琉球王囜はその歎史を閉じた。

    珟圚も沖瞄を走るず、各地でりヌゞ畑を芋るこずができる。颚が吹けば现長い葉が擊れ合い、波に䌌た音が畑䞀面に広がる。収穫されたりヌゞの倚くは砂糖の原料ずなり、黒糖は今も沖瞄を代衚する特産品の䞀぀である。

    珟圚、沖瞄県には砂糖の原料ずなる粗糖を造る分蜜糖工堎が九工堎、昔ながらの補法で黒糖を造る含蜜糖工堎が八工堎ある。黒糖工堎があるのは、䌊平屋島、䌊江島、粟囜島、倚良間島、小浜島、西衚島、波照間島、䞎那囜島の八぀の離島である。

    先日、䌊平屋島を蚪れたずき、島の黒糖が最近䜜られなくなったず聞いた。生産コストが䞊がり、採算が合わなくなったずいう。䌊平屋の黒糖を知っおいる旅行者たちは、残念がっおいた。

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    䌊平屋「クマダ掞窟」より海を望む

    研修䌚の垭に眮かれおいた小さな黒糖菓子も、その長い時間の先にあったのだず思う。私は長いあいだ、それを䜕気なく口にしおいたし、今でも黒糖は奜きである。わずかな苊みずコクのある甘さは以前ず倉わらない。しかし、その味の向こうに、りヌゞ畑を枡る颚や、煙の䞭で釜を芋守った人々の姿を思い浮かべるようになった。黒糖の歎史を通しお、これたで知らなかった琉球ず日本の぀ながりを教えおもらった気がする。

    ※本䜜品は史実をもずにしおいたすが、儀間真垞による若者の遞抜、久米村の人物の協力、犏建の商人ずの亀流、補糖堎や蟲村での䌚話など、䞀郚に創䜜を含みたす。


     
     
    東京生たれ、慶應矩塟倧孊経枈孊郚卒。䜏宅・建蚭業界で党囜3,000瀟超を支揎。20幎以䞊通う沖瞄の歎史や暮らし、人々の蚘憶を描く。『ガゞュマルの朚の䞋で』䞉郚䜜を執筆。第䞀郚短線集25線・゚ッセむ『ピンコロ日蚘』無料公開䞭。フォロヌよろしくお願いしたす。

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