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Photo byhiilagram

アーティストの実力とは、つまるところ「これぐらいでいいか」のハードルの設定位置なのかもしれない

    なんかタイトルが長くなってしまいました。

    美術作品に本来優劣はないと思っています。感性も好みも人によって違いますから、ある人にとってはものすごく心に響くような作品であっても、ある人にとってはつまらない作品である、ということは当然起こりえます。

    とは言え、現に美大・芸大では合格する人と不合格になる人がいます。また、長い歴史の中で淘汰されて消えてしまう作品とその荒波を乗り越えて現存し名作と呼ばれる作品があります。
    アーティスト(作り手)の実力差という言葉が正しいかわかりませんが、一体なにがこうした違いを生み出すのでしょうか。

    私は美術史、つまりすでに歴史の淘汰をくぐり抜けてきた作品だけを対象とする学問からこの世界に入ったので、この問いに対する答えを持ちあわせていませんでした(というより、考えたこともなかったという方が正しいかもしれません)。

    でも、今は曲がりなりにも美大に勤めておりまして、先ほど言ったように美大の受験生が合格・不合格に振り分けられるのを目の当たりにするわけです。と言っても、私は実技試験の採点をするわけではない(できない)ので、何を持って差を付けているのか正直よくわかっていません。
    また、一般大が国内では東大を頂点とした偏差値によるランク分けがあるように、美大・芸大もなんとなくヒエラルキーがあります。当然そのトップは国立の東京藝大となります。何がそのランクを作っているのでしょう。歴史の長さ?大学の知名度?

    各大学の卒業制作展をのぞきにいくと、もちろん天下の東京藝大でも今一つな作品もありますし、他の美大でもうなるような作品に出会うこともあります。それでも、うまく言葉にできないもののやっぱり全体的な実力差みたいなものはあるよなぁ、と漠然と思っていました。

    で、学園祭(大学祭)ですよ。いまあちらこちらで学園祭が行われています。全部を見て回ったわけではありませんが、まぁインスタグラムなどで各大学の学園祭の様子なども流れてくるので、それを眺めています。

    そこで気がついたのですが、別に作品に限らずとも、大学によってクオリティに歴然とした差があるのです。
    たとえばゲートや会場、そしてブース(出店)の装飾です。プロ顔負けの圧倒的なクオリティで仕上げている大学もあれば、すこし言葉は悪いですが中学や高校の文化祭と大差ない「みんなでがんばって作りました」感のある大学もあるのです(伝わるかな?)。
    面白いことに、このクオリティの差は、わりと世間で言われている大学のヒエラルキーと相関しているように感じました(まぁ、そういう前提で見ているからかもしれませんが)。

    もちろん学生にとって、一番大事なのは学園祭の中で発表する作品や演し物(だしもの)であり、会場やブースの装飾は最重要事項ではないでしょう。だから適当でいいやとするか、やるからには全力を注ぐか、は人によって違うのでしょう。
    この違いを別の言い方にすると「これぐらいでいいか」のハードルをどのあたりに設定するか、です。

    創作において「これぐらいでいいか」の判断はあらゆる場面で関係してきます。そもそもコンセプトというか、どこまで深く思索するか。技術的な面でもどこまでの完成度を求めるか。このハードルの設定位置が美大・芸大の上位校ほど常人離れしているように感じます。

    美大・芸大の入学試験で課されるデッサンひとつをとっても、この「これぐらいでいいか」のハードルを描き手がどこに設定しているかが見えてくるから試験に設定されているのでしょう。
    前までは、デッサンが上手いからって必ずしも良い作品が作れるとは限らないのでは?というか、入学してからデッサン全然関係ない抽象画やインスタレーション作ってるよなぁ。などと不思議に思っていたのですが、今回のことですこし腑に落ちました。

    つまり、デッサンでここまで追い込める人なら、コンセプチャルな作品に挑んだ場合でも徹底的に自問自答を重ねて創作できるし、デザインのジャンルでも工芸のジャンルでも他のジャンルでもそれに必要なベクトルでどこまで追求していくことができる(はず)、ということなのでしょう。

    なんとなくスッキリしました、自分の中で。


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