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人生で唯一、英語で爆笑をかっさらった日

    息子は小4になり、食べる。
    とにかく食べる。
    家族のなかで一番よく食べるのは、ダントツで息子です。

    この前の土曜日、習い事の終わった息子を迎えに行くと、こちらの顔を見るより先に「お腹減った」とひと言。挨拶でも、報告でもなく、もはや訴えに近い切迫感がそこには滲んでいます。

    僕らは、近くにあるフードコートへと足を向けることにしました。
    時刻は14時。ピーク時を過ぎたとはいえ、ぐるりと見渡しても、空席はそう簡単に見つかりません。
    やっとの思いで確保したのは、長テーブルに椅子がずらりと並ぶ、カウンター席のような一角。息子と横並びに腰を下ろします。

    隣に座っていたのは、ベビーカーに赤ちゃんを乗せた若いご夫婦でした。
    代わる代わる子どものお世話をしながら、味わうというより、流し込むという表現のほうがしっくりくる食べ方をしています。お母さんは定食を、お父さんはつけ麺を、それぞれかき込んでいました。

    僕らが腰を下ろすと、二人はすぐにベビーカーの位置を気にする素振りを見せてくれました。赤ちゃんのお世話をしながらの食事。余裕がないはずなのに、それでも他人に気を遣う隙間がちゃんとある。
    なんだかこちらが申し訳なくなって、「ありがとうございます、全然大丈夫なので、お気になさらずに」と声をかけます。

    横にいる息子の横顔を見ながら、うちにもこんな時期があったな、としみじみ思い返します。当時の大変さが蘇ってきて、若いご夫婦に向かって、心のなかでそっとエールを送ったのでした。

    ズルッ、ズルズルッ。
    お父さんがつけ麺をすする小気味よい音が、横から鳴り響いてきます。
    ラーメン好きの僕としては、音を立てて啜ってこそ麺は美味しい派なので、そのシズル感あふれる食べっぷりに、お見事、と内心で拍手を送っていました。

    ほどなくして、お腹を空かせた息子のところにもラーメンが届きます。
    僕は昼を軽く済ませていたので、勢いよくすすり始めた息子を、横でぼんやり見守ることに。

    ふとテーブルに目を落とすと、隣のお父さんのトロトロと濃厚そうなつけ汁の飛沫が四方八方に飛び散っていました。よく見ると、その勢力はじわりじわりと、僕らのテーブルの方へ。

    それに気づいたお父さんが、慌てた声を上げます。

    「すみません! うちのが飛んじゃってまして!」

    ベビーカーのフックからウェットティッシュを取り出すと、素早く拭き取りはじめました。

    「いえいえ、全然ですよ」

    咄嗟に出た言葉に、嘘はありません。
    実際、僕はその飛沫に対して、1ミリも何とも思っていなかった。むしろ、ついさっきまで隣のご家族を眺めて昔を懐かしみ、心のなかでエールまで送っていたところだったのです。

    それでもお父さんは、申し訳なさそうにテーブルを拭き続けています。
    どうかこの後は気にしないで、豪快に、美味しくつけ麺を啜り切ってほしい。その思いが、つい口から先に出てしまいました。

    「うちの子ども見てくださいよ、こっちのほうがよっぽど汚しますから。本当に、全然大丈夫ですよ」

    ──しまった、と気づいたのは、言い終えた後でした。

    斜め向かいから、奥さんがニコニコと、しかしどこかやれやれといった表情でこちらを見ています。

    「あなた、お子さんと比べられちゃってるわよ。本当に食べ方汚くて、すみませんねー」

    お父さんは耳まで真っ赤にしながら、「そういうこと言うなよ」という目で奥さんを見つめていました。

    本当に、そういう意味ではなかったんです。
    僕はただ、せっかくの外食の機会に、周りのことなんて気にせず楽しんでほしかった。気にするほどのことじゃないですよ、というニュアンスを、なんとか伝えたかっただけなんです。

    良かれと思って差し出した言葉が、一周まわって誰かを赤面させる。気を遣ったつもりの言葉が、いちばん余計なひと言になる。

    人との会話は、瞬発力が勝負だと、つくづく思います。
    その瞬発力が、僕にはどうにも欠けています。気を利かせているつもりが、意図せず余計なひと言となって、相手の耳に届いてしまうのです。

    そういえば、似たような失敗を学生時代にもしでかしたな── と、ふと思い出しました。


    僕が、人生で唯一、英語で大爆笑をかっさらった日の話です。
    正確に言えば、これも先ほどと同じく、意図せず口にした余計なひと言が、結果として大爆笑となっただけなのですが。

    大学生になった僕は、ある年の夏、高校時代にアメリカでお世話になったホームステイ先の家族を訪ねて回ったことがあります。
    そのうちのひと家族に、小学三年生にあたる女の子がいました。ご縁あって、彼女のクラスにゲストとして招かれ、子どもたちに日本のことを紹介する役を仰せつかったのです。

    教室は、それは賑やかなものでした。質問が、矢継ぎ早に飛んできます。

    「日本人って普段、何を食べてるの?」
    「日本人は中国語も話せるの?」
    「日本では、どんなスポーツが人気?」

    片っ端から答えていきます。
    そこへ、ある女の子から、こんな質問が飛んできました。

    「ガールフレンドはどんな子?」

    その瞬間、教室の空気がふっと変わります。
    恋バナとなれば、どの国の小学生も同じです。みんなニコニコしながら、「写真見せて!」「どんな子?」と、口々に煽ってきます。

    "Unfortunately, I don't have a girlfriend."

    当時、本当に恋人のいなかった僕は、正直に答えました。
    せっかく面白くなってきたのに…と、教室の温度が一気に下がります。

    "...So, I'm looking for one."

    苦し紛れに継ぎ足してみたものの、一度冷えた空気は、そう簡単に温まってはくれません。せっかく質問をしてくれた女の子にも、申し訳ない。何か気の利いた切り返しを、と必死に頭を巡らせます。
    そして、口から飛び出してきたのが、これです。

    "Do you have a boyfriend?"

    恋バナが好きな子なのだから、恋バナを振り返してあげれば盛り上がるはずだ── 咄嗟の思いつきが、いま思えば運の尽きでした。
    次の瞬間、教室中が爆笑に包まれます。質問をくれた女の子は、頬を真っ赤にして、うつむいてしまいました。

    何が起こったのか飲み込めず、僕の頭はフル回転します。

    「ガールフレンドはどんな子?」
    「残念ながら、ガールフレンドはいないんだ」
    「だから、いい子を探しているんだ」
    「君は、ボーイフレンドいるの?」

    ガールフレンドを募集中だと宣言したばかりの日本人大学生が、すかさず小学三年生に「君、彼氏いる?」と切り返し、その女の子が恋人候補になっているという構図が、見事に出来上がっていたのです。

    それをジョークと受け取った教室は大盛り上がり。こういうジョークがアメリカ人のツボなんでしょう。同行したホストファザーは、すぐさまハイタッチまで求めてくる始末でした。

    真っ赤になった頬を、ますますうつむかせる女の子に向かって、僕は心のなかで深々と頭を下げました。「恥ずかしい思いさせてごめんね、本当にそういう意味じゃなかったんだ」と。


    あのときの女の子の頬と、お父さんの真っ赤な耳が、僕のなかで重なります。

    あの女の子も、今ごろは20代後半に差しかかっているはずです。
    「子どもの頃、日本から来たお兄ちゃんに、いきなりナンパされたの」
    そんなふうに、今でもどこかの飲み会のネタとして披露してくれていたら、嬉しい。あの日の余計なひと言が、彼女のちょっとしたエピソードとして残ってくれているのなら、それはそれで悪くない気がしてきます。

    そして、フードコートのあのお父さんも、家の食卓で奥さんに何度もからかわれているはずです。
    「あなたほんと、よく汚すのね」
    苦笑いするお父さんの隣で、奥さんはきっと、僕に向けたときと同じ、ニコニコと、しかしどこかやれやれといった表情を浮かべているのでしょう。

    僕の放った余計なひと言が、あのご夫婦の話のネタになっていたしたら──まあ、それくらいで勘弁してもらえたら。

    そんな勝手な願いを抱きながら、僕は息子の隣を、家までゆっくり歩いて帰ったのでした。

     
     

    Gen

     
     
    都内在住、2児の父。リモートワーク中心の会社員。カルチャーが好き。|音楽|映像|料理|お酒|アメリカ|

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