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硝子の靴異譚01|合コンの拾いもの|シロクマ文芸部《サンダルで》

    「サンダルではあらぬか、これは!」

    深夜をはるかに回り、宴も尽き果てた地下の合コン会場。
    彼はひとり訝しがりながら、テーブルの下に片方だけ残された履き物をつまみあげた。サンダルならば、まだお上品な方、いわゆる女物の由緒正しきつっかけである。

    その瞬間、世の理がかすかに揺らいだ。つっかけ一足ごときに、である。
    そして、わたしの語りがそれに触れてしまった。
    理とは、観測によってたちまち形を変える陽炎のようなものである。
    だが、そのきっかけとはえてして些末なものだ。ほれ、あの日あの時あの場所で、というやつである。

    さて、わたしはそれを見守るつばさにでもなるとしよう。それともそれをつつむ風がよいかな。いずれも触れれば切れる鋒のようなものだが。──そうそう、わたしの語りは、副音声ぐらいに思うておけよ。

    「しかも、片足のみで、いかにして帰ったというのだ」

    それにしても、先ほどからの語り、会場の片付け係にしては、いささか口調が大仰であらむと思った諸君。まずは落ち着かれよ。じきに、かぼちゃの馬車が来る頃合いである。
    彼こそは、中世より綿々と続く、さる王制国家の第一位王位継承者であり、ただ今絶賛婚活中の王子様であらせられる。ときは後期ヴィクトリア朝あたり、いずこは本邦旧帝都などを想起されたし。

    5on5で行われたお見合い式コンパ。今どきこんな古典的な婚活の場があってよいものかと、胡乱に思うやもしれぬ。だが、ここは王制もあれば、合コンもある、何でもありの世界である。ゆえに、一国の王子様が手ずから飲み会を片付けておる。最後は乱痴気騒ぎとなってしまったが、そもそも合コンとは何であったのか?それほどまで、呑まなければよろしかろうに。

    「これはいかがしたものか。しかし、サンダルとは豪気よの」

    王子様はその履き物をつまんだまま、宴卓の上の皿やら空きグラスやらを呆れ気味に眺めた。王家の品位を著しく損なうほどの散らかり具合である。これをこのままにしては、王家の名折れ。お城には戻れない。

    王子様は、誠実かつ明朗会計をモットーとしておる。ゆえに、一次会の片付けまで責任を持って遂行するのである。……いや、そういう問題ではない。昨今の王国が、何かと緊縮財政なのは分かるけれども、一緒にいるはずのお付きの者はどうしたのだ?

    「これでは、ただの宴会部長ではあらぬか」

    王子様は独りごちた。腹心の宰相子息が、意気揚々と引き揚げてから久しい。二次会のカラオケに行くとて、「王子、あとはお任せしましたぞ!」と、まるで王国の命運を託すかのような顔つきで去って行ったのだ。その実、あいつが、ウェイ勢のノリですべての女の子(と従者)を連れ去っただけだ。腹心の宰相(略)とは名ばかり。実態はウェイ勢の先鋒にして恋敵である。

    王子様はむくれた。必ず、かの傍若無人の腹心を諫めねばならぬと決意した。
    王子には色恋がわからぬ。王子は一国の王位継承者である。幼き折より帝王学を学び、召使いに傅かれて暮してきた。けれども色恋に対しては、人一倍に奥手であった。

    「……余も、一緒にシャウトしたかったものを」

    臣下、国民問わず誰ともわけへだてなく笑い合いあってみたかった。物心ついた頃より、周辺にはたくさんの配下がいたが、同年代で、友と呼べる者は宰相くんぐらいしかおらなんだ。しかも、その宰相くんは、今や魂を売り渡しウェイ勢に堕ちた。王子様は深いため息をついた。その嘆息の質量は、深窓の威厳よりも、生活臭にまみれている。
    大丈夫なのであろうか、この王家は?

    まさに危急存亡の刻である。……と、記録院なら書くところだが、実際はただの呑み会で、その後始末である。今宵のコンパで意気投合し、その場で電撃婚約の如き事態ならいざ知らず、実情は静電気が発生するほどの接触もなし、恋の火花どころか気配さえも揺れていない。記録院の年報に載せるほどの事件も起こりえなかった。

    だが、兎にも角にも、会場のこの惨劇とシンデレラの忘れ物だけは何とかしないと。……いや、ますますたいしたことはない気がしてきた。いずれも、王子様のお小遣いで何とかなりそうな規模だ。

    「しかし……豪気なのか、ただの粗忽なのか……」

    この際、そのつっかけが豪気でも粗忽でもどうでもよい。問題はそこにないからだ。

    「余は、必ずや持ち主を探さねばならぬ」

    王子様は、つっかけを眺めながら、その賢明な、しかし酩酊気味の頭脳をどうでもよいことにフル回転させた。

    「……まずは、国内の女性に須く、この履き物を試着させる──」

    ストーリーテラーとして、ここで強く奏上いたす。王子様よ、厳にやめていただきたい。我が国へのインバウンドが爆発的に増加した昨今、捜索の対象は国内に留まらず国外にも広げる必要がある。否、それ以前に国家予算と国家威厳を、合コン帰りのつっかけ探しに費やすのは、いかに何でもやりすぎである。むしろ、女性の九割は履ける。

    ──そう、唯一の遺留品は、ルーズフィットの白いつっかけである。ガラスの靴のように、持ち主をただ一人に特定できるような精密機器ではない。むしろ、履けないほうが珍しい。ここに、国家的つっかけ捜索計画の根幹が、足元から揺らぐ音を聞いた。履き物だけにな。

    ここに、事態は収拾したかに思われた。にもかかわらず。王子様は、つっかけを胸元に掲げ、まるで聖遺物でも扱うかのように厳かに言い放った。

    「まずは、宰相に命じて速やかに国王令を発出し、ついでに息子の再教育も──」

    王子様は、ウェイ勢男子への嫉妬混じりに決意した。いや、王子様、それこそ記録院が一斉に書きたてますぞ。『暗愚な君主により国家的つっかけ捜索行わるる』と。

    まさにそのときである。

    ◇

    階段を硬質なタッタッタッタ──否、ぺたぺたぺたと軽い音が転がり落ちてきた。

    続いてウィーン。
    気の抜けた自動ドアが横に滑る。
    ただし、ここは煌びやかな音楽の都ではない。何度も言う。ただの地下の合コン会場である。

    息を切らして、娘が駆け込んでくる。
    片方だけ裸足。ほつれた薄紗の脚衣。
    髪は千々に乱れ、左手の缶酎ハイは、夜の湿度にあたって汗をかいている。
    それはまるで、外気にはじめて触れた鐵が、ひそかな熱を宿すように──。

    「そ、それ、わたしの靴です!」

    今夜の合コンに勢い込んで参加した隣国王女。芋焼酎を片手に、パスモの利便性などを熱く語っておったか。あまりに生活感が強すぎて、隣国の未来を案じた記憶がある。

    わたしの「靴」とな?王子様は、まるで似つかわしくないほどに厳かに、その「つっかけ」を掲げた。

    「そなた、この豪気なる履き物の主か」

    姫は、胸を張って答えた。

    「はい。……ただし、ただの呑んでれら。です」

    その言葉の端には、酔いどれと誇りと、ちょっとのかわいさと、汚部屋に空き缶が散乱していそうな生活臭が同居していた。そして、王女がつっかけで合コンに来るような隣国の国家情勢は、わりと危ういと思われる。隣国はもしや財政破綻でもしておるのか、少なくとも誇らしげに胸を張る場面ではない。
    そして、わたしは断じてツッコまないぞ。もはや疲れた。湯船の揺らぎがわたしを誘っておる。

    「宰相(略)氏とのカラオケは?」

    「ふっ。あのようなチャラ男など。つっかけで叩いてやろうかと──」

    姫の瞳の奥には、その刹那、小さな炎が揺らめき、次の瞬間、ふっと立ち消える。

    「そこで気付いたのです。──つっかけも片付けも置き去りでしたわ」

    姫は、ウェイ勢に置いて行かれたのではない。宰相子息を切り捨て、突如つっかけ回収に転じたのである。どんな些細なことも置き去りにしない、そういう娘のようだ。つっかけと片付けの順位づけについては、胸の内に委ねるほかあるまいが、どちらにせよ、合コン会場の、王子の元に戻ってきたことだけは確かだ。

    「門限はよいのか?」

    「探していたら、門限というか、終電を逃してしまって……」

    この娘は先ほどより、ものごとの優先順位がいささか怪しい気がする。一国の王女ともあろう者が、国家的外交行事に参加するのに、国元の送迎もないのか。そして、サンダルの片割れは、門限を破ってまで探すものなのだろうか。

    「ならば場を移して、余とオールナイトなどどうだ?ドリンクバーなど奢ろうぞ」

    王子様は、そう姫を目くるめく一夜に勧誘した。ただし、舞台は系列ファミレスのソファー席。豪華な舞踏会ではない。頭上に燦めくは節電モードのLED照明で、瀟洒なシャンデリアではない。

    よし、深夜料金の上乗せ分はウェイ勢に払わせよう。王子様は、国家元首の息子にあるまじき庶民的な決意をした。うむ、我が国の国家財政と王位継承者の経済観念も、些か心配になってきた。

    一方の王女は、なぜかとても恥ずかしそうにはにかんだ。

    「喜んでお受けしますわ。でも、ドレスコードは大丈夫かしら?」

    つっかけの珍妙さとは裏腹に、姫の声は妙に慎ましやかであった気がする。

    ああ、どうやら、姫は庶民食堂と足元の調和を気にしているらしい。
    そして、王子様よ、分かりやすいトスが上がっておる。喰い気味にツッコむのが、スマートな会話術というもの。されど、それを逃がすは、些か口惜しや。

    まあ、よいのではないか。深夜のファミレスとは、元来そういう場所である。むしろ、この期に及んで今さらのドレスコードを心配するより、別の未来を案じて欲しい。
    ただ──それでは、紅差す頬がどうにも説明できぬ。酔いの火照りにしては、あまりに初々しい。ひとえに、ストロング酎ハイのあな恐ろしや。

    「そう、こうじゃないとしっくり来ないのよ」

    そんな、わたしの疑念などどこ吹く風で、ぶつぶつと独りごちる姫。定めしつっかけにフィット感が語れるほどの、テーラーメイドの話をしておるのだろう。隣国に財政破綻あらば、隣国のこの浪費癖によるものではあらぬか。

    だが、その声色だけは妙に柔らかかった。もしや、つっかけがきっ……いや、断じて為らぬ。喉元にせり上がった野暮な語呂合わせを、わたしは辛うじて呑み込んだ。

    これまでのやり取りで、王子様の胸の内がどう動いたかは知らぬ。ただ、わたしはこの瞬間だけは、彼に衷心から共感する。つっかけからはじまる、ボーイミーツガールの在りや無しや。ただひとつ言えることは、我慢の限界に達した王子が、案の定ひとつだけ尋ねたことだけである。

    「なぜ、サンダルで……?」

    それは浪漫の対極。出会いの場には、ガラスの靴が定番中の定番であろう。

    「ヒール?ふっ。あんなものでは走れないでしょう。これが最適よ」

    姫はにっこりと微笑んだ。そして、しなやかな黒猫のように、ひとつ、伸びをした。

    ゲネラルパウゼ──

    ◇

    「──うむ」

    暫し後、再起動した王子様は、ひとつ深く頷くと、それきり息を呑んだ。

    ……

    ああ、浪漫どころの騒ぎではない。だが、今宵、地下の合コン会場で起こりしことは、もっとも原初的で、もっとも素朴で、もっとも強烈な地殻変動であった。わたしはこれに決してツッコめない。

    ただ、人生とはまさに奇なるものである。
    つっかけ片手に、缶酎ハイを飲みながら駆け込んできたこの娘こそ──

    後に国家を揺るがす大事件……いや、我が国の次期王妃となる人物である。

    いや、王家が揺さぶられる意味では確かだが、同時にきっと面白い未来を迎えるだろう。

    定めし目が離せなくなるほど心配でもある。だが、こういう娘が王妃になる国ならば、舵取りはむしろ安泰なのかもしれぬ。

    ◇

    まあ、ここらでひとつメタな発言を許していただけるのであれば──

    つっかけひとつで未来が変わるのが、人生というやつである。
    それは、履き古した履き物のように、思いがけず足にフィットするものであるようだ。

    おしまい。

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