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水色の栞|シロクマ文学部《借りた本》

    借りた本には、水色の栞がいつも挟まっていて、端正な筆跡で和歌の一節が置かれていた。

    「恋ぞつもりて 淵となりぬる」

    怪我で部活を引退して居場所がなくなり、半ば「東下り」のような心境で、隙間を埋めるように、図書館の隅に収まった頃。見えない相手からの名もなき干渉は、薄青い空気には、あまりに不釣り合いだった。
    しかし、それが幾たびも続くと、誰かから誰かへの拙い好意であることがおぼろげに分かってきた。
    ずいぶん不確実で遠回りな方法である。高校の図書室の本なんて、誰が借りるかは分からない。受け手が誰でもいいわけでもあるまい。まして意中の人に届く確率なんて。
    そう考えると、恋文の主が不憫に思えてきた。想いは届いたのだろうか。

    放課後のグラウンドの喧騒が、この世界の片隅にも微かに届いた。
    ふと視線を感じると、図書委員の内気な後輩が静かに微笑んでいた。

    その時、ようやく僕は気がついた。あの端正な恋文は、偶然ではない。
    どの棚から本を選んでも、必ず栞が挟まっている理由。
    不確実でも匿名で波間に漂う瓶でもなく、はじめから標的はひとりに定まっていた。それが、貸出処理の彼女の手によるものであれば、すべては静かな必然になる。

    切りそろえた幼な髪に結んだリボンが揺れた。
    僕が気づいたことを、彼女はもう知っている気がした。そして、気づかれることを、静かに待っている気がした。
    だけど、居場所さえない僕に、誰かが想いを寄せるなんてあるはずがない。

    「われ思ふ人は ありやなしやと」

    僕は、どこか決まり切らない業平擬きを栞にしたためて、何気ない顔で本を返した。
    カウンターの向こうで、白い指が本を丁寧に受け取り、本の背をそっと撫でた。
    俯いていて、彼女の表情までは窺えない。しかし、その愛しげな仕草が、言葉よりも確かな回答のように思えた。

    次に借りた本は、普段なら絶対に借りない哲学書だったが、果たして、水色の栞に僕宛の恋文がしたためられていた。

    「人に知られで くるよしもがな」

    ショーペンハウアーの隅っこで、ほんものの三条右大臣が震えていた。
    上の句が、贈歌のそれにそっと重なり、匿名のふりをした名指しの、繊細にして大胆な告白となって立ち上がった。
    過去へ引き戻そうとする放課後の喧騒が、ふと息を潜めた。
    ああ、これこそが「名にし負ふ」恋のはじまりというものか。

    彼女が顔を真っ直ぐに上げた。
    背から夕方の薄茜が差して、栞と同じ水色のリボンがふわりと揺れた。

    #水色の栞シリーズ #図書室 #栞 #借りた本 #百人一首 #伊勢物語 #東下り #名にし負はば #高校生の恋 #恋のはじまり #あわい #静かな攻め #こんな後輩ちゃんが欲しかった #文学的実験 #シロクマ文芸部 #わたくさす節 #恋愛小説が好き #古典がすき


    ▼ここからはネタバレが書かれています。

    わたしの作品は三層ほどで解釈が可能ですが、この掌編はその中でも最奥層の文化的背景の構造が複雑です。
    それを語っちゃいたい欲はマックスですが、世の中に作者自身の解説ほど無粋なものはありません。

    それでもなお解説が必要だという奇特な方がいらっしゃれば、“何とも恥ずかしい自作解説”を、どうぞご覧ください。



    ーーー
    ほんとうに無粋なので、帰った方がいいですよ。




    やっぱり戻る▲
    それでも進む▼





    ーーー(警告・ネタバレ)ーーー

    僕は、部活を引退して居場所がなくなり、半ば「東下り」のような心境で、隙間を埋めるように、図書館の隅に収まっていた。
    借りた本には、いつも水色の栞に和歌が挟まっていた。
    誰かが不特定の誰かに宛てた匿名の恋文だと思っていた。

    アノニマスな恋?いいえアクティブ・ホーミングな恋でした。

    ◇登場人物

    • 語り手:高校3年生。元運動部。怪我で早期離脱し、教室にも居場所がなく、図書室の隅で沈み込んでいる。

    • 後輩ちゃん:高校2年生。図書委員。奥ゆかしい性格(に見える)が、実はかなりの戦略家で、たぶん肉食系。

    • 陽成院:百人一首13番「つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる」の作者。募る恋をそのまま詠んでしまうディープなお人。

    • 東下り:「伊勢物語」の有名な段。都に居場所をなくした若者が、心の重心を失い、自我を探して東国へ漂流する話。

    • 昔男:東下りのクライマックスで「名にし負はばいざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」と詠んだ人。気になる人がいるなら、帰ればいいのに。原文は「わが思ふ人はありやなしやと(わたしの大事な人は、寂しい思いをしていないだろうか)」、引用は「われ思ふ人はありやなしやと(わたしを想ってくれる人は、はたしているのだろうか)」。

    • 業平:在原業平。プレイボーイかつ軽薄な男(私論)。「伊勢物語」の主人公の「昔男」と同一視されることがある。

    • 三条右大臣(藤原定方):百人一首25番「名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな」の作者。人に知られずあなたのもとへ行きたい、というこれまたディープな恋文を送る人。

    • ショーペンハウアー:ドイツの哲学者(らしい)。本編では、思想の深層などどうでもよく、後輩ちゃんが図書委員の権限を悪用して私信を忍ばせているのでは?という推理の検証に使われただけの不憫な人。

    ◇かいせつ

    表層:高校図書室の恋

    水色の栞、図書委員の後輩、薄青の図書室、和歌の交換、夕方の薄茜。
    匿名のように見える栞は、実は後輩ちゃんが貸出処理の瞬間に語り手だけへ忍ばせた恋文。
    アオハルの一ページ。こんな後輩ちゃんが欲しいだけの高校生活だった。

    中層:平安的恋愛のプロトコル(和歌による通信)

    後輩:恋ぞつもりて
    → 語り手:僕を思ふ人など
    → 後輩:人に知られでくるよしもがな

    少し背伸びした知的なやり取り。後輩ちゃんが主導しているという一点だけで、世の後輩属性の諸兄姉は全員まとめて成仏する。
    ちなみに、都鳥の歌とさねかづらの歌の上の句が「名にし負はば」で一致しているところに、後輩ちゃんの知性と覚悟を感じ取ってください。

    深層:漂流(存在論)と存在の承認

    怪我で部活を引退し、居場所を失い、寄る辺なく漂流していた語り手と、その孤独を見つめていた彼女の静かな戦略が交差する物語。
    「僕を必要とする人なんているんだろうか」という語り手の問いに対し、後輩ちゃんは 匿名のふりをして名指しをする という剛胆な恋の戦略で応答する。
    その成立によって、語り手の「東下り」は終わる。

    深層の補足(沼の底)

    物語の底には、平安の恋が持つ「名乗らぬまま想いを送る」という文化的構造と、現代の匿名文化が重なっています。
    栞はその二つをつなぐ“触媒”。
    そして、隠しているように見えて、栞のリボンと髪のリボンが最初から同じものだったりするあたり、後輩ちゃんはかなりの戦略家なのだろうという蓋然性を感じます。
    ここまで来るとアオハル小説なのか、少しヤンデレな話なのか迷うところですが、
    まあそれで両名が幸せなら何も言うまいて。

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