
転生先はホホジロザメでした。最強になるまで、泳ぎ続けて
おめでとうございます。今回の転生先は、ホホジロザメです。
海のてっぺんに立つ、強いハンターとして知られています。けれど、最初から無敵だったわけではありません。
生まれる前の暗いお腹の中から、旅が始まります。
暗いお腹のなかで卵を食べる
ここは、お母さんのお腹の中です。外の光は届かず、液に満ちた子宮という部屋に浮かんでいます。
そばには数匹のきょうだいたちがいます。

お母さんの体からは、栄養がたっぷり溶けこんだ特別な液が染み出しています。この液に包まれ、小さな体は守られて育ちます。
さらに、お母さんはお腹の中に、ごはんになる卵を送りこんでくれます。赤ちゃんを育てるための卵で、栄養卵と呼びます。
きょうだいとこの卵を食べて、少しずつ体を大きくしていきます。きょうだいを食べるのではなく、栄養のための卵を食べて育つのです。

一頭だけで外の海へ
いよいよ、外の海へ出る日がやってきました。
お母さんの子宮を出たとき、体の長さはすでに一メートルを超えています。生まれたばかりなのに、立派な体です。
けれど、あたりを見渡しても、お母さんの姿はありません。ホホジロザメは子どもを産むと、すぐに去っていきます。
ごはんの捕まえ方を教えてくれる親も、守ってくれる家族もいません。
お腹の中で蓄えた力だけを頼りに、一頭だけで広い海へ泳ぎ出します。ここからは、自分の力だけで生きていくのです。

泳ぎ続けないと息ができない
泳ぎ出してすぐ、体の大切な仕組みに気がつきます。動きを止めてじっとしていると、息が苦しくなるのです。
ホホジロザメは自分でえらに水を吸いこむ力が強くありません。口を開けて前へ進み、えらへ新鮮な海水を流しこんでいます。
泳ぐことで水の流れをつくり、海水に含まれる酸素を取りこんでいるのです。

もしも進むのを完全に止めてしまえば、呼吸ができなくなってしまいます。
生まれたその瞬間から、生きているかぎり前へ泳ぎ続けなければなりません。
浅い海にひそむ見えない網
幼いころに暮らすのは、陸に近い浅い海です。波が穏やかで、小さな魚がたくさん泳いでいます。
海底の近くを泳ぎ回り、小魚を追いかけて少しずつ成長していきます。

しかし、浅い海には人間が仕掛けた網が沈んでいます。海の底にカーテンのように張られた、刺し網という漁の網です。
魚を捕まえるための網に、若いサメがうっかり絡まってしまうことがあります。

体が引っかかると、もがいても前へ進めません。えらに水を通せなくなり、強い体を持っていても命を落としてしまいます。
網をすり抜け、浅い海を泳いでいきます。
知らないうちに受け取っていたもの
網を避けて育った若いサメたちにも、不思議なことが起きていました。
アメリカの南カリフォルニアの浅い海で、生まれたばかりの若いサメ二十匹を調べた研究があります。
肝臓から、人間が昔使った農薬のDDT(ディーディーティー)や、化学物質のPCB(ピーシービー)が見つかりました。
生まれて一年もたたない体には、とても多い量でした。食べ物からたまる量を多めに見積もっても、測った量を説明しきれませんでした。
研究者たちは、生まれる前にお母さんからもらっていたと考えました。母の体にたまっていた物質が、お腹の子へ移った可能性が示されたのです。

海の水がきれいに見えても、体に届くものまで見えるわけではありません。海の頂点に立つ生き物は、知らず知らずのうちに海の汚れを体にためて泳いでいるのです。
まだやわらかいあごで先輩を待つ
数年が過ぎ、体の長さは二メートル半ほどに育ちました。口には鋭い歯が並び、立派なサメの姿に見えます。
ある日、海面に大きなクジラの死体を見つけました。波間に漂うごちそうに、喜び勇んで近づきます。
けれど、かじりついても分厚い皮を食いちぎれません。
サメの骨組みは軟骨(なんこつ)でできていて、若い時期はあごの骨がまだ十分に固まっていません。硬い皮を噛み破る力に、自分のあごが耐えられないのです。

そこで、水面の下を泳ぎながら待ちます。
やがて大きな大人のサメがやってきて、厚い皮を力強く噛み破りました。その場所からこぼれてくるお肉を、静かにいただきます。

南アフリカの海で空へ跳ねる狩り
年月が流れ、あごの骨もしっかりと固まりました。
今度は南アフリカの海、オットセイが集まるシール島へやってきました。水面を泳ぐ獲物を、下から不意に襲います。
水面より深いところを泳ぎ、水面を見上げて影を探します。黒い影を捉えた瞬間、尾びれを強く振って真上へ泳ぎ上がります。

勢いあまって、体全体が水面から空中へ飛び出します。水しぶきをあげる豪快な跳躍です。
しかし、素早いオットセイに身をかわされ、逃げられてしまいます。

この島での観察では、もっとも有利な夜明けの時間帯でも、狩りが成功する割合はおよそ半分ほどでした。
狩りを外したら、すぐに深い海へ戻ります。次の機会まで、水面より深いところを泳いで待つのです。

おとなになるまでの長い時間
これほど大きく育っても、まだ子どもを産む大人にはなっていません。
ホホジロザメが大人になるには、とても長い年月がかかります。
背骨の成長の記録などを調べた研究には、メスが子を産めるようになるのは三十三歳ごろ、という推定もあります。
同じ推定ではオスも二十六歳ほどです。育ち方は、海域や一頭一頭によって違います。
すべてのサメが決まった誕生日に大人になるわけではありません。
背骨の記録からは、七十歳を超えて生きたサメも見つかっています。
長い一生の前半を、ひたすら泳いで成長を待ちながら過ごします。海を巡り、大人になる日を待つのです。

太平洋を渡りまっくらな深海へ
大きくなったサメの道をたどり、今度はカリフォルニア沖から太平洋を渡る旅へ出ます。
岸を離れて西へ西へと泳ぎ、ハワイとのあいだに広がる広大な海を目指します。研究者たちが「ホワイトシャーク・カフェ」と呼ぶ海域です。
海の表面は生き物が少ない砂漠のように見えますが、深海には豊かな世界が広がっています。水深数百メートルの暗い層には、たくさんの魚やイカが集まっています。

ここでは、サメたちが深く潜る行動が記録されています。とくにオスは、一日に何度も深く潜っては上がっています。
冷たい深海へ潜り、また上がってきます。それが食事のためか、仲間と出会うためか、本当の目的はまだ分かっていません。
メスのサメもまた、この広大な太平洋の深海へ潜り、未知の暗闇を泳ぎ進みます。

シャチの影から狩り場を離れる
再び場所を移し、南アフリカのガンズバイという海へやってきました。たくさんのホホジロザメが集まることで知られる海です。
しかし、この豊かな海に、恐ろしい天敵が現れました。海の頂点に立つシャチの群れです。
二〇一七年、この海岸に数匹のホホジロザメが打ち上げられました。調べられたサメの多くは、栄養の詰まった肝臓を失っていました。
シャチがホホジロザメを襲い、肝臓を食べる例が知られています。最強と呼ばれてきたサメよりも、強い狩人がいたのです。

あなたも、この海にとどまって戦うのをやめます。生き残るため、すぐにその海から逃げ出しました。
危険な気配から遠く離れ、何週間も、何ヶ月もその狩り場には戻りませんでした。

つぎの命を宿して泳ぎ続ける海
三十年を超える年月を生き抜き、ついに自分がお母さんになる日が訪れました。
今度は、自分のお腹の中で新しい命を育てています。暗い子宮の中で、子どもたちが栄養卵を食べて育っていきます。

赤ちゃんの数は、数匹から十匹ほどです。お腹の中で大きく育ててから産むため、一度に生まれる数は決して多くありません。
やがて生まれた子どもたちは、母と別れ、一頭ずつ、自分の力で泳ぎ出します。
その海には今も、人間が仕掛けた刺し網が沈んでいます。沖合には、巧みに連携して襲いかかるシャチの群れも泳いでいます。
大人になるまでに三十年もかかるサメは、網で命を落とせば、元の数に戻るまで長い年月がかかります。
最強と呼ばれていても、危険が消えるわけではありませんでした。それでも、立ち止まることはありません。
口からえらへ水を通し、呼吸を整えながら前へ進みます。青い海を、どこまでもどこまでも泳ぎ続けていくのです。
