
【第1回】うりぼー写真教室 — 実存経済をまわすということ —
「写真」とうたっているが、
カメラは必ずしも必要ではない。
写真は撮ってもいいし、撮らなくてもいい。

絵を描いてもいいし、
その場でお弁当を食べているだけでもいい。

やることはひとつ。
その場を共有すること。
時間と景色を、共有すること。
手段はなんでもいい。
写真は、その中のひとつにすぎない。
「うりぼー写真教室」開催
募集をかけたわけでも、
立派なコンセプトを掲げたわけでもない。

ただ、
私の “縁” と、
この場に対する想いに、
なぜか共鳴してくれた人たちが集まってくれた。

それだけで、
もう十分だと思えた。

ローバイの丘
ロウバイの花は、たしかにきれいだ。
ついスマホを取り出して、
黄色い花だけを追いかけてしまう。

別名を「唐梅」という中国原産の樹木
でも、
それだけだと、
あとで何も残らないことがある。
スマホぽちぽちしながらロウバイの写真だけ撮ってもいい記事は書けないよ。全体を捉えて感じてください。ということをいかに説教クサくならないように言うかがポイント。
— うりぼー 🦏 半導体はサッパリわからない遊び人⛰️ウリリンクスの中の人🍅植物工場運営中🥔 (@gilles_1204) January 26, 2026
その場を切り取って記事を書いても、
消費されて終わってしまうこともある。
評価経済よろしく一過性の記事を書いても、消費されるだけだからね、とな。
— うりぼー 🦏 半導体はサッパリわからない遊び人⛰️ウリリンクスの中の人🍅植物工場運営中🥔 (@gilles_1204) January 26, 2026
丘には、起伏がある。

歴史があり、文化がある。

人の気配がある。
立ち止まる時間がある。

花は主役だけど、
主語ではない。
花だけの写真は、
今日じゃなくても撮れる。
飯山観音 長谷寺 へ
ローバイの丘から、少し歩いて飯山観音 長谷寺へ。

石段を上る。
視界がひらける。
街が、少し遠くなる。

ここでも、
撮らなくていい。
うまく切り取らなくていい。

ただ、
「いま、ここにいる」という感覚を、
みんなで共有する。

カメラがいらない写真教室
この写真教室では、
構図も、設定も、テクニックも話さない。
成果も、上達も、求めない。
写真より先に、
何を見ていたか。
何を感じていたか。

それだけで、十分だ。
本日の報酬
小田原の青島みかん10個🍊
無人直売所に売っていたのをいただいた。

めちゃくちゃ甘い!
数でも、値段でもない。
ちゃんと甘い。
それが本日の報酬だ。
実存経済をまわすということ
実存経済をまわす、というのは、
何かを売ることでも、
評価を集めることでもない。
まず、
「そこに在った時間」を、
成果に変換しないまま引き受けることだ。
効率も、正解も、
わかりやい評価も、
いったん横に置く。
ただ、
同じ景色を見て、
同じ時間を過ごした、
というリアルの体験だけを残す。
それは、
数字にはならないし、
すぐに意味も生まれないだろう。
でも、
そういう時間だけが、
あとになって、
人と人を静かにつなぐ。
今回の「写真教室」では、
お金は動いていない。
契約もなければ、成果物もない。
それでも、
縁が生まれ、
場が共有され、
報酬として、みかんが置かれた。
(ごちそうさまでした🍊)
これで十分だと思っている。
実存経済は、
加速させるものではない。
拡張するものでもない。
続いてしまうこと。
それだけが、
唯一、まわっている証拠になる。
ふり返ってみて
書き終えてから、
少し不思議な感じがした。
これはたぶん、
教室の告知でも、
活動の報告でもない。
誰かを集めたわけでも、
何かを伝えたかったわけでもない。
ただ、
縁があって、
同じ場所に立って、
同じ時間を過ごした。
それを、
そのまま書いただけだ。
結果として、
告知でも報告でもない文章になったのは、
たぶん、
この「写真教室」自体が、
最初からその次元にいなかったからだと思う。