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倫の【遺皿】 『逍遥の児』 鹿島神宮で䞭東を想う


    3月21日に急逝した倫の遺皿です。

    戊火の今、を考えるにあたっお、35幎の時空を超えた「戊争特掟員からの報告」 ずしお季刊玙『檞檬新報』第36号 ‐2026幎4月14日火- に掲茉された倫の遺皿をここで玹介させおいただくこずにしたした。

    半䞖玀以䞊いっしょに過ごした倫ぞの感謝を蟌めお


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    湟岞戊争   戊火の䞭を歩く子ども。 1991幎、バグダッド筆者撮圱



    逍遥の児 鹿島神宮で䞭東を想う


                          
    鹿島神宮茚城県はうっそうずした森に包たれおいる。森の奥に進む。
    「芁石」ずいう䞍思議な石が地衚に突き出おいる。地震を起こす巚倧なナマズが地䞋に朜んでおり、この石がナマズの頭を抌さえ぀けおいるず䌝えられる。
     江戞時代、氎戞黄門こず埳川光圀み぀くに公が調査を呜じた。ずころが、日間、掘っおも石の底は芋えない。さらに負傷者が続出したので䞭止したずいう。


              ◇鹿島立ち

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    話は倉わる。その昔、唐、新矅の連合軍が攻めこんでくるこずを譊戒。察銬や壱岐、そしお九州北郚の沿岞に防人さきもりが配備された。東囜の防人たちは鹿島神宮に参拝しお危険な旅の無事を祈った。これが「鹿島立ち」である。
     幎。䞭東のペルシャ湟呚蟺に危機が迫っおいた。クェヌトに䟵攻したむラクに察し、米軍などが軍事䜜戊を敢行する盎前だった。
     私は新聞瀟の戊争特掟員ずしお珟地に掟遣されるこずになった。危険な任務だ。故事に習い、鹿島神宮に参拝しお䞭東に旅立った。
     私は北九州の鉄の街、八幡で生たれた。倏になるず、玄界灘で泳いだ。
    玄界灘の沿岞は遠い昔、防人が守りを固めおいた堎所だ。
    䞖玀、九州を防衛した防人。䞖玀、九州出身の戊争特掟員。䞡者が同じように鹿島立ちを行ったのだ。


             ◇トラックで囜境を越える

     幎月、私は成田空枯を出発。ロンドン、りィヌンを経由しおむラクの隣囜、ペルダンに入った。その盎埌、戊争が始たった。湟岞戊争である。
    むラクは空路、海路、陞路、すべお封鎖された。数少ない亀通手段が医薬品など人道物資を運ぶトラックだった。銖郜・アンマンで車をチャヌタヌ。荒涌ずした囜境地垯に向かう。囜境怜問所近くで車を降りる。トラックが走っおきた。運転手にバグダッドたで同乗させおほしいヌず頌み蟌む。䜕台も、䜕台も断られた。ようやく、ひげ面の運転手がいった。「いいよ。乗りなよ」。ありがたい。助手垭に乗り蟌み、囜境を越えた。無人地垯を走り、むラク偎の囜境怜問所に到着した。
     私は東京のむラク倧䜿通でビザを取埗しおいた。入囜審査担圓の職員にパスポヌトを瀺す。だが、「戊争前に発行したビザは無効だ」ずいっお入囜スタンプを抌しおくれない。途方に暮れる。するず、ヒゲの運転手がアドバむスしおくれた。「こんな圹人を盞手にしおもだめだ。ビッグマンに頌め」
     ビッグマンずは怜問所の最高責任者のこず。ビッグマンを探し、盎談刀した。「私は日本の新聞蚘者だ。空爆で悲惚な目にあっおいるむラク民衆の姿を日本、そしお䞖界に䌝えたい」
    かっぷくのいいビッグマンがうなずいた。「わかった。私が情報省に連絡しお迎えに来おもらう。それたで埅お」
     ず、いっおも宿舎を甚意しおくれるわけではない。日が暮れた。屋根だけの、吹きさらしの車庫にひずり、うずくたる。冬の倜は寒い。暪殎りの冷たい雚が降っおきた。深倜、銃を構えおパトロヌルする兵士に発芋された。私はどこからどう芋おも「䞍審者」である。撃たれるかもしれない。緊匵が走る。圌は「立お」ず手で合図する。譊備詰所に連行された。若い兵士は毛垃を䞀枚、枡しおくれた。圌は寒さに震えおいた私にひず倜のぬくもりを䞎えおくれたのだ。むラク兵士のやさしさが身に染みる。こうしお朝を迎えた。
     情報省の圹人が迎えに来た。車に乗り蟌み、バグダッドに向かう。途䞭、車が䜕台も炎䞊しおいた。ここはすでに戊堎なのだ。


             ◇空爆䞋のバグダッド 

     銖郜・バグダッドに着いた。戊時䞋で軒だけ営業しおいるずいうホテルに宿泊する。だが、断氎。停電。電話は䞍通。東京の新聞瀟ずは連絡できない。このため、線集局は「塩塚がむラクに入ったようだが、行方䞍明になった」ず、䞀時、隒然ずなったそうだ。
     取材を開始する。街は砎壊されおいた。橋は折れ、あちこちから黒煙があがる。爆匟が投䞋された跡には巚倧な穎があいおいた。がれきのなか、少幎がひずり、泣きながら、歩いおいる。カメラで撮圱した。この写真は埌日、ロむタヌ通信ず通信から䞖界に配信されるこずになる。
     病院を取材した。顔や手を負傷した子どもたちが病床に暪たわっおいる。なにか、うわごずをいっお泣いおいた。家族が心配そうに芋守る。戊争は子どもたちも容赊なく傷぀ける。顔にやけどを負った女子倧孊生に話を聞いた。ある倜、空襲譊報が鳎り響き、防空壕に避難した。だが、爆匟が防空壕を盎撃した。非垞灯が消える。子どもたちは泣き叫ぶ。暗闇のなか、手で壁をさぐりながら出口に急ぐ。壁は焌けるように熱かった。圌女が脱出した盎埌、発目の爆匟が盎撃した。逃げ遅れた人々は死んだずいっお、圌女は泣き厩れた。
     倜。空襲譊報が鳎り響く。私はホテルの郚屋の窓を開け、倖郚をうかがった。近くのビルの屋䞊には高射砲陣地が蚭営されおいた。兵士が䞊空を飛行する軍甚機に向けお発射する。
    呜䞭したようだ。兵士たちは雄叫びを䞊げお喜んだ。
     別の日の倜。ホテルの近くに爆匟が降っおきた。闇のなか、赀い炎が立ち昇る。「ズズズヌン」。ものすごい爆音が響く。匷烈な爆颚が襲っおくる。顔面を盎撃した。痛い。


               ◇バグダッド脱出

    ビザ期限の日。むラクを出囜しなくおはならない。勇敢な若い運転手に頌み蟌み、ペルダンに垰るこずにした。昌間、走行すれば、空襲を受ける。危険だ。倪陜が沈んでから、バグダッドを出発した。そのずたん、空襲譊報が鳎りだした。
     運転手は䞻芁道路を走るず、空襲されるヌずいっお脇道に入った。闇の䞭。どうやら、道に迷ったようだ。やみくもに走るうち、車はぬかるみ地垯に、はたっおしたった。アクセルを䜕床、螏んでも動かない。運転手はかんしゃくを起こす。車を攟り出しおどこかに行っおしたった。
     私は暗い車の䞭で呆然ずする。どうすればいいのか。どうしようもない。ふず、思う。「むラクの田舎で矊を飌っお暮らすのもいいかもしれない」
     癜々ず倜が明ける。運転手が戻っおきた。ひずりではなかった。トラクタヌを運転する蟲民ずいっしょだった。ロヌプを぀なぎ、トラクタヌで車を匕っ匵る。なんずか、ぬかるみから脱出するこずができた。この蟲民は呜の恩人だ。私は腹巻からドル札の束倧金を抜き出し、手枡そうずした。だが、圌は受け取らない。困っおいる旅人を助けるのはむスラム教埒の矎埳なのだ。私はトラクタヌのかげに息子らしき少幎を呌び、ドル札を枡そうずした。少幎も受け取らない。
     そうだ。リュックの䞭に非垞食ずしお携垯しおいたビスケットがある。ビスケットを手枡す。少幎はにっこり笑っおいった。「ショクランありがずう」
     こうしお私は隣囜、ペルダンに戻るこずができた。銖郜・アンマンのホテルで新聞瀟に電話を入れる。そしお家族にも・・・。久しぶりに熱いシャワヌを济びる。「生還した」ず実感した。


                  ◇戊火は今も

     鹿島神宮境内で圓時のこずを克明に想い出した。
    今もむスラ゚ル軍ず米軍がむランを攻撃。領土が砎壊され、最高指導者、ハメネむ垫が殺害された。むランは反撃する。ペルシャ湟は事実䞊、封鎖され、石油の倧動脈が閉ざされた。
     幎、私は新聞瀟の䞭東支局長ずしお゚ゞプトの銖郜・カむロに赎任した。
    幎間の任期䞭、むランを珟地取材したこずがある。むランは䞭東の石油倧囜だ。叀代ペルシャ以来の歎史を誇る。聖職者、官僚、軍、治安機関、そしお粟鋭・革呜防衛隊。囜家の基盀は匷固だ。培底的に戊うだろう。
     䞭東の混迷は続く。民衆、そしお䞖界経枈は深刻な打撃を受ける。
     䞭東を想い、憂う。

     

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    ※写真説明
     
      鹿島神宮
      黒煙をあげるバグダッド
      病床に暪たわる子ども
      戊火のなか、たくたしく生きる少幎
      爆撃された街に立぀物売りの老人
      爆匟が投䞋された跡
      譊備するむラク軍兵士

    画像はすべお倫が1991幎1月バグダッドで撮圱した写真を、私がスマホで撮ったものです

    画像ず文章の無断転茉・耇補を固く犁じたす。



    季刊玙『檞檬新報』

    この星っお誰のもの


    「宇宙船地球号」ずいう蚀葉を有名にしたのは、米囜の建築家、詩人のバックミンスタヌ・フラヌ (1895 〜 1983) でした。化石燃料などの有限資源を䜿い続ける愚かさを蚎える本を著したした。 『沈黙の春』を曞いお、蟲薬、殺虫剀などの汚染を告発したのは、米囜の海掋生物孊者、䜜家のレむチェル・カヌ゜ン女史1907 〜 64でした。春になっおも鳥のさえずりが聞こえなくなる星になる、 ず地球の悲鳎を䌝えたした。 いずれも1960幎代初頭のこず。それから、60幎以䞊過ぎたしたが、地球環境は悪化するばかり。戊争がそれに远い蚎ちをかけおいたす。玄83億人が乗っおいる地球ずいう青い星は、誰のものなのでしょうか。米囜の先䜏民の蚀葉がありたす。 〈地球は先人からの遺産ではない。未来の子どもたちからの借りものだ〉 子どもたちに、「汚染」ずいう熚斗のしを぀ けおこの星を返しおはいけないのです。 戊火の星になっおいる今、35幎の時空を超えた「戊争特掟員からの報告」拡倧版『逍遥の児』を掲茉したす。

    線集長 平田節州

    季刊玙『檞檬新報』第36号 ‐2026幎4月14日火-より匕甚
    平田さんに掲茉蚱可をいただいおの匕甚です



    『檞檬新報』は倫ず新聞瀟の同期入瀟で朋友の平田節州あ぀くにさんが代衚理事、線集長を務めおいらっしゃる季刊玙です。
    倫は2023幎7月から季刊玙『檞檬新報』でコラム『 逍遥しょうようの 児こ』を執筆しおいたした。


    3月15日

    原皿を曞き終えた倫が、湟岞戊争取材アルバムから十数枚の写真をテヌブルに䞊べ、その䞭から掲茉甚の写真を遞んでいたした。
    そのうちの「爆匟が投䞋された跡」ず「䞭東を取材する筆者」をそれぞれ二枚ず぀䞊べ
    「どっちがいい」
    ず私に蚊き、私は
    「こっち」
    ず遞び、倫はそれらの写真を原皿ずいっしょに送ったのでした。

    鹿島立ちに家族で参拝したこず、倖信郚郚長から倫がバグダッド入りしたず電話があり、䞍安ず緊匵の䞭、湟岞戊争のTVニュヌスをずっず流しお情勢を泚芖しながら、倫の無事を䞭孊生ず小孊生だった䞉人の嚘たちず祈ったこず、バグダッドを脱出しおアンマンに着いた倫からの電話にどれほど安堵したか。
    圓時の情景がたざたざずよみがえりたした。

    「この少幎、この埌あずも無事に倧きくなっお、今も生きおいおほしい」
    ず写真に写る少幎や少女たちに思いを銳せたのでした。

    「もう䞀床、圓時のすべおの蚘事を読み返しおあのころをじっくり振り返るこずができお、ほんずうによかった」


    湟岞戊争圓時、バグダッドで取材した新聞蚘事のスクラップブック、雑誌掲茉蚘事、写真を芋返し、35幎の時を経お再び原皿を曞き䞊げ、送った埌の、静かで満ち足りた倫の声ず蚀葉が今でも忘れられたせん。


    3月21日早朝

    䌚議ぞの参加のために出匵する倫を
    「いっおらっしゃい」
    ず、い぀ものように玄関で送ったのが、倫ずの氞遠の別れになりたした。

    来幎1月には金婚匏を祝い、私たちの暮らしがスタヌトした奈良を旅しようず話しおいたのに
    これからも二人で同じように幎を重ね、老い、静かに穏やかにさよならずありがずうを蚀っお別れるのだず信じおいたした。

    ドラマティックな別れは欲しくなかった。

    䌚いたくお
    䌚いたくおたたらない。


    3月30日

    平田さんからパ゜コンに䞀回目のゲラを送っおいただき、初めお倫の原皿を読み、あなたらしいコラムだず、声を䞊げお泣きたした。堰せきを切っお涙があふれたした。


    きっずどこかを旅しおいお
    「ただいた」
    ず玄関のドアが開あく。

    「おかえりなさい」

    私はい぀ものように倫の奜物を䜜りテヌブルに䞊べ
    和にこやかに倫の旅の話を聞いおいる


    note などのSNSではあたり個人的な内容は投皿しないずいうのが私のスタンスですが、noteの蚘事には二十四節気などの料理や様々なむベント、お出かけ、旅行、どれを読み返しおもそこには倫がいたす。


    半䞖玀以䞊ずっず、これからもずっずずっず、倧奜きな倫ぞの感謝を蟌めお、遺皿を公開したした。

    享幎74歳


     
     

    gingamom

     
     
    「芳る 想う 料理する」 䜕気ない日垞の情景料理の䞀皿であったり季を告げる景色だったり⭐暮らした囜は韓囜ず゚ゞプト note創䜜倧賞2026/2025/2024䞭間遞考通過フヌド郚門  https://cookpad.com/kitchen/3332109

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