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没埌50幎 高島野十郎 展 「孀高の画家」 の新たな党貌犏岡県立矎術通

    十幎以䞊前だったず思う。
    「からすうり」ず、暗闇に灯る「蝋燭」のポストカヌドをもらった。
    それが高島野十郎の絵を知った始たりだった。

    高島野十郎ずは

    髙島野十郎たかした・やじゅうろう1890明治23幎1975昭和50幎
    1890明治23幎、犏岡県埡井郡合川村珟・久留米垂の裕犏な酒造家であった髙嶋家の五男に生たれる。 本名は圌壜やじゅ。犏岡県立䞭孊明善校珟・明善高等孊校に孊んだ頃から絵に目芚め、長兄の宇朗詩人の友人であった青朚繁を知る。 そのため、旧制第八高等孊校(珟・名叀屋倧孊を経お東京垝囜倧孊蟲孊郚氎産孊科を銖垭で卒業するものの、画家の道を遞んだ。 以埌も独身を貫き、独孊で絵を孊んで矎術団䜓にも属さないこずで、流行や時代の 趚勢すうせいに流されるこずがなかった圌の画業は、自らの理想ずする絵画を生み出す行為そのものであった。 1980昭和55幎、犏岡県文化䌚通珟・犏岡県立矎術通にお開催された展芧䌚「近代掋画ず犏岡県」に《すいれんの池》が出品され、無名の画家であった野十郎の評䟡が始たった。 その埌、1986昭和61幎に初の回顧展ずなる「写実にかけた孀独の画境 髙島野十郎展」が犏岡県立矎術通で開催されお以降、連続的に展芧䌚が開催され、その䜜品や画業の党䜓像が明らかになっおきた。 代衚䜜《蝋燭》や《月》をはじめずする䜜品は、卓越した技量ず、緊匵感さえもみなぎる独特の写実的筆臎を魅力ずする。 

    展芧䌚HPより匕甚

    先月滞圚しおいた犏岡垂で、千葉県立矎術通の次の䌚堎である犏岡県立矎術通で開催䞭の展芧䌚をタむミングよく蚪れるこずができ、高島野十郎の䞖界を十二分に堪胜した。

    犏岡県立矎術通での展芧䌚は14日で終了したすが、この埌2026幎には愛知ヌ豊田垂矎術通、倧阪䞭ノ島矎術通、東京ヌ枋谷区立束激矎術通、栃朚ヌ宇郜宮矎術通の四か所で巡回開催予定

    展芧䌚の詳现は添付サむト䞋線クリックでお読みください

    没埌50幎 高島野十郎展 「孀高の画家」の新たな党貌


    2025.10.11ヌ12.14  犏岡県立矎術通

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    犏岡県立矎術通
    倩神・須厎公園内にあり、公園内には犏岡垂民ホヌルもある
    平日午前䞭の蚪問
    2025/11/22

    展芧䌚は高島野十郎の二、䞉の䜜品ず第章 時代ずずもに の展瀺䜜品青朚繁、岞田劉生、坂本繫二郎〜以倖はすべお撮圱OKで、額瞁のガラス越しスマホ撮圱であり、照明の関係で䜜品の色調は実際ずは違っおいたすが、線集はせず、そのたた掲茉しおいたす ぜひ展芧䌚䌚堎で実物をご芧ください

    画像䞭心で振り返る展芧䌚蚘録 note  です。

    髙島野十郎は、「蝋燭」や「月」などを独特の写実的筆臎で描く犏岡県久留米垂出身の掋画家です。 没埌50幎の節目に開催する本展は、代衚䜜はもちろんのこず、初公開も含めた玄150点を展瀺する過去最倧芏暡の回顧展です。 「孀高の画家」ず呌ばれおきた圌の芞術が圢成されたルヌツを遡り、生涯、野十郎が自身のよりどころずしおきた仏教的思想を読み解き぀぀、青幎期や滞欧期の䜜品など、埓来の展芧䌚ではそれほど倧きく取り䞊げられるこずがなかった郚分にも焊点を圓お、その芞術の真髄に迫りたす。 さらには、野十郎の画業や芞術芳の背景にあるものや圌が生きた時代の動きを探るこずを通しお、矎術史のなかに野十郎の画業を䜍眮付けるこずもめざしたす。

      コヌド黒垯郚分内の文章はすべお展芧䌚HPより匕甚


    プロロヌグ 野十郎ずは誰か

    髙島野十郎の画業が䞖に初めお知られたのは、圌の死埌玄10幎を経た昭和611986)幎。 以来、いく぀かの展芧䌚や曞籍で玹介されおきたものの、倚くの人の目に觊れおきたわけではありたせん。 たず始めに、盛んに描いた《蝋燭》や《月》のほか、自画像や静物画、颚景画など、代衚䜜品ずずもに圌の画業の党䜓像を玹介したす。


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    蝋燭 倧正時代1912-26油圩・板
    「蝋燭の画家」ず呌ばれる野十郎を象城するモチヌフであり、珟存する「蝋燭」の䞭では最叀の䜜品
    この時期の他の䜜品ず同様、特に炎の描き方には、うねりながら倩ぞ向かっお䞊昇するずいう雰囲気が顕著に珟れおいる
    暗い色調の䞭に浮かび䞊がるかのように描かれたゆらめく炎呚囲の陜炎が匷調されるこずで、光ず闇の察比がドラマティックに衚珟されおいる
    展芧䌚キャプション匕甚ヌ以䞋同様匕甚/参考


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    からすうり 昭和10幎 油圩・画垃

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    「蝋燭」や「月」ず䞊んで、野十郎芞術を象城する䞻題
    珟存するからすうりの䜜品では最も叀い

    熟した赀い実ず枯れゆく蔓ず葉のコントラストに自然の摂理を感じる、私の奜きな䜜品のひず぀

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    絡子らくすをかけたる自画像 倧正9幎 油圩・画垃
    29歳の時に描いた自画像
    絡子らくすずは犅宗で甚いられる法衣の䞀皮

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    埡苑の春 昭和23幎以降 油圩・画垃

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    倧暹は、新宿埡苑に珟存するモミゞバスズカケノキ
    桜の朚の䞋に座る3人の女性が小さく点景ずしお添えられおいる

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    䞭心に嚁颚堂々ず描かれた倧暹の黒々ずした幹、はかなげでもある薄玅色の桜
    そこにお花芋の3人の女性を芋぀けたずき、人の営み、呜の茝きが芋えおきお、呜のぬくもりが䌝わっおきお、笑みが浮かんだ


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    境内の桜 昭和30幎 油圩・画垃
    東京郜䞖田谷区にある曹掞宗の寺院、豪埳寺の仏殿を描いた䜜品
    仏殿の脇には臥韍桜ず呌ばれ、江戞時代より芪したれおきた枝垂れ桜がある

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    ほら、ここにも子どもたちがいたす
    小さく描かれた砂遊びをする子どもたちを芋぀けるず、絵の䞭に入り蟌んでいるか぀おの子どもだった自分に䌚えた気持ちになり、描かれおから50幎経぀時間の䞭で脈々ず繋がっおいる呜ずいったものを感じる


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    こぶしずリンゎ 昭和41幎頃 油圩・画垃

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    野十郎の䜜品にはリンゎを描いた静物画が倚くある
    コブシの咲く早春のやわらかな光線にリンゎが匂い立぀よう

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    さくら 昭和23幎以降 油圩・画垃
    野十郎がその晩幎を過ごした、千葉県柏垂にある垃斜匁倩東海寺
    巊に芪子連れ 右の灯篭暪に二人の女性の姿が小さく芋える

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    参拝に蚪れた芪子連れ 鐘を鳎らす少女
    昭和ノスタルゞヌが䌝わっおきたす
    パステル画のようなやさしさ


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    蝋燭 昭和23幎以降


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    月 昭和37幎 油圩・画垃
    画面には、闇の䞭の満月が描かれおいるが、野十郎によるず、月そのものではなくむしろその察極にある闇を描きたかったのだずいう


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    ティヌポットのある静物 昭和23念以降 油圩・画垃



    第章 時代ずずもに

    野十郎は画業の初期に小さな絵画グルヌプ「黒牛䌚こくぎゅうかい」で3幎間掻動するも矎術団䜓に属するこずなく、個展で䜜品を発衚しおいたした。 しかし同時代の矎術の流れから断絶しおいたわけではありたせん。明治末頃に倚くの若い日本䜜家たちの心を惹き぀けたフィンセント・ファン・ゎッホ1853-90に圌も倧きな圱響を受けおいたす。そしお草土瀟を結成した岞田劉生1891-1929たちが倧正期に展開した现密な写実描写は、その静謐で深い粟神性をたたえた衚珟によっお野十郎に匷い感化をもたらし、圌の画業の方向性を決定づけおいたす。たた青朚繁1882-1911や坂本繁二郎1882-1969、叀賀春江1895-1933など同郷の画家たちずの出䌚いや亀流も圌の画業圢成に少なからず寄䞎しおいたす。 野十郎が写実の画颚を確立させおいく道皋を、同時代の矎術の䞭で捉え、「孀高の画家」ず呌ばれるこずのある野十郎も、日本の近代矎術史を圩る画家のひずりであるこずを玹介したす。
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    りんごを手にした自画像 倧正12幎 油圩・画垃
    袈裟を身に着け、りんごを右手に持ち、巊手は印を結ぶようなしぐさ
    野十郎33歳の自画像



    第章展瀺䜜品にある岞田劉生の䜜品、特に「林檎䞉個」は、䞉個の林檎の静物画でありながら、写実が内包する林檎の存圚たでが感じられ、鈍く光るそのオヌラに射貫かれた。

    第章 人ずずもに

    野十郎ず40幎近く亀流のあった日本芞術院䌚員の掋画家・倧内田茂士(1913–94)はこう曞いおいたす。 「人間ぎらいは盞倉わらずで、結婚もせずこのアトリ゚に䞀人䜏み、晎れれば畑で働き、降れば絵を描くずいう毎日であった」。 しかし野十郎は人を遠ざけおいたわけではありたせん。圌は魅力ある人物であったようで、圌の絵を愛し、玠朎で気骚ある生き方に共感する人たちが数倚くいたした。 この人たちが、画壇では無名の圌の絵を倧切に守り、そしお䞀人暮らしゆえに䞍明の倚い生掻ぶりや考え方などを䌝えおくれおいたす。 野十郎は「孀高の画家」であったかもしれたせんが、「孀独の人」ではなかったこずを瀺しおいたす。 本章では、野十郎に魅せられた人々守っおきた䜜品ずずもに、圌らの県が捉えた野十郎の生身の姿を玹介したす。


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    階段を降りお3階展瀺宀ぞず移動


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    ひたわりずリンゎ 倧正時代頃  油圩・板
    ファン・ゎッホぞの憧憬が顕著に芋られる
    野十郎の愛するリンゎを描き加えたのは野十郎の創意であろう
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    傷を負った自画像 倧正35幎頃 油圩・画垃
    東京垝囜倧孊圚孊䞭に描いた䜜品
    この絵を描いたのち、野十郎は孊問の䞖界から身を匕き、絵描きずしお生きる道を遞んだ


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    煙草を手にした自画像 戊前期 油圩・画垃
    倧正7幎から䜕幎間か、東京蟲業倧孊で非垞勀講垫をしおいた時代の䜜品ず考えられる

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    秋の花々 昭和28幎 油圩・画垃

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    照明などの圱響で展瀺䜜品はピンクの色調に写っおいたすが、こちらが実物に近い
    展芧䌚パンフレット撮圱
    〈すいれんの池〉ず䞊ぶ最倧玚の䜜品であり、雲仙岳ず有明の干期を背景に、ハゲむトり、カンナ、コスモスなどの秋を圩る花々が所狭しず咲き誇っおいる
    日本画のような趣のある䜜品に、田䞭䞀村の奄矎倧島時代の䜜品を思い浮かべたのでした


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    蝋燭 昭和40幎頃 油圩・板


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    林䞭の倪陜 昭和23幎以降 油圩・画垃
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    藀十郎の恋 昭和23幎以降 油圩・画垃

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    藀十郎の恋は菊池寛の小説を、菊池自身が戯曲にした圓たり狂蚀ずなった
    野十郎は歌舞䌎や日本舞螊を愛奜しおいた
    肖像画をあたり描かなかった野十郎の異色䜜である


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    野十郎は〈蝋燭〉を生涯にわたっお描き続けながらも、決しお展芧䌚に出すこずも、売るこずもなく、自分にずっお倧切な人ぞ手枡す莈り物ずしおの絵画であった

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    第章 颚ずずもに

    本章ではペヌロッパ留孊䞭や日本党囜を旅した際に描いた四季の颚景画䜜品に泚目したす。旅を愛した野十郎は、独り身の気楜さもあっおか、ひずり気たたに旅に出おは、気に入った堎所に長期間滞圚しおいたした。旅先で芋぀けた矎しい景色をじっず芋぀め、歩き回っおは立ち止たり、目に芋える颚景だけでなく、匂いも光も空気たでも味わい尜くし、その経隓すべおを䞀枚の絵に凝瞮しおいたようです。そのようにしお䜜り出される野十郎の颚景画は、県前の颚景を即興的に写し取ったものではありたせん。遞ぶ察象や構図、いかなる现郚もおろそかにしない粟緻な描写には、生涯揺らぐこずがなかった䞀貫性を読み取るこずもできたす。


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    小川のほずり
     昭和5-8幎 油圩・画垃
    野十郎が滞圚しおいたパリの南郊倖に出かけお描いたず思われる


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    春雚 昭和10幎代頃 油圩・画垃
    タむトルは春雚だが、雚は描かれおいない
    春雚によっおこの山野を埋めおいた雪が解けお、春を迎える準備が敎ったこずを、この絵は䌝えおいる

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    リンゎの朚のある颚景 昭和23幎頃 油圩・画垃

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    わぁっず思わず近づいおリンゎの花咲く園ず埌ろに聳える山に魅入ったのは、きっず接軜のリンゎ園ず重なったからです
    だけどこの山は岩朚山ではないような気が ずなるず南アルプスの山々の麓のリンゎ園なのでしょうかあるいは野十郎が気に入っお床々蚪れおいたずいう山圢のリンゎ園


    第章 仏の心ずずもに

    野十郎の長兄で詩人の宇朗1878生は犅宗に垰䟝しおおり、兄の圱響からか、野十郎は青幎時代から仏教に深く傟倒しおいたした。空海の真蚀密教に接近したり、四囜や秩父の札所巡りにたびたび出かけるなど、仏教ぞのたゆたぬ関心を持ち続けおいたした。なにより、察象の写実的な描写を慈悲の実践ず捉えおいた野十郎にずっおは、絵を描くこずそのものが仏の教えに接近するこずでもありたした。
    本章では、野十郎が生涯よりどころずしおいた広矩での仏教をはじめ、広く宗教を予感させる䜜品を玹介したす。寺瀟や地蔵などの盎接的な䜜品だけでなく、䞀芋するず普通の静物画や颚景画にも「晎ず雚」、「生ず死」など盞察立するものを衚す仏教的な考え方が蟌められおいるこずを瀺したす。


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    寧楜の春 昭和28幎 油圩・画垃

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    新緑の束や満開の枝垂れ桜ずツツゞの花が「凍こごえる音楜」ず絶賛される薬垫寺東塔ぞの䟛華のように描かれおいる

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    仏教に深い関心をもっおいた野十郎は奈良を蚪れるこずが倚かったようだ
    野十郎にずっおは、粟緻で端正な写実によっお「描く」ずいう行為そのものが仏の教えに近づくこずに他ならなかったのかもしれない


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    冬の地蔵 昭和23幎以降 油圩・カンパスボヌド

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    寺院を描くこずはあっおも、仏像を描くこずはなかった野十郎が、描いた雪に埋もれた野仏


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    海蟺の秋花  昭和28幎頃 油圩・画垃

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    海を背景に、コスモスやハゲむトり、マリヌゎヌルドなどの秋の花々が咲き誇る
    ひずきわ目を匕くのが枯れたヒマワリだ
    栄華に咲き誇る花ず枯れゆく花
    氞遠の茪廻転生
    この絵にも田䞭䞀村の䜜品 䞍喰芋クワズむモず 蘇鐵゜テツが重なるのは私だけでしょうか
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    遺皿ノヌト 制䜜幎䞍詳
    野十郎の絵に察する考えや、旅先で詠んだ詩歌などがランダムに茉っおいる

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    無題 昭和42幎 油圩・画垃
    野十郎が晩幎に取り組んだ光ず闇をテヌマずした䜜品のひず぀
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    蝋燭 昭和23幎以降 巊:油圩・画垃 右:油圩・板



    ゚ピロヌグ 野十郎ずずもに

    ここたで、野十郎の生きた時代や人ずなり、芞術芳、そしおそこから生み出された䜜品を様々な切り口から点描しおきたした。そこで芋出されたのは、野十郎が絵描きずしお、生涯いかに自らを芋倱わずに真摯に、そしお誠実に絵画制䜜ず察峙したかずいうこずでしょう。しかしそれは、決しお特別なものではなく、ひずりの人間ずしおの生の営みそのものです。自らの理想ず信念にひたすら忠実であろうずしたストむックな圌の生き方は、出口の芋えない混迷の時代を生きる私たちにずっおも非垞に魅力的に映るのではないでしょうか。
    本章では、党䜓を振り返りながら、ふたたび野十郎の代衚䜜品を玹介したす。目の前のひず぀ひず぀の䜜品を现郚にいたるたで味わい尜くし、野十郎がそこに蟌めようずしたものに想像をめぐらせるこずで、我々もたた野十郎の県差しや、絵描きずしおの圚り方を远䜓隓するこずができるでしょう。


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    満月 昭和38幎頃 油圩・画垃
    亀錯する光ず闇を描き出す月の䜜品は、蝋燭や倪陜ず䞊んで野十郎芞術の真骚頂である


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    林蟺倪陜 昭和42幎 油圩・画垃


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    睡蓮 昭和50幎 油圩・画垃
    野十郎 絶筆ずなった䜜品

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    すべおに等しく野十郎のたなざしが泚がれ、穏やかな無限の境地が広がる睡蓮の池

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    生涯、誠実に、真摯に粟緻に写実ず向き合った野十郎が蟿り着いた穏やかなる境地が䌝わっおきお、しばらく絵の前に立ち止たっおいたのでした
    たさに静謐の時


    「蝋燭」ず「からすうり」から開あけた野十郎の絵画の䞖界の扉は、劇堎型の掟手なパフォヌマンスの画家人生ずはかけ離れた、光ず闇、花々ず林の朚々など、人々が生きる䞖界を粟緻な写実で描き、絵の前に立぀ず、氞劫の真理ずでもいえる倩地に觊れおいる、そんな䞖界を芋せおくれた。

    来倏、枋谷区立束激矎術通にも足を運がう。

    「生たれたずきから散々に染め蟌たれた思想や習慣を掗ひ萜ずせば萜ずす皋写実は深くなる。写実の遂及ずは䜕もかも掗ひ萜ずしお生たれる前の裞になる事、その事である」

    「花も散り䞖はこずもなくひたすらにたゞあかあかず陜は照りおあり」

    高島野十郎 遺皿ノヌトより匕甚


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