メインコンテンツへスキップ
見出し画像

規格外の総理大臣−−「伊藤博文」

    近代日本の夜明けを創り上げた男、伊藤博文。

    ​明治維新という巨大な地殻変動の中で台頭し、初代内閣総理大臣として近代国家の礎を築いたこの政治家は、まさに「偉業」においても「私生活」においても、規格外の人物であった。

    ​長州で下級武士の子として生まれた伊藤博文は、時代の波に乗り、豊臣秀吉にも匹敵する下剋上を果たした。
    ヨーロッパへと渡って立憲主義を深く学び、日本初の本格的な近代法典である「大日本帝国憲法」の起草を主導。
    内閣制度を創設し、四十四歳という若さで「初代内閣総理大臣」の座に就いた。

    ​明治天皇から「国家の重大事は伊藤に聞け」と言わしめるほどの信頼を獲得し、欧米列強と肩を並べる近代国家・日本のグランドデザインを描いた。
    これが伊藤博文の表の顔である。

    ​この知性あふれる国家の設計者には、歴史に語り継がれるもう半分の顔が存在した。

    ​それが、「大の女好き」という顔だ。

    ​伊藤博文の女道楽は、単なる噂やゴシップの域を超え、国家の公式な記録や皇室の逸話にまで刻まれるほどの豪快さを誇った。
    「芸者にあらずんば女にあらず」と放言し、柳橋や赤坂などの花街をこよなく愛した彼は、全国を巡幸・出張すれば、現地の芸者を集めてお座敷を借り切った。
    当時の新聞のゴシップ記事に「好色リスト」として手を出した女性たちが暴露されても、痛くも痒くもない様子で平然と遊び続けた。

    ​その豪快さは、明治天皇すら手を焼くレベルであった。

    ​あまりの芸者遊びに見かねた明治天皇から直々に「少しは女遊びを慎んではどうか」とお叱りを受けた際も、伊藤は「こればかりは私の性分でございましてご容赦ください」とサラリと言いのけた。
    天皇からの注意すら笑って受け流す臣下など、長い歴史の中でも伊藤博文くらいだろう。

    ​驚くべきは、その私生活を支えた正妻・梅子の存在と、最期までのブレなさである。

    ​元・芸者であった梅子夫人は、伊藤が自宅に愛人や芸者を連れ込んできても客として丁寧にもてなし、周りから「少しはガツンと言ってやってほしい」と頼まれても「うちの人は国のために命をかけて働いているのだから、あのくらいの楽しみは良いのです」と微笑んだという。
    妻までもが規格外の器の広さを持っていたのだ。

    ​そして1909年、ハルビン駅で安重根の凶弾に倒れる直前の満州旅行中においても、伊藤は毎晩のように現地の芸者を集めて宴会を開いていた。
    六十八歳で命を落とすその最後の瞬間まで、彼は「天才政治家」であり、同時に「現役の女好き」であり続けたのである。

    ​冷徹なロジックで国家の礎(憲法と内閣)を組み上げた超一流の政治家でありながら、私生活では天皇のお叱りもスルーして死ぬ間際までお座敷で遊び倒した人間味。

    ​歴史を動かすほどの偉業と、隠すことすらしない女好き。
    その二つが巨大なスケールで同居していた伊藤博文という男こそ、明治という激動の時代が生んだ最高の「規格外」ではないだろうか。

     
     
    数店舗の飲食店と風俗店をやっていた元・経営者。 そこで目撃した「人間の剥き出しの業」や「管理社会のシステム」をベースに、頭に残った回顧録、ひねくれた社会考察や、歴史考察。 AIを相棒にしたディストピア小説を好き勝手に書いています。 ​

    あなたへのおすすめ