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1966年の批評は『Revolver』をどう聴いたか――評価の食い違いから見えるビートルズの転換点

    はじめに――まだ評価の定まっていなかった音楽

    私自身は、ビートルズをリアルタイムで聴いた世代ではありません。

    ただ、どこの学校にも一人くらいは筋金入りのビートルズ・ファンがいるもので、私の周りにもいました。

    彼は正規盤だけでなくブートレグもかなり持っていて、私がロックを聴くと知ると、録音したテープを次から次へと貸してくれました。
    そのため少し妙なことに、私の場合はまともに正規のアルバムを聴くより先に、ブートレグでビートルズをかなり聴いてしまったのです。

    スタジオのカウントダウンから始まる未完成の演奏や、完成盤とは違う音の配置。そうしたものを先に聴いてしまったのは、良きにつけ悪しきにつけ、貴重な体験でした(笑)。

    その後、基本通り赤盤、青盤から入り、各アルバムを聴いていきました。
    その中で、最も繰り返し聴いたのが『Revolver』でした。

    理由は、単に名曲が多いからではありません。
    曲が変わるたびに、サウンドの景色そのものが変わってしまうのです。

    「Taxman」から「Eleanor Rigby」へ進んだだけで、同じグループのレコードとは思えないほど音像が変わる。
    「Love You To」ではインド音楽へ入り、「Yellow Submarine」が現れ、「For No One」の静けさを経て、「Got To Get You Into My Life」のブラスへ向かい、最後は「Tomorrow Never Knows」に到達します。

    ポップさと実験性。
    親しみやすさと異物感。
    古典的な作曲と、スタジオでしか成立しない音。

    これらが一枚の中で、ほとんど脈絡を失うことなく共存しています。

    私にとって『Revolver』の魅力は、そうした方向性の異なる音楽が、何の矛盾もないかのように並んでいることでした。
    では、1966年にこのアルバムを初めて聴いた人たちは、いったい何を感じたのでしょうか。

    現在の私たちは、その後の『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』も、サイケデリック・ロックの発展も、テープ・ループや逆回転を使用した制作方法も知っています。

    しかし、1966年の批評家たちには、その後の歴史はありません。
    目の前に突然現れた音を、それまでに身につけた音楽的な知識や価値観によって判断するしかなかったのです。

    当時のレビューを読み比べて興味深いのは、『Revolver』に対する評価が決して一枚岩ではなかったことです。

    アルバムそのものは高く評価されていました。しかし、どの曲が優れているのか、何が新しいのか、そしてその新しさに価値があるのかについては、驚くほど意見が分かれています。

    新しい音楽が登場したとき、批評家たちは何を基準にそれを評価するのでしょうか。

    今回は、1966年に発表された英国と米国のレビューを読みながら、その問題を考えてみたいと思います。

    なお、当時の『Revolver』には英国盤と米国盤の違いがあります。
    英国盤は1966年8月5日発売の14曲入りですが、米国では8月8日に「I'm Only Sleeping」「And Your Bird Can Sing」「Doctor Robert」を除いた11曲入りとして発売されました。
    これら3曲は、米国ではすでに『Yesterday and Today』に収録されていました。

    したがって、英国と米国の批評を比較する際には、必ずしも同じ曲目構成のレコードが流通していたわけではないことにも注意が必要です。

    「ポップの境界を突破した」――発売前から始まっていた高評価

    まず意外なのは、『Revolver』が発売前から非常に高く評価されていたことです。
    1966年7月30日の時点で、すでに複数の英国紙・音楽誌にレビューが掲載されていました。

    『Evening Standard』のMaureen Cleaveは、アルバムを豊かさと多様性に満ちた作品として紹介しています。
    彼女はジョージ・ハリスンの作曲能力の向上や、ポール・マッカートニーの「Eleanor Rigby」「For No One」を評価し、最後には、これほど確信を持って推薦できるLPはなかった、とまで書いています。

    ――Maureen Cleave, Evening Standard, 30 July 1966.

    同日の『Melody Maker』は、さらに踏み込んだ見出しを掲げました。

    BEATLES BREAK BOUNDS OF POP
    「ビートルズ、ポップの境界を突破」。

    ここでは、単に楽曲の出来がよいという評価を越えています。

    レビューは、ジョージのインド音楽、ポールのクラシックへの関心、電子音響の導入などを挙げながら、4人が自分たちの発想を自由にレコードへ持ち込めるようになったことに注目しています。

    さらに『Rubber Soul』ですでに変化が始まっていたことを認めたうえで、『Revolver』によって、従来のポップ・グループの枠組みは決定的に拡張されたと考えています。

    ――Melody Maker, 30 July 1966.

    つまり、『Revolver』の革新性は、後世になって発見されたわけではありません。
    少なくとも一部の批評家は、発売前の段階ですでに、これまでのポップ・ミュージックとは何かが違うと感じ取っていました。

    ただし、問題はその先です。

    何がどう変わったのか。そして、その変化は本当に音楽を豊かにしたのか。

    この問いに対する答えは、批評家によってかなり違っていました。

    「Eleanor Rigby」は傑作なのか、それとも気取ったクラシックなのか

    評価の違いが最もはっきり表れているのが「Eleanor Rigby」です。

    Maureen Cleaveは、この曲をポール・マッカートニーの最高傑作の一つとして評価しています。

    ――Maureen Cleave, Evening Standard, 30 July 1966.

    Tony Barrowも、歌詞が意味のある物語を精密に語っていることを評価し、アルバムの中でも特に優れた曲として取り上げました。

    ――Tony Barrow, KRLA Beat, 13 August 1966.

    米国の『Los Angeles Times』でも、孤独な人々の人生を描いた、ほろ苦く美しい作品として受け止められています。

    ――Pete Johnson, Los Angeles Times, 7 August 1966.

    ところが、キンクスのRay Daviesは、まったく違う感想を述べています。

    1966年7月30日の『Disc and Music Echo』で、彼は『Revolver』の各曲を聴きながら批評を行いました。

    「Eleanor Rigby」については、最近買ったハイドンのLPにそっくりだと述べ、弦楽四重奏のような響きを、小学校の音楽教師を喜ばせようとしているかのようだと皮肉っています。

    ――Ray Davies, Disc and Music Echo, 30 July 1966.

    実際の「Eleanor Rigby」には、ジョージ・マーティンが編曲した弦楽八重奏が使用されています。ヴァイオリン4人、ヴィオラ2人、チェロ2人という編成です。

    現在では、このストリングスの扱いは『Revolver』の重要な特徴として語られています。
    しかし、Ray Daviesにとっては、クラシック音楽の表現をポップへ持ち込むことが、必ずしも新鮮には響かなかったのでしょう。

    彼は「Eleanor Rigby」の商業的な可能性を認めながらも、「I'm Only Sleeping」の方をはるかに高く評価しています。
    ここで興味深いのは、同じ音楽的特徴が、ある批評家には大胆な試みとして聞こえ、別の批評家には既存のクラシック音楽の借用として聞こえていることです。

    新しい表現とは、必ずしも新しい素材を使用することではありません。
    すでに存在する音楽を、それまでとは異なる場所へ移すことによって成立する場合もあります。

    しかし、その移動自体を価値あるものと考えるかどうかは、聴き手の判断に委ねられます。

    ある人には大胆な越境に聞こえ、別の人には、単にハイドンのように聞こえる。

    『Revolver』では、そうした評価の食い違いが同時に起きていたのです。

    「Yellow Submarine」は遊び心なのか、くだらない歌なのか

    さらに評価が割れるのが「Yellow Submarine」です。

    Maureen Cleaveは、リンゴ・スターの陽気な持ち味がよく表れた曲として、素直に受け止めています。
    『Melody Maker』も、子供向けの歌でありながら、合唱と効果音によって聴き手の警戒心を解いてしまうような作品として好意的に評価しています。

    『Los Angeles Times』では、子供のような単純さと想像力豊かなナンセンスが、この曲を忘れがたいものにしていると捉えています。
    しかし、Ray Daviesの反応は厳しいものでした。

    彼はこの曲をくだらないと切り捨て、自分がピアノでふざけて弾くような音楽だと評しています。

    ――Ray Davies, Disc and Music Echo, 30 July 1966.

    『Record Mirror』のPeter Jonesも、リンゴの個性は認めながら、特に心を動かされたわけではないと書いています。

    ――Richard Green and Peter Jones, Record Mirror, 30 July 1966.

    「Yellow Submarine」は、単純な童謡風のメロディーと、スタジオで作り込まれた効果音が組み合わされた曲です。

    その二つをどう評価するかによって、受け止め方は変わります。

    遊び心なのか。
    高度に作り込まれたナンセンスなのか。
    それとも、単純にくだらない歌なのか。

    ここには、音楽の完成度とは何かという、少し厄介な問題があります。

    複雑であることは、必ずしも優れていることを意味しません。
    同様に、単純であることも、それだけで価値になるわけではありません。

    「Yellow Submarine」が面白いのは、こうした評価基準の違いを、実に分かりやすい形で露わにしていることです。
    1966年には、これらの聴き方がすべて成立していたのでしょう。

    「何の音なのか分からない」――批評の言葉が追いつかない

    当時のレビューを読んでいて、私が最も興味を引かれるのは、批評家たちがしばしば、鳴っている音の正体をうまく説明できていないことです。

    それがよく表れているのが『Record Mirror』です。

    「I'm Only Sleeping」に登場する奇妙な音について、Peter Jonesは、弦楽器の唸りのようだが正体が分からず、エレクトリック・バグパイプなのかもしれない、と書いています。

    ――Richard Green and Peter Jones, Record Mirror, 30 July 1966.

    現在なら、逆回転されたギターという説明で済んでしまいます。

    録音方法を知っていれば、その音がどのように作られたかを理解することは難しくありません。

    しかし、初めて聴く人間には、その説明がありません。
    従来の楽器の音に当てはめようとしても、うまくいかない。
    そのため、何か別の楽器に似ていると表現するしかないのです。
    「Tomorrow Never Knows」になると、混乱はさらに大きくなります。

    Richard Greenは、唸り続ける音、叫び声や笑い声のような響き、割り込んでくるオルガンなどを挙げ、台所の流し以外は何でも入っている、いや、その流しまで聞こえた気がする、と冗談めかして書いています。

    Peter Jonesは、この曲から意味を取り出すには、耳の顕微鏡のようなものが必要だと評しました。

    ――Richard Green and Peter Jones, Record Mirror, 30 July 1966.

    ただし、二人はこの曲を否定しているわけではありません。

    奇妙で理解しにくいと感じながらも、その音楽に強く引きつけられ、非常に進んだ表現として評価しています。

    何を聴いているのか分からない。しかし、面白い。

    この感覚は重要だと思います。
    現在の私たちは、『Revolver』の制作技術について多くのことを知っています。

    どこで逆回転が使われたのか。どのようなテープ・ループが作られたのか。レスリー・スピーカーによって声がどのように加工されたのか。

    録音の過程を説明することはできます。
    しかし、そうした知識によって、初めてその音を聴いたときの困惑まで再現できるわけではありません。

    むしろ、音の作り方を知っていることで、何かを聴き落としている可能性さえあります。
    1966年の批評家たちは、まだ名前の与えられていない音を、それまでの音楽の言葉で説明しようとしていました。

    その説明がぎこちなくなるのは、当然のことだったのでしょう。
    そして、そのぎこちなさこそが、当時の音楽が持っていた未知の部分を、現在に伝えているように思います。

    Ray Daviesは何を疑っていたのか――進歩と音楽的価値は同じではない

    ここで、Ray Daviesのレビューをもう一度考えてみたいと思います。

    現在のロック史的な価値観から見れば、彼の評価は『Revolver』の革新性を十分に理解していないようにも見えます。

    しかし、実際にはそれほど単純な話ではありません。
    彼は「I'm Only Sleeping」をアルバムの最高の曲として評価しています。

    「Good Day Sunshine」「Here, There And Everywhere」にも高い評価を与え、「For No One」については「Eleanor Rigby」より優れていると考えています。

    つまり、ビートルズの作曲能力を疑っているわけではありません。
    彼が問題にしているのは、そうした楽曲の魅力と、電子音響や特殊な録音技術の導入が、どのような関係にあるのかということです。

    「Good Day Sunshine」について、彼は昔ながらのビートルズらしさが戻ってきたと評価します。

    そして、新しい電子音響をファンが好むとは思えないという趣旨の発言をし、ビートルズは隣の家の少年のような存在であるべきだ、ただし少しだけ優れている少年であるべきだ、と述べています。

    ――Ray Davies, Disc and Music Echo, 30 July 1966.

    この発言には、彼自身のポップ・ミュージック観が表れているように思います。

    ビートルズは、手の届かない前衛芸術家ではありませんでした。

    普通の若者に見えながら、自分たちより少し格好よく、少し面白く、少し優れた音楽を作っている。
    その親しみやすさと特別さの微妙な距離感が、ビートルズの大衆性を支えていた。

    Ray Daviesは、電子音響の導入によって、その関係が変わってしまうことに違和感を覚えたのかもしれません。

    ただし、ここで注意したいことがあります。
    彼は録音技術そのものを否定していたわけではありません。

    レビューの最後では、『Rubber Soul』の方に優れた楽曲があるという見解を示しながらも、『Revolver』の音のバランスや録音技術については、従来と変わらず優れていると認めています。

    ――Ray Davies, Disc and Music Echo, 30 July 1966.

    つまり、彼にとって技術的な完成度と、音楽としての価値は別の問題だったのです。

    実験的だから優れているのか。
    複雑になれば進歩なのか。
    新しい録音技術を使うことが、それだけで楽曲を豊かにするのか。

    Ray Daviesは、そのような考え方を無条件には受け入れませんでした。

    彼が好んだのは、音響的な珍しさよりも、楽曲そのものが持つ魅力だったのでしょう。

    こうして読むと、彼のレビューは『Revolver』の価値を見誤った批評というより、別の評価基準から同じアルバムを聴いた記録として興味深くなってきます。

    新しい技術が使われていることと、新しい音楽的価値が生まれていることは、必ずしも同じではありません。

    これは現在でも十分に成立する問いだと思います。

    Richard Goldsteinは何を聴いたのか――録音することが音楽になる

    Ray Daviesとは対照的な立場にいるのが、『The Village Voice』のRichard Goldsteinです。
    1966年8月25日のレビューで、彼は『Revolver』を革命的なレコードとして位置づけました。

    『Rubber Soul』が重要な前進だったのに対し、『Revolver』は大きな飛躍である。
    一度聴けば重要性が分かり、繰り返し聴くうちに意味が明らかになり、やがて楽しさや繊細さ、そして深みが見えてくる、と彼は書いています。

    ――Richard Goldstein, The Village Voice, 25 August 1966.

    Goldsteinが他の批評家と大きく異なるのは、電子音を単なる特殊効果として捉えていないことです。

    彼は、『Rubber Soul』がバロック的な音楽語法や東洋的な楽器をポップへ持ち込んだのなら、『Revolver』は電子音楽について同様のことを行っていると考えています。
    さらに重要なのは、録音という機械的な過程そのものが、音楽を構成する要素になっていると指摘したことです。

    ここでは、録音は演奏を保存するためだけの手段ではありません。
    録音装置を操作することによって音が作られ、その音が楽曲の構造を形作っていく。

    つまり、

    「演奏された音楽を録音する」ことから、「録音することによって音楽を作る」ことへの変化です。

    この違いをGoldsteinは、1966年の段階ですでに聴き取っていました。
    そして彼は、ジョン・ケージに場所を空けるよう呼びかける、挑発的な表現まで使っています。

    ――Richard Goldstein, The Village Voice, 25 August 1966.

    もちろん、ケージの音楽とビートルズの音楽は同じものではありません。

    ケージが問い直したのは、作曲、偶然性、演奏、そして音楽と非音楽の境界でした。

    一方、『Revolver』の実験は、ポップ・ソングという形式を維持したまま、録音技術によって音楽の表現領域を広げるものでした。

    両者の方法も目的も異なります。
    それでもGoldsteinにとって重要だったのは、それまで前衛音楽の領域に属していると思われていた音の操作が、大衆的なレコードの中で実現されていることだったのでしょう。

    しかも、そのレコードを作っているのは、当時最も大きな人気を持っていたポップ・グループです。
    電子音楽や実験的な音響が、限られた聴衆のための表現ではなく、膨大な数の人々の耳へ届いている。

    そこにGoldsteinは、ポップ・ミュージックの可能性が広がる瞬間を見たのだと思います。
    ただし、彼もアルバムのすべてを無条件に称賛していたわけではありません。

    レビューでは、平凡な素材も含まれていると認めています。

    それでも『Revolver』を重要視したのは、個々の楽曲の出来以上に、レコード全体が音楽表現の領域を拡張していると感じたからでしょう。

    ここでRay Daviesとの違いが明確になります。

    Ray Daviesは、楽曲の魅力が新しい音響によってどれほど豊かになったのかを問うています。
    Goldsteinは、録音によって音楽そのものの可能性がどれほど広がったのかを問うています。

    二人は同じアルバムを聴きながら、異なるものを評価していたのです。

    「Tomorrow Never Knows」――何を評価するかで姿を変える音楽

    こうした批評の違いが最も鮮明になるのが、「Tomorrow Never Knows」です。

    この曲では、持続的なリズム、インド音楽を思わせる音の構成、テープ・ループ、加工された声などが組み合わされています。

    その音楽的な特徴について、批評家たちはそれぞれ異なる反応を示しました。

    『Melody Maker』は、電子音響とリズムの魅力を認めながらも、本来アルバムの最高の曲になり得たものが、過剰な音響によって埋もれてしまう危険を指摘しています。

    ――Melody Maker, 30 July 1966.

    Ray Daviesは、奇妙な音が次々と登場することに驚きながら、ディスコでは人気になるだろうと予想しています。
    さらに、この曲を録音したときにはジョージ・マーティンがトーテム・ポールに縛り付けられていたに違いない、と冗談まで言っています。

    ――Ray Davies, Disc and Music Echo, 30 July 1966.

    『Record Mirror』のRichard GreenとPeter Jonesは、音の正体や意味をうまく説明できず、困惑しながらも強い興味を示しています。

    ――Richard Green and Peter Jones, Record Mirror, 30 July 1966.

    そしてGoldsteinは、この曲をアルバム全体を理解するための重要な作品として捉えています。
    鳥の悲鳴のような音、霧笛を思わせるオルガン、遠くから聞こえてくるジョンの声。

    そうした音響が、従来のポップ・ミュージックの現実感を揺るがしている。

    彼は、この曲がそれまでのポップの領域を大きく越えており、境界線を引き直さなければならないと考えました。

    ――Richard Goldstein, The Village Voice, 25 August 1966.

    同じ曲を聴いて、これほど異なる評価が現れています。

    音響が楽曲を覆い隠している。
    奇妙だが、ディスコでは受けるかもしれない。
    何の音か分からないが、強く引きつけられる。
    従来のポップ・ミュージックの境界を変えてしまった。

    ここで重要なのは、必ずしも誰か一人が正しいわけではないことです。

    それぞれの批評家は、自分の持つ音楽的な価値観によって、曲の異なる側面を聴いています。

    『Melody Maker』は、楽曲と音響の関係を問題にする。
    Ray Daviesは、それがポップ・ミュージックとしてどう響くかを考える。
    『Record Mirror』は、未知の音響そのものに驚いている。
    Goldsteinは、その音が音楽の歴史の中で何を変えるのかを考えている。

    「Tomorrow Never Knows」が興味深いのは、一つの評価基準では捉えきれない音楽だったことです。

    そして、1966年の批評家たちは、そのことを意図せず証明しているようにも思えます。

    「ビートルズらしさ」は、どこへ向かっていたのか

    もう一つ、当時のレビューを通して見えてくるのが、「ビートルズらしさ」という言葉の揺らぎです。
    Ray Daviesは「Good Day Sunshine」を、昔ながらのビートルズが戻ってきたような曲として評価しています。

    『Record Mirror』も「And Your Bird Can Sing」を、聴き手がよく知っているビートルズの姿に近い曲として紹介しています。

    つまり、1966年の時点ですでに、

    「これは従来のビートルズだ」
    「これは新しいビートルズだ」

    という区別が、批評家たちの間で成立していたのです。

    一方、『Melody Maker』は、もう少し違った角度からアルバムを捉えています。
    14曲の多くが、もはやグループとしてのビートルズの曲というより、ポールの曲、ジョンの曲、ジョージの曲、そしてリンゴの曲として聞こえる、と指摘しているのです。

    ――Melody Maker, 30 July 1966.

    これは1966年7月の文章です。

    後の『White Album』や、4人の関係の変化を知ったうえで書かれたものではありません。

    すでに『Revolver』の段階で、メンバーそれぞれの音楽的な個性が、外部の批評家にも聞き取れるほど明確になっていたのでしょう。

    ただし、この時点では、個性の違いがグループの分裂を意味しているわけではありません。
    むしろ、異なる方向へ向かう音楽が一枚に集まることで、アルバムの豊かさを生み出しています。

    これは私が『Revolver』に感じていた魅力とも重なります。

    「Tomorrow Never Knows」と「Here, There And Everywhere」は、ほとんど別の世界の音楽です。

    「Love You To」と「Yellow Submarine」も、同じ方向を向いているとは思えません。

    それでも、一枚のアルバムとして聴くと、不思議なまとまりがあります。
    統一された音楽様式があるから、一枚に聞こえるのではない。

    違う方向を向いた4人が、同じレコードの中にいるから一枚に聞こえる。

    『Revolver』には、そうした奇妙な統一感があるのだと思います。

    それでも『Revolver』はポップ・ミュージックだった

    ここまで見てきたように、『Revolver』には、それまでのポップ・ミュージックではあまり聞かれなかった音響や表現が登場します。

    しかし、アルバム全体を実験音楽として説明することには、やはり無理があります。

    Tony Barrowは、若いファンの中には、いくつかの曲を複雑すぎる、知的すぎる、あるいは奇妙すぎると感じる人もいるだろうと書いています。

    その一方で、「Yellow Submarine」「Doctor Robert」「Eleanor Rigby」「Got To Get You Into My Life」など、直接的で分かりやすい魅力を持った曲も十分にあると指摘しています。

    ――Tony Barrow, KRLA Beat, 13 August 1966.

    ここが『Revolver』の核心なのではないかと思います。
    「Tomorrow Never Knows」だけを取り出せば、相当に奇妙な音楽です。

    しかし、その近くには「Here, There And Everywhere」がある。
    「Love You To」がある一方で、「Yellow Submarine」がある。

    「Eleanor Rigby」の弦楽器があり、「Got To Get You Into My Life」のブラスがある。
    ビートルズは、実験的な音楽へ一方的に進んでいったわけではありません。

    かといって、従来のポップ・ソングを捨てたわけでもありません。
    その両方を、同じアルバムの中に持ち込んでいます。

    一つの新しい方向へ進んだのではなく、進むことのできる方向そのものを増やしてしまった。

    それが『Revolver』だったのではないでしょうか。
    そして、このことは批評家たちを困惑させる原因にもなりました。

    どこに価値を置くかによって、アルバムの姿が変わってしまうのです。

    楽曲の完成度を重視するなら、別の曲が優れて聞こえる。
    録音技術を重視するなら、また別の曲が重要になる。

    大衆性を評価するのか、実験性を評価するのかによっても、結論は変わります。

    『Revolver』は、そうした評価の違いを一枚の中に抱え込んだアルバムだったのでしょう。

    評論の食い違いこそ、『Revolver』の姿だった

    後世から見れば、『Revolver』の重要性を説明することは、それほど難しくありません。

    「Tomorrow Never Knows」は録音技術の可能性を広げた。
    「Eleanor Rigby」は、ポップ・ソングに新しい表現を持ち込んだ。
    インド音楽の導入や電子音響の使用は、その後のロックに大きな影響を与えた。

    私たちは、その後の音楽史を知っています。
    しかし1966年の批評家たちは、まだ何も知りませんでした。

    目の前にある『Revolver』が、その後どのような意味を持つことになるのか、予測できるはずもありません。

    Ray Daviesが、電子音響に疑問を持ったこと。
    『Melody Maker』が、音響によって楽曲が埋もれる危険を感じたこと。
    『Record Mirror』が、何の音なのか分からないまま、その奇妙さに引きつけられたこと。
    そしてGoldsteinが、録音の過程そのものが音楽になるという変化を聴き取ったこと。

    これらの反応は、後世から見た正解と不正解に分類できるものではないと思います。
    それぞれが、1966年という時代に存在していた音楽の評価基準を反映しているからです。

    Goldsteinはレビューの最後で、『Revolver』が将来、ロックンロールが芸術的な営みへ発展していく過程の重要作品として振り返られるだろうと予測しています。

    ――Richard Goldstein, The Village Voice, 25 August 1966.

    結果的に、その予測は音楽史の中で広く共有される評価と重なることになりました。

    しかし、だからといってGoldsteinが正しく、Ray Daviesが間違っていたと整理してしまうと、当時の批評を読み直す意味が薄れてしまいます。

    Ray Daviesが抱いた、こうした電子音は本当に必要なのかという疑問も、1966年に『Revolver』を聴くことの一部だったからです。

    むしろ私は、そうした評価の違いが同時に存在していたことこそ重要だと思います。
    既存の基準で評価できるものもあれば、その基準ではうまく捉えられないものもある。

    親しみやすい曲の隣に、何の音なのか分からない曲がある。
    従来のビートルズらしい音楽と、そこから遠く離れようとする音楽が同居している。

    そして、そのどちらも同じグループによって作られている。

    既存の評価基準だけでは処理できないものが現れたから、評価が割れた。

    『Revolver』とは、最初からそういうレコードだったのではないでしょうか。

    おわりに――新しい音楽を、どう聴くのか

    今回、1966年のレビューを読み直しながら、もう一つ考えたことがあります。

    それは、私たち自身もまた、1966年の批評家たちと同じ立場にいるのではないか、ということです。

    新しい音楽を聴いたとき、それが本当に新しいものなのか、既存の表現を組み替えただけなのか、あるいは単なる思いつきにすぎないのか。
    その場で判断することは、決して簡単ではありません。

    私たちは、過去の音楽から身につけた知識や経験を使って、新しい音を理解しようとします。

    しかし、その判断基準そのものが、過去の音楽によって作られているのだとすれば、そこから外れたものをどう評価すればよいのでしょうか。

    Ray Daviesのように、楽曲そのものの価値を問い直すことも必要でしょう。

    Goldsteinのように、音楽の形式や制作方法が変わりつつあることに注目することも必要でしょう。

    そして、ときには『Record Mirror』の批評家たちのように、何の音なのか分からないまま、その奇妙さを楽しむことも必要なのかもしれません。

    新しい音楽を聴くということは、必ずしも、その価値をすぐに判断することではないのでしょう。
    むしろ、それまで自分が持っていた評価基準が、うまく働かなくなる経験でもあるのだと思います。
    振り返ってみると、私が昔から『Revolver』を何度も聴いてしまった理由も、そこにあるのかもしれません。

    ただ良い曲が並んでいるのではありません。
    一曲ごとに、音楽に対して自分が何を求めているのかを、少しずつ考え直させられるのです。

    ポップ・ソングとして楽しんでいたはずなのに、いつの間にか、音そのものの面白さに耳を奪われている。
    実験的な音響に引きつけられていたはずなのに、次の曲では、ごく普通のメロディーの美しさに戻される。

    その繰り返しが、いまだに面白いのです。

    聴くたびに、評価する基準の方を少し動かされる。

    1966年の批評家たちが、同じアルバムについて揃って違うことを言っているのを読むと、『Revolver』とは最初からそういう音楽だったのだと思えてきます。

    そして、音楽を聴く楽しさもまた、そうしたところにあるのではないでしょうか。


    参考資料・出典

    1966年当時の批評

    • Maureen Cleave, “The Beatles: Revolver (Parlophone PMC 7009),” Evening Standard, 30 July 1966.

    • “BEATLES BREAK BOUNDS OF POP,” Melody Maker, 30 July 1966. 執筆者名記載なし。

    • Ray Davies, 『Revolver』レビュー, Disc and Music Echo, 30 July 1966.

    • Richard Green and Peter Jones, “The Beatles: Revolver (Parlophone),” Record Mirror, 30 July 1966.

    • Pete Johnson, “New Beatles Album Best Yet,” Los Angeles Times, 7 August 1966.

    • Tony Barrow, “Revolver Is Title For New Beatle LP,” KRLA Beat, 13 August 1966.

    • Richard Goldstein, “Pop Eye: On ‘Revolver’,” The Village Voice, 25 August 1966.

    再録・補足資料

    • Rock's Backpages, “The Beatles' Revolver: A report and five rave reviews,” October 2022.

    • The Village Voice, “Report from Swinging London: ‘Revolver’ Revolution,” 27 March 2020. Richard Goldsteinによる1966年の批評を再録。

    • Flashbak, “Disc And Music Echo 1966 – The Kinks v The Beatles And Yellow Submarine is ‘Rubbish’,” 8 March 2026. Ray Daviesの当時評を再録。

    • The Beatles公式サイト, “Announcing Revolver Special Editions,” 2022. 英米盤の収録曲の違い、および録音・制作に関する資料。

    • The Beatles Bible, “28 April 1966: Recording: Eleanor Rigby.” 弦楽八重奏の録音編成に関する資料。

     
     
    いい年こいてDTMを始めたおやじです。 所謂ポストパンク、ノイズ、実験的なロックなどを長年聴いてきました。 ジャンルや「名盤」の枠に収まらない音楽に惹かれ、 昔の音を今の耳で聴き直しながら、思うことをヒラヒラ書いています。 文章がポエミーなのは昔読んだ某雑誌の所為ですw

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