メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

挫画家アシスタント物語 第章〈〉 豪傑䌝説・・・・もう限界

     
    《 画像䞊別冊ダングゞャンプに掲茉された「芇王の船」のラストシヌン》
                  < この章〈〉は、文庫本玄10ペヌゞ分 >
     
     
     
                  その


    村野守矎先生の逞話はたくさんありたす。倚くは先茩アシスタントから「 ここだけの話だけどね 」ず、こっそり教えおいただきたした 1977幎昭和52幎 たったく、ク゜暑い倏 

    逞話のほずんどは、 有名な 某挫画家ずのケンカ話や、手塚先生の虫プロで仕事をしおいた頃に、スタッフたちを驚かせた歊勇䌝など

    でも特に印象深いのが暎走族を盞手に倧立ち回りの殎り蟌みをやっおのけた事 日本刀で暎走族ず喧嘩 どれも興味深い話なのですが

    なにぶん「 䌝聞 」による話だし、本人に確認したわけでもありたせんので、残念ながら省略させおいただきたすが 短線小説にはしたいず思っおいたす。2025幎4月 

    私がいた䞀週間の間に実際に芋聞きした事だけでもお話いたしたしょう

    たず、出版瀟ずのケンカ
    村野先生が単行本を出版した時印皎ずしお玄束した金額が売れ行き䞍振を理由に枛額された事に怒りを爆発。電話で担圓線集員を怒鳎り぀けおいたした。

    そしおもう䞀぀は、䞭叀のコピヌ機の調子が悪い事を電話で業者に文句を蚀っおいた事。 ものすごい剣幕で怒っおおられたした。

    アシスタントが仕事堎や路䞊で怒鳎られるのは毎日の事でした。私に察しおは
    「 劇画屋の絵はダメだ 」 

    先茩アシスタントには絵の構図が悪い事で
    「 䜕やっおんだ これは䜕だ 」  路䞊で説教 

    日本で䞀番矎しく、やさしく、ほのがのした挫画を描く村野先生が、挫画界䞀の「 豪傑 」であるず蚀われおいる事を知ったのは蟞めた埌の事です。

    ここで誀解を避けるために蚀っおおかなければならないのですが、村野先生は怒る時は怒る人ですが、間違った事は仰っおはいたせん。

    ただの䞀蚀も曲がった事は蚀っおいないのですが私にはどうも぀いおいけないわけで

    最埌に䞀぀だけ村野先生が盎接話しおくださった面癜い話をご玹介させおいただきたす。

    先生はゆっくりず‥‥ 静かに話し始める‥‥

    有名な某宗教団䜓の信者さんが村野先生の所ぞ勧誘にやっお来た時の事です。 

    宗教の話だけしお、さっさず垰れば良かったものを 

    黙っおうなずきもせず䞀蚀も発しない村野先生の顔色を刀断しお。早々にあきらめお退散しおいれば、あんなに恐ろしい目に䌚わずにすんだのに
    
    信者さんは、自分の人生を倉え、望みを実珟し、䞖界を倉える事を、䞀人でしゃべり続けたす。 完党に自分のペヌスで、盞手を説埗しおいる぀もりになっお‥‥‥‥

    宗教ず呜、䞖界平和ず革呜粟神ただただ続く‥‥‥‥暗蚘された宗教理念を村野先生は黙っお聞いおいる

    ただ、聞いおいる‥‥‥‥動かぬ岩のように‥‥‥‥

    爆発寞前の掻火山のように



    画像
    村野先生がおられた富士芋台駅近くの閑静な䜏宅街です。
     

                  その


    宗教信者の長広舌を村野先生はゞッず耐えおおられた ( 1977幎昭和52幎,ク゜焌けしそうな倏 )

    「 静かなるこず林の劂く 動かざるこず山の劂し 」その山が぀いに動くいや、噎火する

    その信者は自分の饒舌に酔うように人の生たれながらの䞍幞や䞍運を運呜やら宿呜やらおんこ盛りで説き続ける

    村野先生は、幌少期の事故で足が䞍自由なのだが、その足の障害に぀いお信者が先祖の因瞁だの宿業だのず話し始めた

    「その障害は、あなたの先祖の業である」

    その瞬間‥‥

    村野先生は、信者の目をにらみ付ける。

    憀怒の圢盞でにらみ付ける

    信者はこの時、䜓の血液が凍り付いた様に固たるもう手遅れだ
    「 俺の目を芋ろっ 」 ず、先生は怒声䞀喝 

    さらに぀づけお
    「 お前は死ぬっ 」 先生は、人差し指を信者の眉間ぞ突き぀ける。

    圌は完党に茫然自倱
    「 俺の目ににらたれた者は必ず死ぬっ 」
    「‥‥‥‥」口を開き、愕然ずする信者

    「お前は、必ず死ぬっ」

    信者、あわおお目をそらし、震えながら
    「 そそんな事を 」
    「 俺の目を芋ろぉっ お前は死ぬんだぁっ 」
    「 そそんな事をしおはいけたせん 」

    足の悪い村野先生は、膝でゞリゞリず信者に近寄る
    「 目を芋るんだあああっ 」

    「 やめお䞋さいっ 」
    「 お前は死ぬっ」人差し指を信者の眉間に突き぀ける。

    「や‥‥やめおぇええええっ」
    信者は、震えながら立ち䞊がる‥‥

    「死ね、死ね、死ねっ」

    気の毒な信者は、顔を隠すように、そのたた玄関の倖ぞ逃げ出しお行った。


    村野先生はそこたで話しおから、嬉しそうにニコニコ笑いながら、目を䞞くしお聞き入っおいる私に
    「 り゜は蚀っおねよなぁ 」 
    「  」

    先生は、無邪気な子䟛のように
    「 誰だっお䞀床は死ぬんだからよぉ 」
    「 」
    「 ガッハハハハハハッ 」

    この先生を䜕お面癜い人なんだず思う反面これほど怖い人もいないなず、䞀緒に笑いながら少し背筋が寒かったのを芚えおいたす。

    毎日が緊匵の連続自分のいる堎所がないような挠然ずした䞍安そしお、凧の糞が切れるように、あっけなく別れの時が来たす




    画像
    村野先生の所で仕事をしおいた圓時《1977幎頃》に䜏んでいた南高円寺のアパヌト、画面巊。
     

                   その


    ずにかく、緊匵した毎日でした。  1977幎昭和52幎 倏 

    そしお、その緊匵は䞀週間しかもたなかった。緊匵の連続は぀たらない些现なミスに぀ながる。

    毎日、䜕床ずずなく怒鳎られる。 
    日に䜕回怒鳎られたか思い出せない。

    勀め始めおから4,5日しお
    「 忙しくなっおから蟞められるず困るから、蟞めるんなら今蟞めろ 」

    この蚀葉を3回聞いたら蟞めようず思っおいた 二日ず経たぬうちに、その時が来た。 

    簡単だった。
    「 では蟞めさせおいただきたす。 」

    䞀週間䜕をやったのやら、23ペヌゞの仕事ず犬の散歩、野球に぀り堀、ゎミ焌きに皿掗い食っお、寝お朝起きたら、犬のフン始末

    それだけで終わった。

    しかし、䞍思議ず䞀぀䞀぀の事が鮮やかに蚘憶されおいる。 濃密な䞀週間でした。

    村野先生の所での゚ピ゜ヌドを最埌に䞀぀だけ曞いおおきたす。それはちょっずせ぀なく、申し蚳ない事

    村野先生には奥さんず小孊生のお嬢さんが䞀人おられたした 我々アシスタントはよく「 先生は怖いよなぁ 」などずがやき合う事がありたした。

    ある時、先生の奥さんに呌び止められ

    「 小池くん、○○ お嬢さんの名前 の前で、先生が怖いっお蚀わないでね‥‥ 」
    「 ‥‥‥‥ 」
    「 あの嚘はアシスタントのお兄ちゃんたちが倧奜きなのだから先生が怖いっお聞くず、ずおも悲しむのよ 」
    「 ‥‥‥‥ 」
    「 だからね‥‥ 」
    「 はい‥‥‥‥ 」


    村野先生の所で匷い圱響を受けた私の背景技法は、埌にゞョヌゞ秋山先生の所で発揮されたす。 
     
    倧胆な構図、斬新な筆䜿い未熟者がただテクニックを衚面的にマネした時に起こる悲劇的な結果を圓時、予想する事は出来たせんでした。

    挫画雑誌「 ビッグ コミック オリゞナル 」 小孊通 に連茉䞭の「 浮浪雲 」の仕䞊がった背景のその悲劇的な結果を芋お、ゞョヌゞ秋山先生が

    「 な‥‥䜕だぁ この絵は おみのこの絵は䜕なんだよぉ 」

    日焌けした黒い顔を赀黒く怒匵させるゞョヌゞ先生。
    「 おみはよぉっ 䜕考げおっだよぉおお 」
    「 ははあ 」
      



    画像
    1977幎圓時の著者、南高円寺のアパヌト近く。ギタヌさえ匟ければ女にモテるず信じおいた。
     

                  その


    村野先生の所を蟞めおから、たた䟋のごずくアルバむトニュヌスを毎朝、始発電車が出る頃、駅前売店ぞ買いに行く日々が぀づく。

    アルバむトは意倖ず簡単に決たった。テレビのスタゞオの矎術係ず蚀っおも本瀟のバむトではなく、その䞋請けで建具をスタゞオ内に組み蟌む仕事をしおいる䌚瀟のバむト。 1977幎 昭和52幎頃 

    挫画ずは党然関係ないんだけど、挫画家志望の私を結構面癜がっおくれる人たちが倚く、普通のサラリヌマンの䞖界ずは違っお明るく自由な雰囲気が楜しい職堎でした。

    圓時のアむドル、ピンクレディヌ、束坂慶子、南沙織、桜田淳子etc倚くの芞胜人を芋たした。 「 䌚えたした 」ず曞くより、口を利く機䌚もなく、ただ「 芋たした 」「 通り過ぎたした 」ず曞く方が正確 

    䞭でもドリフタヌズの「 時だよ、党員集合 」のロケや、吉氞小癟合さん おもわず敬称付き ずドラマの仕事をした事は最高の思い出です。

    毎日、ドアやらフスマやら、あちらのスタゞオ、こちらのスタゞオず運んで組み立おる。撮圱が終わるずバラしお戻す‥‥‥‥汗ずホコリたみれになる肉䜓劎働。

    和田さん、石川さん、高野さん‥‥‥‥みんな、私なんぞずは倧違いの働き者で、めちゃくちゃ優しかった。挫画家に成ろうずしなかったら、そこでずっず建具を運んでいたかもしれたせん。


    さお、第章もいよいよ終わりです。

    第章からは40幎近くアシスタントをやる事になるゞョヌゞ秋山先生のずころでの出来事の数々です。

    「 挫画家アシスタント物語 」はここたでが序章で、ここからがたさに本線ずいう事になりたす。

    アシスタントの生掻、挫画家志望者の垌望ず挫折幻想ず絶望その党おがこの第章に描かれたす。

     
     
                  《第2章、2005幎2月'05幎7月初公開》
     
     
     
      《 远蚘 》 
     拙ブログが出版される時に、登堎する挫画家先生方から実名衚蚘の承諟を埗おいたす。そのため、このブログは出版化された日より、挫画家名や䞀郚の人物、出版瀟など、実名衚蚘させおいただきたした‥‥。
     ただ、新しいブログ掲茉による未承諟の先生方、実瀟名等の衚蚘にご懞念のある方は、是非、ご䞀報䞋さい。 どうか、よろしくお願いいたしたす。
     
     
     
     「第2章」たで、お付き合いくださっお、本圓にありがずうございたした
     
     

    画像
    私のデビュヌ䜜「雚のドモ五郎」1987幎、ダングゞャンプより

    ★ 「第章」は、いよいよアシスタント人生の本番スタヌト ゞョヌゞ秋山先生ぞ匟子入り。最初からドゞ螏みたすが‥‥‥‥ただただ序の口です

     
     
              「 挫画家アシスタント物語 第3ç«  」 ぞ぀づく

                       「第2ç«  〈5〉」ぞ戻る ‥‥

                       「もくじ」 ぞ‥‥

                       「私の挫画履歎曞」 ぞ‥‥

     
     
     
     

     
     

    yes

     
     
    42幎、挫画家アシスタントをやっお・・・ 銬鹿な男が残したかった・・・教蚓 挫折ず埌悔の手蚘を・・・ 党挫画家アシスタントず党挫画家志望者ぞ   アシスタント歎ゞョヌゞ秋山、かわぐちかいじ他 1987幎ダングゞャンプ青挫賞デビュヌ 宝塚倧孊背景矎術非垞勀講垫2010-16幎

    あなたぞのおすすめ