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元漫画家アシスタントの チェンマイ淡々通信 29 中華料理ならタンメン!

     
    《 写真上:1994年、カミさんと結婚する前年、タイへ66歳の母と一緒に旅行した時の写真です。カミさんの地元、タートンのお寺で撮影しました。 》
     

     
     
                 淡々通信 29
     
     
    母と話していて、はじめて会話の異変に気付いたのは、2014年頃だったと思います。( 母は当時、86歳 )

    初期の認知症と診断されて、同居をはじめた頃でした。 一人暮らしでは火の始末や、室内の清掃などで不安があったためです。

    私が暮らす、さいたま市の武蔵浦和駅近くを歩いていた時です‥‥

    母と二人で、外食へ出かける時でした‥‥

    「お前、誕生日は何月だったかねぇ?」

    「 え? 」

    「 10月だったかねぇ? 」

    「 9月だよ 」

    「 何日かねぇ? 」

    「 25日 」

    「 そうだったかね‥‥ 」

    歳を取れば、誰でも多少の物忘れはあるものです‥‥ 私は気にもしませんでした。 何で60になる息子の誕生日を今さら‥‥‥‥

    そんな軽い気持ちでした‥‥‥‥

    ところが‥‥ 翌日、外へ一緒に食事へ出かける時でした‥‥

    「 お前、誕生日は何月だったかねぇ? 」

    「 え? 」

    「 10月だったかねぇ? 」

    「 ‥‥‥‥ 」

    「 何月だったかねぇ? 」

    私は、落ち着いて‥‥

    「 9月だよ 」

    「 何日? 」

    「 ‥‥‥‥25日 」

    「 そうだったかね‥‥ 」

    まったく同じ会話が、翌日も続きます‥‥ そして、それが最後の「誕生日は何月だったかねぇ?」になりました。
     

    同居をはじめて、半年ほどした頃だったと思います‥‥

    一緒にカレーを食べようと駅前の「ココ壱」へ入った時でした。 カレーのメニューを見ながら、私は自分の注文を告げた後で‥‥

    「 母さんは、何のカレーがいい? 」

    「 私はねぇ‥‥‥‥ タンメン 」

    中華では、タンメンが大好きだった母。 中華屋さんへ行っていればよかったのに‥‥ 今、この記事を書きながら、そんな風に思い返しています。

    私がまだ幼かった頃、渋谷の山手線のガード下にあった町中華で、二人で一つのタンメンを食べた事があります。 母は、お店で小さな茶碗を一つ出してもらうと、その茶碗にタンメンを分けて与えてくれたのです。

    なぜか‥‥ そんな思い出が今でもハッキリと浮かんできます‥‥

     
     
    下の写真は、母が酸素吸入器を付けている写真です。

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    病院の集中治療室では、診察と痰の吸引などをしてもらっている間に、看護師や担当医師とだいたい‥‥ 以下のような会話がありました。( もちろん、全ておおよそのタイ語です )

    「 すぐに人工呼吸器を使用します、よろしいですか? 」

    「 それで、良くなるのですか? 」

    「 わかりません。もし、良くならなければ、もっと大きな病院へ行って、開胸手術をして呼吸器を直接‥‥ 」
     
    私は、「人工呼吸器」という言葉を聞いて、これはもう98歳の母の終末期を覚悟しました。

    「 人工呼吸器などの経管栄養などの治療はしません 」

    私の言葉に、医師も看護師も、まったく驚く様子もなく、仕方がないな‥‥といった表情で受け入れてくれました。

    「 では、こちらにサインを‥‥ 」

    人工呼吸器を拒否した結果がどうなるか‥‥ 全てに責任を負うという誓約書です。 それにしっかりと私は英語で名前を明記しました。

    以前、カミさんの父親が、人工呼吸器の治療をはじめた翌日、治療を拒否した( その後、半年間無事だった )経験があったので楽観していました。

    実際に、集中治療室を出る(すぐに追い出されます)時、痰の吸引を済ませた母は、すっかり呼吸が平常に戻り、気持ち良さそうに休んでいたのです。

    『 きっと、心肺機能は弱っていても、痰が吸引されて楽になったのなら、それで良かったのかな‥‥ 』

    そのまま帰宅しました。

    ちなみに、この公立病院での、救急搬送、酸素吸入、集中治療室での診察、痰の吸引、投薬と数種類の薬品代、合計5千円。 私立の病院だと5万円ほどになるかもしれません。( 円高だった頃なら3千円でした )
     

    自宅に戻ると、近所の方が持っていた酸素吸入器を貸してくれて、さっそく母に使ってもらいます。( 上の写真です ) 

    それを嫌がる事もなく、くつろいでくれていました。

    心拍、呼吸、酸素濃度‥‥ すべて、不安定でしたが、少しだけ正常な状態に戻りつつあると感じました。( 厳密な検査ではありません )

    スヤスヤと眠る母を見ていて‥‥ 私は‥‥

    『 この調子なら、しばらくは頑張ってくれそうだなぁ 』
    ‥‥そんな風に思いました‥‥‥‥ いや、思おうとしたのでした。

    その日の夜には、酸素吸入器もはずし、駆け付けてくれたご近所さん、友人たちも、私たちも休む事にしました。

    ところが、深夜‥‥

    また母の呼吸にゴロゴロという、痰がからんでいるような音が混じり出します‥‥‥‥

    すぐに酸素吸入器を付けて、私は、母の横で休む事にしました。

    早朝、家人が庭を掃除した後で、母の様子を見に来た時には呼吸が止まっていました。( 心肺機能の低下から肺水腫になっていたのだと思います )

    横に寝ていた私が家人に起こされ、すぐに、呼吸、脈拍、瞳孔反射を確認します‥‥ まったく反応がありませんでした。

    手や足、顔も温かい‥‥‥‥ まるで生きているようでした。 ただ、ゆったりと、おだやかな表情で寝ているだけ。
     
     

    今、この記事を書きながら思うのですが‥‥‥‥

    もう、タンメンを食べられない母‥‥‥‥

    『 タイで、もう一度、タンメンを食べさせてやりたかったなぁ‥‥‥‥ 』

    そんな「 後悔 」って‥‥‥‥ 後になってから思うんですね‥‥‥‥

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    その日、朝日を浴びながら‥‥ 棺に入った母です。

     
     
     

                  「 チェンマイ淡々通信 30 」 へつづく‥‥

                         「 淡々通信 28」へ戻る‥‥

             「 もくじ、移住物語 こりゃタイ編、淡々通信 」へ‥‥
     
     
     
     
     
     

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    42年、漫画家アシスタントをやって・・・ 馬鹿な男が残したかった・・・教訓! 挫折と後悔の手記を・・・ 全漫画家アシスタントと全漫画家志望者へ!   アシスタント歴:ジョージ秋山、かわぐちかいじ他 1987年ヤングジャンプ青漫賞デビュー 宝塚大学背景美術非常勤講師2010-16年

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