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元漫画家アシスタントの チェンマイ淡々通信 27 家政婦はみんな逃げた!

     
    《 写真上: 2019年に自宅が完成したばかりの頃の写真。この当時は、まだ正面玄関前に洗濯物を干していました。写真右側が玄関、左が居間です 》


     
                淡々通信 27

     
     
    家人の母親は、2026年現在、93、4歳になります。母よりも4,5歳若いのですが、認知症だけではなく、視覚障害(ほぼ全盲)と聴覚障害(耳元で大声を出さないと聞こえない)があるので、24時間看護が必要です。

    ‥‥というわけで、今回の記事は、老母の介護についての記事になります。

    認知症も軽症の混乱した状況(物忘れ、猜疑心などのトラブル)から、中度のせん妄(錯乱、幻聴、幻覚)、そして後期になると、体力の低下に伴う食事や排せつなどの問題が介護者の大きな負担になります。

    そのため、普通の家政婦さんではとても務まりません。かなりの忍耐と経験や知恵がないと1日も耐えられません。特に、24時間泊まり込みでの看護は過酷です。

    深夜に、せん妄による叫び声で何度も起こされるのは、まだましで‥‥

    24時間、全く飲まず食わずで独り言を壁に向かってしゃべり続けたり、怒鳴り続けたりする認知症患者。 横にいて、常にベッドから落ちないように監視し続けるのは忍耐の限度を超えてしまうのです。

    20歳前後の女性で、最初の夜に私の母の隣のベッドの布団に頭かからもぐり込み、顔も手も足も隠して寝ている方がいました。( 臭気に耐えられなかったのです )

    7年間で、多くの女性(18歳~60歳)が200人位は入れ替わり務めてくれましたが、長く( 半年以上 )勤めてくれたのは、4,5人だけでした。
     
     

    下の写真は、最も母を長く介護してくれた女性と私の母の写真です。女性が食事の介助をしてくれています。


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    彼女は、母がこの家へ来てから、7年間の内の約5年間も務めてくれました。
     
    彼女のお陰で、どれほど私や家人が助けられたか知れません。彼女の最初の給料は月に4万円ほどでしたが、5年勤めてくれた時には10万円前後に倍増していました。( 物価高や円安の影響もありました )

    母にとって、タイは言葉も文化もわからない馴染めない世界だったと思いますが、認知症もあって複雑なコミュニケーションも必要ないし、逆に気軽な部分もあったと思います。

    疑問や猜疑心、などの不信感よりも、文化の違いや言語の違いによる「諦め」の方がストレスよりも勝ってしまうのだと思います。

    単純に、毎日ケアされる安心感があったためか、「ありがと」「ありがと~」などの言葉を介助のたびに口にしていました。

    ちなみに、認知症も中期から後期になると、私の事も「あんた誰」ではなく、「先生」とか呼ぶようになっていました。 終末期には、「誰?」とも言わなくなります。
     
     

    下の写真は、母の部屋の引き戸です。車椅子が軽く出入り出来るように大きな引き戸になっています。


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    本当は障子戸にしたかったのですが、タイにはもちろん障子戸なんてありません。こんな板戸で和風を演出するのが精一杯でした。
     

    特に介護で大変なのは、排泄の介助です。

    これは、経験しないとその過酷さは理解できません。これが困難なために、ほとんどの女性は数日で仕事を放棄してしまいます。そのたびに私が排泄の始末や食事の介護をするわけです。

    特に排泄は、替えの紙パンツを取り換えるのが難しいのです。パンツの交換は毎日2回か3回行いますが、その時に床ずれを予防するための処置や、薬品の使用も同時に行うのが難しいのです。

    この作業になれていていも30分はかかります。そろそろ終わる頃に、排便と排尿をされると、新しいパンツもシーツも、ベッドのマットさえベトベトに排泄物で汚れる場合があります。

    そんな時には、ブチ切れそうになります‥‥ いや、ブチ切れてしまいます‥‥ 

    「 よくも、やってくれたなぁ‥‥ ビチャビチャだ~!」
    「 せっけく、今、取り換えたのに! チクショォオオオ~~ッ! 」

    ‥‥と本気で頭に来てしまいます。( もちろん、口にはしませんが )

    「 パジャマも、ベッドシーツもマットも全部取り換えなきゃならないっ! 最初から全部やり直しだっ! 明日は洗濯もんの山だぁあああ~っ 」

    そのため、取り換えたパンツをしっかりと、閉じるまでは油断ができません‥‥‥‥ いや、パンツをしっかり閉じ終わる、その瞬間が一番怖い瞬間なのです!

    上手くゆけば、一日に二度で済みますが、排便の失敗の状況では3回、4回と交換をしなくてはなりません。

    数万円の月給で、これを毎日24時間続ける事が出来るのは、40人から50人のヘルパーさんの中で1人しかいません。
     
     

    下の写真は、老母二人が食事の後でリラックスしているところです。左が私の母で、右が家人の母です。


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    排泄の介助の次は、食事の介助が大変なのです‥‥

    ただ、スプーンで口へ運んで食べさせるだけなら簡単なのですが、介護のレベルに応じて、介護食、流動食、液状食とレベルがあるし、最も難しいのが食べない場合どうするかです。(食べない母親と食べさせる子供との根競べになります)

    そして、最も困難なのが‥‥ 排便障害です。

    これは、便が肛門部で硬くなって出ない状態です。 排便の筋力も落ち、少し硬い便だと排便を諦めてしまいます。 そして、時間が経てと石のように固くなるので、下剤や浣腸では何の効果もありません。

    コルクの栓のようになった硬便をどうするか‥‥‥‥ これは、命に係わる問題で、日本なら専門医じゃないと対応できません。

    うちでは、カミさんが熟練した技で、1時間かけてでもこの硬便を排泄させます。ゴム手袋をして、肛門をマッサージするようにゆっくりと、ゆっくりと‥‥‥‥

    便を軟化させながら‥‥‥‥ 

    指でほじくり出すのです‥‥‥‥ 時に1時間もかけて!

    毎日、下剤を飲ませれば良いんじゃないか‥‥ そう思われる方もあるかと思います。

    でも、重度の認知症患者が、薬を飲むと思いますか?

    食べない物は絶対に食べないし、飲まない物は絶対に飲みません‥‥ では、どうやって?

    パイプを使った経管栄養補給‥‥?

    ‥‥‥‥これを選択すると、認知症患者の場合、勝手に針を外してしまうのを防ぐために、ベッドに拘束せざるを得ません。
     

    我が家で選択した方法は‥‥‥‥

    できる限り、毎日、毎時間、水分を摂ってもらう‥‥‥‥ これだけです。( もちろん、液状食、乳製飲料、オリーブオイルなど、試行錯誤の連続 )

    油断すれば、地獄のフン詰まり!

    寿命の「 詰み 」です。
     
     
     
    下の写真は、2017年に母がタイへ移住した時に撮影した写真です。

    チェンマイの借家の玄関前。 タイの人は、こうした野天で食事を摂ったり、友人と歓談するのが好きですね。

    この当時は、まだせん妄もないし、介助されれば歩行する事もできました。

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    次回は、いよいよ‥‥‥‥ 

    日本人がタイで死ぬ‥‥‥‥ その時、どういう事が起きるのか‥‥‥‥

    その辺の経緯をお話しできると思います。

      
     
     
     

                  「 チェンマイ淡々通信 28 」 へつづく‥‥

                         「 淡々通信 26」へ戻る‥‥

             「 もくじ、移住物語 こりゃタイ編、淡々通信 」へ‥‥
     
     
     
     
     

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    42年、漫画家アシスタントをやって・・・ 馬鹿な男が残したかった・・・教訓! 挫折と後悔の手記を・・・ 全漫画家アシスタントと全漫画家志望者へ!   アシスタント歴:ジョージ秋山、かわぐちかいじ他 1987年ヤングジャンプ青漫賞デビュー 宝塚大学背景美術非常勤講師2010-16年

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