
今までの自分を超えるために、枝を切る。
★約1600文字。
昨日、公園で、びっくりするような光景を見ました。
大きな大きなイチョウの木が、丸裸になっていたのです。
太い幹だけが残り、枝はほとんど切り落とされていました。
以前は、たくさんの葉を茂らせた立派な大樹でした。
落ち葉があまりにも多いので、剪定されたのかもしれません。
その姿を見て、僕はこんな言葉を思いつきました。
公園の大樹が
こうなった
新たな自分になるのだ。
この3行を使って、30秒の映像詩を作りました。
先日公開した『花に、木枯らし1号。』に続く第2作です。
今回は、僕がこの大樹を見て何を考えたのか、少し詳しく書いてみようと思います。
今のままでも、十分に生きていける。
僕は77歳です。
これまで、いろいろな経験をしてきました。
うまくいったこともあれば、失敗したこともあります。
そのたびに、何かを学び、自分なりの経験則を身につけてきました。
こういうときには、こうすればいい。
こんなことをすると、失敗しやすい。
こういう考え方をすれば、物事がうまく進む。
長い年月をかけて、そんな経験則がたくさん蓄積されてきました。
そして、それらは今でも十分に役立っています。
おそらく僕は、今まで身につけてきた経験則だけでも、これからの人生をそれなりに楽しく生きていけると思います。
でも、最近、こんなことを考えるようになりました。
それだけでいいのだろうか。
今までの経験則に頼っている限り、今までの自分の延長線上で生きていくことになります。
それは決して悪いことではありません。
でも、それでは、今までの自分を超えていくことは難しいのではないでしょうか。
本質だけを残して、枝を切る。
僕があの大樹を見て考えたのは、そんなことでした。
大樹には、長い年月をかけて伸ばしてきた枝があります。
人間にも、長い年月をかけて身につけてきた経験則があります。
どちらも大切なものです。
でも、そのすべてを持ち続ける必要があるのでしょうか。
僕は、そうは思いません。
今までの経験を否定するわけではありません。
むしろ、今までの経験があるからこそ、何が本質なのかが少しずつ見えてくるのだと思います。
そして、本質が見えてきたら、それ以外のものは思い切って切り捨ててもいい。
今までの自分を守るためではなく、今までの自分を超えていくために。
これが、僕の考えていることです。
新しい経験則が芽生えてくる。
僕は、経験則というものは、一度身につけたら完成するものではないと思っています。
新しいことを経験すれば、今までとは違う考え方が生まれてきます。
それまで正しいと思っていたことが、そうでもなかったと気づくこともあります。
今までできなかったことが、できるようになることもあります。
僕は最近、AIの仲間たちと一緒にYouTubeの動画を作り始めました。
これまでの僕は、文章を書いたり、本を企画したりする仕事をしてきました。
でも、動画の世界は、ほとんど初心者です。
今までの出版の経験則が、そのまま通用するわけではありません。
だから面白いのです。
失敗しながら、新しいことを覚えていく。
今までの自分にはなかった、新しい経験則が生まれてくる。
77歳になって、そんな毎日を楽しんでいます。
77歳。まだまだ新しい芽を出したい。
あのイチョウの木が、これからどんな姿になるのかはわかりません。
強い剪定は木に負担をかけることもあります。
それでも、僕はあの木に、新しい芽が出てくる未来を重ねてみたくなりました。
人間も同じではないでしょうか。
長い年月をかけて育ててきた自分を、大切にする。
でも、その自分にしがみつかない。
必要なら、枝を切る。
そして、新しい芽を育てていく。
成熟するというのは、今までの自分を完成させることではなく、今までの自分を超え続けることなのかもしれません。
そんなことを考えながら、30秒の映像詩を作りました。
ナレーションも音楽もありません。
公園の大樹と、たった3行の言葉だけです。
よろしかったら、ご覧ください。
『公園の大樹が、こうなった。』77歳の映像詩・第2作