
人間らしく暮らす方法を、人間以外に聞いた
「2LDKと2DKの決定的な違い」
「化粧品成分のニコチンアミドは、あのタバコのニコチンなのか。中毒にならないか」
「ニコチンが神経細胞に作用して害になるしくみ」
「フィルターレスのコーヒーメーカーが目詰まりしたときの対処法」
僕の検索履歴をのぞいた人は、カフェインとニコチンに依存しながら引っ越し先を探している、少し情緒不安定な人間だと思うかもしれない。
違うのである。これはここ数日のあいだにAIへ投げた質問の、ほんの一部だ。
最近、何でもかんでもAIに聞いている。散歩中に空き家の看板を見れば間取りの違いを聞く。化粧水の成分表を見れば毒性がないか聞く。その流れで、タバコの成分がどうやってドーパミンを出させるのかまで教わった。今朝はコーヒーフィルターの目詰まりを相談した。
こういう生活をしていると、一日が疑問でできていることがよくわかる。もし1日のうちに「あれ、これ何だっけ」と立ち止まる回数を数えたら、想像を絶するだろう。
子どもの頃、先生や親から「分からないこと、気になることは放置せず、すぐに調べましょう」と教わった。その教えを守っているのだから、僕は相当まじめな大人のはずだ。
ただ、AIを閉じた瞬間に何もわからなくなる。知らないことだけではない。一度覚えて忘れたことも山ほどある。
喫煙所で煙を吐いている人を思い出す。彼らの中で、「今、ニコチンが俺の神経細胞の受容体にすっぽりとハマり、ドーパミンが勢いよく放出されて脳が興奮しているぞ」そう思いながら吸っている人が、何人いるだろう。たぶん一人もいない。僕たちは、ほとんどの物事の「リアルの中のリアル」なんてちっとも知らないまま、息をして、のうのうと暮らしている。
先日、仕事でどうしても人に聞かなければならないことがあった。ところが、角の立たない聞き方が思いつかない。数分悩んで、気づいたらAIに打ち込んでいた。
「〇〇について人に聞きたいんだけど、失礼のない聞き方を教えて」
人に聞くために、人ではないものに聞き方を聞いている。おかしな話だと思った。それでも画面に出てきた文面はよくできていて、ほとんど直さずに送ってしまった。
返信を待つあいだに、次に聞くことが決まった。
「膨大な無知を抱えた人間が、それでも人間らしく暮らす方法」である。
答えはすぐに返ってきた。
「世界を理解しきれないことを受け入れながら、それでも自分の一日を丁寧に生きる。僕は、それが人間らしく暮らすということなのだと思います」
人間らしさを説くAIの一人称が、僕だった。