
浪漫は、いつロマンティックと別れたのか
副題
西洋から輸入された言葉が、日本で「合理性では説明できない価値」になるまで
はじめに|同じ言葉だったはずなのに
「宇宙には浪漫がある」
この言い方は自然である。
けれど、
「宇宙はロマンティックだ」
と言われると、少し意味が変わる。
夜景を眺めながら恋人と語り合う。
花束を渡す。
星空の下で告白する。
そうした場面には「ロマンティック」という言葉がよく似合う。
一方で、
巨大ロボット。
沈没船。
古代文明。
宇宙開発。
誰も到達したことのない場所。
役に立つかどうかも分からない巨大な機械。
そうしたものに私たちは、
「浪漫がある」
と言う。
不思議なことである。
「浪漫」と「ロマンティック」は、まったく無関係な言葉ではない。
その源流をたどれば、どちらも西洋から入ってきた romance、romantic、romanticism の系譜に属している。
もともとは近い場所にいた言葉だった。
それなのに現在の日本語では、かなり違う意味を持っている。
では、
浪漫は、いつロマンティックと別れたのだろうか。
そして私たちは、なぜ「役に立たないもの」にさえ浪漫を感じるのだろう。
1|浪漫は、日本古来の言葉ではない
「浪漫」という字を見ると、どこか古風な日本語のようにも見える。
しかし、その意味は日本古来のものではない。
近代になって、西洋の romance、romantic、romanticism といった概念が日本へ入ってきたとき、それらを理解し、表現するための言葉として受け入れられていった。
明治期には、
ロマンス。
ロマンチック。
ロマン主義。
浪漫主義。
浪漫派。
といった言葉が次第に使われるようになる。
つまり「浪漫」は、最初から現在の
「宇宙には浪漫がある」
という意味で登場したわけではない。
もともとは文学や芸術思想と結びついた、かなり専門的な概念だった。
西洋の Romanticism は、単なる恋愛趣味ではない。
合理性だけでは捉えきれない感情。
個人の内面。
想像力。
自然。
神秘。
英雄。
過去への憧れ。
現実を越えようとする精神。
そうしたものを重視する思想でもあった。
だから、現在の日本語でいう「浪漫」が、完全に偶然生まれたわけでもない。
その根には最初から、
現実だけでは足りない
という感覚があった。
2|ロマンティックは「美しい感情」の側へ進んだ
現在の日本語で「ロマンティック」と言えば、かなり意味が限定されている。
恋愛。
情緒。
美しい雰囲気。
少し非日常的な演出。
たとえば、
夜景。
キャンドル。
星空。
花束。
二人きりの時間。
そうしたものが「ロマンティック」と呼ばれる。
もちろん、恋愛に限る必要はない。
幻想的な景色を見て、
「ロマンティックだ」
と言うこともある。
だがその中心には、
世界を少し美しく感じること
がある。
現実そのものは変わっていない。
けれど、光や言葉や雰囲気によって、その瞬間が特別なものになる。
ロマンティックとは、
世界を美しく感じるための感性なのかもしれない。
3|浪漫は、もっと奇妙な方向へ進んだ
一方で、日本語の「浪漫」は別の方向へ広がった。
宇宙には浪漫がある。
深海には浪漫がある。
古代文明には浪漫がある。
巨大戦艦には浪漫がある。
蒸気機関車には浪漫がある。
有人火星探査には浪漫がある。
そこには必ずしも恋愛も、美しい雰囲気も必要ない。
巨大なエンジンを見て胸が高鳴る人もいる。
誰も見たことのない深海生物を想像して興奮する人もいる。
数千年前に滅んだ文明の痕跡に惹かれる人もいる。
まだ存在しない宇宙船を本気で設計する人もいる。
それらをまとめると、
浪漫とは、
まだ知らないもの。
まだ持っていないもの。
完全には理解できないもの。
実現するかどうかも分からないもの。
そしてときには、
役に立つかどうかさえ分からないもの。
そうしたものに価値を感じる感覚である。
4|では、日本には浪漫に似た感覚がなかったのか
ここで一つ疑問が生まれる。
西洋から「ロマン」という言葉が入ってくる以前、日本人はこうした感覚を持っていなかったのだろうか。
そんなことはない。
言葉がなかったからといって、感覚まで存在しなかったとは限らない。
ただ、日本には「浪漫」という一語ですべてを包む代わりに、似た感覚が別々の言葉として存在していたのかもしれない。
たとえば、
「志」がある。
「大志」がある。
「夢」がある。
「憧れ」がある。
「風流」がある。
「もののあはれ」がある。
「幽玄」がある。
もちろん、これらは同じ意味ではない。
それぞれ別の文化的背景を持つ。
しかし、その一部は現在の「浪漫」と奇妙に重なる。
5|大志と浪漫は似ているが、同じではない
「大志」という言葉は、浪漫にかなり近く見える。
大きなことを成し遂げたい。
遠くへ行きたい。
まだ誰もやっていないことをしたい。
そこには未来への力がある。
しかし、大志には目的がある。
成功したい。
到達したい。
成し遂げたい。
大志は、
自分から未来へ向かって進む力
である。
しかし浪漫は、必ずしも到達を要求しない。
人類が火星へ行けなくても、火星には浪漫がある。
沈没船を引き上げられなくても、その存在には浪漫がある。
古代文明の謎が解けなくても、むしろ解けないからこそ浪漫を感じることさえある。
ここが大きな違いである。
浪漫は、
達成の前に存在する。
そして場合によっては、
達成されないからこそ存在し続ける。
6|浪漫に最も近い日本語は「憧れ」かもしれない
個人的には、日本語の中で浪漫に最も近い感覚の一つは、
「憧れ」
だと思う。
憧れとは、
自分がまだ持っていないものへ心が向かうことである。
大志が、
「私はあそこへ行く」
という意志だとすれば、
憧れは、
「あそこが私を呼んでいる」
という感覚に近い。
ここには重要な違いがある。
大志では、自分が主体である。
自分が未来を選ぶ。
自分が進む。
しかし憧れでは、どこか対象の側に力がある。
知らない土地。
遠い星。
失われた文明。
まだ出会っていない誰か。
存在するかどうかさえ分からない世界。
それらが、こちらを引っ張っている。
浪漫にも、この性質がある。
浪漫とは、
自分が何かを欲しがっているというより、
何かに呼ばれている感覚
なのかもしれない。
7|風流は「役に立たないもの」の価値を知っていた
浪漫を考えるうえで、もう一つ重要なのが「風流」である。
風流には、
役に立つかどうかとは別の価値がある。
花を見る。
月を見る。
雪を眺める。
虫の声を聞く。
遠回りをする。
美しい器を使う。
それらは、生存に必要な行為ではない。
効率だけを考えれば、不要である。
しかし人間は、
役に立たないものを完全には捨てられなかった。
むしろ、
役に立たないからこそ価値があるものまで作ってきた。
芸術。
物語。
音楽。
祭り。
装飾。
巨大建築。
宇宙開発。
趣味。
浪漫もまた、その延長にあるように思える。
8|もののあはれと幽玄は、浪漫の別の方向を照らしている
「もののあはれ」や「幽玄」は、浪漫そのものではない。
けれど、遠くでつながっている。
もののあはれは、
失われていくものに心を動かされる感覚である。
幽玄は、
すべてが見えないことに価値を感じる感覚である。
どちらにも、
完全には手に入らないものへの感受性
がある。
浪漫にも同じところがある。
謎が完全に解けた瞬間、浪漫が少し失われることがある。
地図の空白がなくなれば、探検の浪漫は減る。
宇宙のすべてが日常になれば、宇宙への浪漫も薄れるかもしれない。
つまり浪漫には、
分からないこと
が必要なのかもしれない。
9|「宇宙はロマンティックだ」とは言わない
ここで最初の問いに戻る。
なぜ、
「宇宙はロマンティックだ」
とはあまり言わず、
「宇宙には浪漫がある」
と言うのだろう。
ロマンティックとは、
世界を美しく感じることである。
大志とは、
自分が未来へ進もうとすることである。
憧れとは、
自分の外側にあるものへ心を引かれることである。
そして浪漫とは、
いまここにはない世界に、現実以上の価値を感じること
なのかもしれない。
重要なのは、
「未来」だけではないことだ。
浪漫は未来にもある。
過去にもある。
失われた文明にもある。
まだ見つかっていない深海にもある。
遥か遠い宇宙にもある。
つまり浪漫とは、
時間や場所を越えて存在する、
ここではないどこか
への感覚なのだ。
10|浪漫には、少し無駄が必要なのかもしれない
浪漫という言葉には、ときどき無駄が含まれている。
巨大な機械。
必要以上の性能。
誰も行かない場所。
利益になるか分からない研究。
実現可能性の低い計画。
人間は、
「そんなもの何の役に立つのか」
と問い続けてきた。
けれど同時に、
役に立つかどうかだけでは決められないものも作り続けてきた。
月へ行った。
深海へ潜った。
高い山へ登った。
巨大望遠鏡を作った。
何千年も前の遺跡を掘り続けた。
効率だけを考えれば、
やらなくても困らないことばかりである。
それでも人間は、
見てみたい。
知ってみたい。
行ってみたい。
作ってみたい。
と思ってしまう。
この感情は、
合理性だけでは説明しきれない。
おわりに|合理性では説明できない余白
「浪漫」は、西洋から入ってきた言葉である。
しかし現在の日本語における浪漫は、単なる外来語の翻訳ではなくなっている。
日本人が西洋の Romantic という概念を理解していくなかで、
そこには以前から存在していた、
志。
大志。
夢。
憧れ。
風流。
未知への好奇心。
完全には分からないものへの感性。
実用を超えたものへの執着。
そうしたものが重なっていったのではないか。
そしていつしか、
ロマンティックは、
「世界を美しく感じる言葉」になり、
浪漫は、
「ここではない世界へ心を伸ばす言葉」になった。
浪漫は、必ずしも役に立たない。
成功する保証もない。
到達できるとも限らない。
それどころか、
届かないからこそ浪漫であり続けるものさえある。
それでも人間は、
知らないものを見たい。
遠い場所へ行きたい。
失われたものを知りたい。
まだ存在しないものを作りたい。
そう思ってしまう。
その、
合理性だけでは説明できない余白に、
私たちは「浪漫」という名前を与えたのかもしれない。
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