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Photo bygentle_hawk525

「幽霊かと思った!」

    朝8時15分、区役所のトイレで、社員である中村さんと鉢合わせした。
    思いつめた表情をしていた中村さん。

    「おはようございます!」

    「幽霊かと思った!今、ちょうど佐藤さんのこと考えてたんですよ。
    えっ、ところで今日は病院勤務の日でしたよね」

    「えっ、今日は区役所勤務ですよ」

    「言ってませんでしたか?」

    「聞いてないですよ」

    「じゃあ、病院の方には私から連絡を入れておくので、すぐ病院に行ってくださいね」


    総合病院と区役所の狭間

    当時の私は、請負社員として総合病院の窓口にいた。
    かねてから、会社は近々区役所窓口の仕事を取るので、社員は異動があるという噂が流れていた。

    区役所の新規事業で、全てが手探り状態。
    それで、入札を勝ち取った中村さんが区役所に常駐していた。そんな中、ヘルプとして区役所で2週間勤務するよう命じられたのだった。

    ヘルプで行く以上、使い物にならなくては困ると思った私。
    徹夜こそしなかったものの、試験前夜のように、区役所窓口の仕事を集中して勉強した。おかげで、区役所の窓口案内も何とかさまになっていた。


    だが、病院も人手不足で、私の取り合いとなった。
    まるで、2人の男性から同時にプロポーズされるようなものである。
    「くたびれたサラリーマン」気質の私は、会社の方針に従順な社員だった。

    新規事業の区役所より、やはり病院が強かった。


    同じブランドのスーツ

    中村さんとは、初対面から言葉なくとも通じ合う人だった。
    同じブランドのスーツを着ていたのを、私は見逃さなかった。
    ただし、中村さんはパンツスーツ。私はスカート一択。

    仕事に対する真摯な姿勢が、私と同じ。
    後から聞いた話だが、他のアルバイトとも決して馴れ合いにはならず、適度な緊張感のある距離を常に保つ人だったそうだ。

    病院勤務の大変さを知っている中村さんは、助言してくれた。
    「区役所勤務を希望するのなら、きちんと自分の意見を主張していいんですよ。」


    仕事に対する考え方の相違

    総合病院の忙しさや同僚から逃れたかった。
    正職員歴の長い私にとって、「かしこまりました」という言葉を使うことのない請負社員は、異質な人種だった。

    そんな環境からの脱出を喉から手が出るほど切望していたものの、自分の意見を主張するなど、私には到底考えられなかった。

    というのも、25年間、旧態依然とした男尊女卑の環境に身を置き、忠誠心ある「くたびれたサラリーマン」を目指していた過去があった。


    意を汲んだ制服保管

    蓋を開けてみると、結局ヘルプ2週間の予定が、3日だけの勤務で終わった。未練を断ち切るためにも、早く制服を返したかった。

    「制服を返却しようと思うのですが……」

    「お願いだから、持っていてほしい」

    中村さんが懇願してきた。
    「幽霊」とまで言ったその心情を察して、しばらくは私の手元に区役所の制服があった。


    区役所の制服返却

    その後、社員の異動なく、アルバイトだけで区役所窓口が回る体制になった。最後通告だと思い、制服を返却しに行ったが中村さんは不在だった。

    それから数日して、律儀な中村さんは患者様が落ち着いた夕方、わざわざ病院窓口に現れた。

    「佐藤さんには本当に助けていただき、ありがとうございました。
    仕事中、忙しいのに邪魔してごめんなさいね。」

    時間がお互いに許すのなら、もっと話したい女性だった。


    退職の決意

    その後1年余り、病院窓口では四方八方から声をかけられ、電話が鳴り、いつも回転人形のように回り、走り続ける毎日に疲れ果てた。
    その合間には、事務処理が待っている。

    夏から秋の繁忙期を2度乗り越えた。
    「休日出勤させてください」と名乗りをあげ、自分は充分この職場での仕事を全うした。

    次の就職先は、他の会社が請け負った区役所窓口。
    この疲弊した身体で、別の就職先を考える頭が私にはなかった。
    そのうえ、一度は切望した区役所で働かないと一生後悔すると思った。


    総合病院の制服返却

    退職最終日、病院の制服返却に会社を訪れた。
    中村さんを訪ねるかどうか迷った。

    たった3日間の出会いと、大企業で活躍する中村さんの立場の違い。
    そして、疲弊状態の身体と明日からの区役所勤務。
    いろんなものを天秤にかけ、断念した。


    ただ、最後に一言だけでも挨拶しておきたい人だった。
    後にも先にも、中村さんのような凛とした女性は現れないだろう。





     
     
    仕事一筋35年。事務を主軸に、サービス業の如く組織や人に尽力。プロ意識の高い雑用係。時折力尽き、20代後半及び50代後半は様々な組織を渡り歩く。 文章を書くのが好きなど素人。 仕事で出会った人や、長年通い続けているお店等の人について書いていきたい。

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