
エッセイ「冷めた至宝、大人のお子様ランチ」改訂版
※過去の記事に加筆・修正したものです。
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朝、まだ何も胃に入れていないうちから、緑茶を啜りつつ「さて、昼は何を喰おうか」と思案にふける。朝飯を飛ばして昼の献立を考えるのは、はたから見れば滑稽かもしれないけどね、腹が鳴っているときの方が、自分の欲求には正直になれるんです。正午が近づいても行き先が決まらないほど、落ち着かないことはないんだよ。
かつては近所の弁当屋へ足を運べば済むことだったけどね、今や街の景色もすっかり様変わりしてしまった。馴染みの店は、昨今の米不足と物価高が引き金になったのか、いつの間にかシャッターを下ろしたきりだ。とはいえ、あれこれと節操なしに詰め込まれたスーパーの弁当にはどうも食指が動かない。そういうときの私の心はどうもね、もっと弁当らしい弁当を求めているんだ。
そんなときは、不意に駅弁が恋しくなるね。駅弁というものは、冷めていることが前提の、いわば「完成された冷や飯」である。例えば、1964年の東京オリンピックの年に生まれた「チキン弁当」なんかがいいね。本来は温かいはずのケチャップライスと唐揚げが、冷めているからこそ成立する不思議な調和。この割り切りが潔い。
神奈川で駅弁の象徴と言ったら崎陽軒の「シウマイ弁当」でしょう。うちは近くのデパートに崎陽軒の店があるからね、ちょいと買い出しのついでに買えるから、世話になる回数も多いんだ。
冷えても一向に風味を失わないシウマイ、申し訳程度の卵焼きや鮪の照り焼き。そして、最後に残しておくべきか迷う甘酸っぱいあんず。あの薄っぺらい小箱には、日本人らしい「心憎い配慮」が詰まっているんです。
一度、このシウマイを温めて食べたことがあるけどね、美味くないどころかまずいんだよ、私には。
結局ね、このシウマイは冷えても美味しいんじゃなくてね、冷えているから美味しいんだ。豚肉とホタテの干し貝柱をぎゅっと握ったような密度の高いものだからね、歯ごたえと旨みがみっちりと詰まっている。干し貝柱は江戸では干しエビと一緒にお出汁をとって、それで深川めしを炊いたりしたほど旨みが濃いんだよ。おまけにホタテを混ぜることで豚肉の配合が減るからね、冷えて固まる脂も少ない。そこいらの冷えた焼売だと、歯を入れるとねちょっとするけど、もちっとした弾力があるんだ。
噛むともっちり、味は豚肉とホタテで風味豊かとなれば、美味くならないはずがない。
今の時代、汽車の中で弁当を広げるのは、新幹線か一部の特急くらいだろうね。しかも車内では匂いがあれだのと、世知辛い声も聞こえてくるじゃないか。それなら、いっそ割り切って自宅でゆっくり味わうほうが、よほど滋味というものですよ。
それとね、駅弁の供にはやはり冷えた緑茶が欠かせないね。昔はホームの弁当屋でね、ポリ容器に入った冷えた茶を一緒に買うんだけど、今は冷蔵庫の茶で十分だ。それで最近思うのは、かつては車窓を流れる景色や走行音に気を取られてね、実は味の半分も理解していなかったんじゃないかということなんです。
自宅の静寂のなかで向き合う駅弁は、かつて憧れた「大人のお子様ランチ」そのものだ。時間に身を委ねて味わう一刻が、何よりの贅沢だと知る昼下がりである。

了