
未来になっても、昔のことを忘れないでくれよ
今回は、少し未来の話を書いてみたい。
最近、自動運転タクシーのニュースを見ていて、ふと思った。
「あれ? これって、昔、映画で見た世界じゃないか」
僕が『ブレードランナー』を初めて観たのは、もう40年以上も前のこと。
当時、映画に出てくる未来の街や、人が運転していない車は、完全なSFだった。
「こんな世界、本当に来るんだろうか」
そんなことを思いながら観ていた。
それが今、アメリカではWaymoのロボタクシーが実際に走り、テスラも「Cybercab」という自動運転タクシーを実用化へ進めている。
40年前に映画で見ていた「未来」が、少しずつ現実になっている。
なんだか、ちょっとワクワクする。
自動運転が当たり前になれば、車そのものの存在も変わっていくのだろう。
自分が使っていない時間に、車が誰かを乗せて走る。
もしかすると、「車を所有する」という考え方さえ変わるかもしれない。
さらに、その先には月へ行く。
火星へ行く。
僕らが子どもの頃なら完全なSFだった話が、少しずつ「いつか実現する話」になっている。
すごい時代になったものだ。
僕は、そんな未来を見てみたい。
自動運転の車にも乗ってみたい。
できれば、月にも行ってみたい。
でも。
ひとつだけ、お願いがある。
未来がどれだけ便利になっても、昔のものを全部消さないでほしい。
僕は、昔ながらのガソリン車も好きだ。
エンジンをかけた瞬間の振動。
アクセルを踏んだときのエンジン音。
車によって違う、あの独特の「癖」。
今の時代から見れば、非効率なのかもしれない。
それでも好きなのだ。
たぶん、昭和生まれだからだと思う。
車は、単なる移動手段ではなかった。
自分でハンドルを握り、自分でアクセルを踏み、自分で目的地まで走る。
そこには、ちょっとした自由があった。
そして、車を運転することそのものが楽しかった。
だから、自動運転車が当たり前の時代になっても、昔のガソリン車が走れる場所を残してほしい。
エンジン音を聞いて、
「懐かしいな」
と思える場所を残してほしい。
古い車を大切に整備して、
「昔は、こんな車が走っていたんだよ」
と、若い世代に伝えられる場所も残してほしい。
未来へ進むことと、過去を捨てることは、同じではないと思うからだ。
40年前、映画のスクリーンを見ながら、
「こんな未来、本当に来るのかな」
と思っていた少年は、
今、その未来が少しずつ現実になっていることに驚いている。
そして、ちょっとワクワクしている。
でも同時に、
「未来になっても、昔のことを忘れないでくれよ」
とも思っている。
最新の自動運転車と、昔のガソリン車。
未来と過去が、同じ世界のどこかに存在している。
そんな、少し余裕のある未来なら、僕は好きだ。
未来へ進みながら、
過去の証も大切にする。
それくらいの余裕がある未来であってほしい。
たぶん、それが昭和生まれの僕から未来への、小さなお願いなのだと思う。