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Photo byyukablue

セトリはあれど サトリなし

    在る。

    私が在るトキ。

    ハートから。
    掌の労宮から何か●●が出ます。

    私がいないトキ。

    それはさらに輝きを放ちながらー。

    これを生命波や光術、またある方は至福や愛や神の実在と名付けているわけですが、決して私が何かをやっているわけではございません。事実、私もあなたも何一つ悟れないのです。それでももし、あなたが悟ったというのであれば、世界すべての人間が悟ったことになりましょう。

    絶対無。
    絶対有。

    空。
    在る。

    私の場合はカラダへの顕れが先でしたが、知的理解としてこの書物には多くを学んだように感じます。なければいつまでも他者を欺いたまま。本当の自己を思い出し、中心から溢れくる慈悲を世界へ伝えることはできなかったでしょう。

    以前、難しいとおっしゃる御方がおられましたが、
    在るは至極シンプルです。

    それでも在るに留まることはトキがかかることと思います。
    そのような御方へ光術神癒を届けているのかもしれません。

    もはや誰に伝わっているのかー。
    『私』にはまったく知る由もありませんが。

    あなたがそこに生きていてくださる😊
    それだけですべて世界は救われます👏

    サトリ悟る者など存在しない世界へ。
    セトリセットリストという名の愛を🎵



    涅槃(ニルヴァーナ)。
    解脱。
    赦し。
    梵我一如。
    次元上昇。
    神癒。
    目覚め。
    覚醒。
    悟り。
    大いなるもの。
    ヨガ。
    ゼロ。
    禅。

    表現が異なるだけ。
    同じことの現われ。

    知らずとも知ろうとも。
    あなたは在る。

    いま。
    あなたは生きている。
    そのカラダそのままに。

    真実を生きている。



    あなたは未だ。
    ”今”でも”今、ここ”でもない
    ”いまここ”を知らないのかもしれない。

    イエスの伝えたかったことであり、釈迦の教えでもあり、ダルマや空海らが継いできたものでもある。さらに過去に遡ると、古神道。さらには縄文やレムリアにそれを観るだろう。

    誰もが気づく。

    聖典、教典、聖賢たちのそれは表現方法が異なるだけでまったく同じことを述べている、と。

    人間とは何か、と。



    「現象は自分ではないものを解体する作業の連続。つまり、観念を観て手放していく忘念会おたのしみかいでしたか」

    『私も真理を思い出しゼロに戻ったたとき、このように感じた。”なんて世界だ、誰もが完全に救われている”と』

    ”いまここ”を生きながら過去思考を観ている。

    何も起きてなくすべて愛決まっていて存在せず。

    それでも、あなたがエルモのは必ずある。

    それはセサミストリートに『エルモの歌』が流れることは明らかに決まっていたことと等しい。

    🎵🎵🎵


    「な、なぜセサミストリートなんですか!?😂」

    『今日のハゲ短歌は”サトルなら セトリはあれど サトリなし ミスなき道に エルモの笑顔"じゃよ👍✨』

    「セ サ ミ…..なるほど。セサミストリートとかけたわけですね・・ってもっとわかりやすくて夏っぽい歌ないんですか😅💧」


    『わしのわかる曲ならやはり、ゆずとかWhiteberryかのぅ。フジファブリックもいいだろう。しかし今の流行りはこれかな♡』


    「夏うたの定番ならべただけじゃないですか!😒」

    『な、なにを言う💦中心みなもとから溢れてるだけじゃよ💚』




    大丈夫です。
    真実では病気も邪気も悪も存在しません。

    少しずつ本当のあなたへ戻ります。
    すでに至福に包まれたままのあなたへ。


    ではまた👶👌✨


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