
医療は底引き網漁をやめて、定置網漁に切り替えようとしている。
ま、だから地域包括システムはなくなると思うよ。
お役所が考えていることだから名前まではなくならないけど、
どんどんと形を変えていくか変わらないかのどっちかだね。
変わっても変わらなくても影響がないくらいに意味のない概念みたいな、、、ね
これは日本の医療の潮目が変わってきて、
潮目が変わったら思考も行動も変えないといけないからね。
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この記事の編集後記です。
医療というのは、
救急・超急性期・急性期・回復期・慢性期・在宅
といった流れで捉えられることが多いですよね。
上流から下流へ流れていく川のようなイメージで認識している人もいるかもしれません。
ただ、この捉え方はわかりやすい一方で、
実態をかなり単純化しすぎている側面があります。
実際の医療は直線ではなく、円環構造になっているんですよね。
在宅で状態が悪化すれば救急に戻り、
救急・急性期を経て、
また在宅へ帰る。
つまり、在宅と救急は地続きであり、
医療は常に循環しています。
そして、その医療の入り口は
救急か在宅かクリニックか予防なんですよね。
情報を得るという入り口は多々ありますが、
実際に受けるときにはここらに絞られてきます。
日本の医療は拾い上げてきました。
相当数。
そして拾い上げては支え続けました。
長期間。
誰でも彼でも無尽蔵に医療を享受できる。
それも格安に。
これが長年続いてきて、
更には、治って当然。
ホスピタリティも高くて当然。
みたいな、資源を消耗させるようなことをやってきたわけです。
私も含めて。
大阪万博に何回も行きましたが、
各国は自国の先進性を示すために重要産業を前面に打ち出しているんですけど、本当に医療の打ち出しをしている国が多かったんです。
でも、その打ち出されている医療は、
まぁ日本ではよくみるやつやな。
みたいなものが多いんですよね。
つまり、それほど先進的なものを我々は日々格安で享受してきており、
その対象を
とにかく広く、
とにかく大量に、
必要な魚も、そうでない魚も、
海底ごと引きずって拾い上げる
底引き網漁のような手法でやってきたんですよね。
日本の社会保障は、
「アクセスできた人には潤沢な医療資源を、
コスト意識なく提供する」
という設計を長く続けてきたわけ。
それが成立していたのは、
・人口が多かった
・現役世代が厚かった
・財政にまだ余裕があった
からであって、やはり昨今の情勢をみるからにかなり厳しい。
医療業界ヘイトも相まって、
この辺りは相当な圧が掛かっている現状がありますよね。
底引き網漁って、今、世界中で禁止の動きがあります。
海底の泥を巻き上げて大量の二酸化炭素を放出したり、海底生態系を破壊したりすることで、海底の砂漠化を促進させているからなんですよね。
医療の底引き網も、
過剰な権利主張(提供者・受給者ともに)を放出し、財政を破壊し、まさに砂漠化が起ころうとしていますよね。
でも、人間は老うし、病むし、死ぬんですよ。
だから医療は砂漠化しました。
はい、もうありません。
とはいかないわけです。
でも、まだ底引き網漁はやめれない。
だって拾い上げなきゃいけない人たちがいる。
だから、少しでも効率よくやろう。
ってのが、「地域包括ケアシステム」だと思うんだよね。
地域包括ケアシステムは、
医療/介護/予防/住まい/生活支援を、
地域で包括的に回す。
思想としては、間違いなく正しい。
ただし、実装には大きな無理がある。
だって、もう定着してないじゃない。
定着してるの名前だけじゃない。
医療・介護・障害分野の事業所は、
自由経済に放り込まれているにもかかわらず、
価格設定ができない。
診療報酬・介護報酬という形で、
国が価格を決め、
その枠内で動くしかない。
その状態で、
「国の提唱する概念に沿って、
地域でうまくやってください」
と言われても限界がある。
だから、やってることが大事
みたいな会議や書類が増えるんですけどね。
さらに、
「自助・互助・共助・公助」という前提も、
現実とズレ始めている…
というか、最初からずれてる。
自助については、
「何かあったら医療が何とかしてくれるだろう」
という国民気質が根強い。
だっていままで拾い上げてくれてたからね。
互助については、
地域との関わりを持たない個人が増え、
明らかに希薄化している。
結果として、
共助・公助への依存が強まる。
この前提条件のもとで、
地域包括ケアを
ネットワーク型で拾い上げようとするのは、
構造的にかなり厳しいのよ。
地域包括ケアが目指したのは効率化ではなく、延命だった。
いま求められているのは、循環の設計そのものだと思う。
現実には、
医療は医療、
介護は介護、
行政は行政、
在宅は在宅。
すべて縦割りのまま。
「連携している体(てい)」は整えたけれど、
責任の所在と意思決定は分断されたまま。
だから地域包括ケアは、
地域に網を張り、
繋げよう、拾い上げようとする施策になる。
ただし、
網に引っ掛からなければ始まらない。
その網の目は、
地域によって驚くほど粗い。
ここで、
医療の円環という視点に立ち返ると、
もはや国家財政を考えれば、
・全員を拾い上げる
・同じ厚みで支える
という底引き網モデルは維持できない。
アクセスできる人に絞る
という選択肢が、
現実的に浮上してくると思うのよ。
でも、アクセスできない人もいるからね。
それは予防みたいな分野で拾い上げていく感じ。
相互に密接に連携しましょうじゃなくて、
縦割りでがっつりそれぞれが漏れないようにやろう。
のほうが、実はぬるっとしたネットワークより効率性も社会保障としても機能するんじゃないかなと思ったりもする。
そういう意味で、予防という言葉はより強くなるし、
分野として領域としてより確固たるものになるとは思います。
じゃぁ医療はどうするよって話だけど、
円環を縮小しないとだめなんだよね。
財政悪いし。

患者のすべての人がすべての領域を歩むわけではありませんが、このような領域を歩んでいきます。

昔は長く入院できた急性期は入院できなくなり、
回復期の入棟基準が厳格化されたり、
色々と底引き網漁の制約は前々からかけられてきていたわけです。
不正訪看は議論の余地なく極刑に処されてほしいわけですが、
在宅医療はやはり一日あたりのコストは抑えられる傾向にあります。
医療の入り口に立つ、
在宅医療と救急が結ぶ円環の中で、
底引き網漁ではなく、
定置網漁に切り替え、
救急・急性期という「入口」で拾い上げ、
そのまま在宅へ直結させる。
在宅で状態を見ながら、
訪問回数や頻度を徐々に落としていく。
悪化すれば、
同じ円環で再び救急へ戻る。
これは、
「全員を拾う」医療ではなく、
アクセスしてきた人を、
漏らさず循環させる医療が必要となると思います。
もちろん、
回復期や慢性期が必要な人は一定数います。
そのルートを選択する割合が
ゼロになるわけではありません。
ただ、
すべての人を一度そこに通す必要はないと思う。
医療の円環を小さくし、
滞留を減らし、
キュアとケアを同時に成立させる。
これは、
訪問看護というポジションだからこそ
担える役割だと思っていんですよね。
国は方針を示す。
その後は、動きを見てテコ入れをする。
であれば、
事業者としては、
円環が実際に回る形を選ぶしかない。
医療は、
底引き網漁をやめて、
定置網漁に切り替えようとしている。
広く拾い上げるのではなく、
アクセスした人を漏らさないように、
キュアからケアへ、ケアからキュアへ繋げる、
それを効果的かつ効率的に。
そんな役割が必要なんだろうね。
今やろうとしているのは、
「拾う医療」から「漏らさない医療」への切り替えを、
訪問看護という立場から先取りする、という話だよね。
だから、弊社は医療に特化し、
地域のHCUを謳ってるんですよね。
広く引きずって拾う底引き網ではなく、
流れを読み、入ってきたものを確実に活かす定置網。
医療も、そろそろその漁に切り替わる時期なんだと思う。