
「こりゃ……ダメだな」
珍しく買った日経新聞を丸めた。
今度こそは……という思いは、
そのたびに、
「ご希望に添えない結果となりました」
というメールで返ってきた。
そして、ようやくこぎつけた面接。
「なぜ……うちに応募されたんですか?」
若い面接官の、
値踏みするような目が頭から離れない。
一つ手前の駅で降りた。
まっすぐ帰る気にはなれなかった。
すっかり暗くなった線路沿いを、
トボトボ歩く。
列車が僕を追い越す。
光の川から人影が見える。
サラリーマンだろうか。
高校生だろうか。
みんな、どこかへ帰っていく。
僕も帰るところはある。
ただ、このまま帰りたくはなかった。
交差点が見える。
駅はもうすぐだ。
赤信号。
僕は足を止めた。
満月だ……
ちょっぴり、得した気分になった。
その下に、
コンビニの看板が見えた。
履歴書、買わなきゃ。
「……長い」
赤信号を睨む。
ん?
二人いる。
歩行者用信号の赤い人。
いや、
人というより、人型というべきか。
いつも一人だと思っていた。
でも、どう見ても二人いる。
少し離れて、
並んで立っている。
「夫婦……?」
思わず口に出した。
いや、
夫婦と決めつけるのはどうか。
そして、その下。
青信号の人型も見えた。
こっちは……男?
僕は目を細めた。
赤信号に男女。
青信号に男。
三人。
「不倫……?」
自分でも、
なぜそこに行き着いたのか分からない。
赤信号の男は夫。
女は妻。
青信号の男は……
「愛人か」
男は、今にも駆け出しそうな体勢をとっている。
逃げるつもりなのだろうか。
現場を押さえられたのかもしれない。
すると、
女の顔が少し下を向いているように見えた。
「泣いてる……?」
待てよ。
逆かもしれない。
赤信号の男が愛人で、
青信号の男が夫。
夫が二人を見つけ、
追いかけようとしている。
いや、
それなら赤信号の二人は、
なぜ立ち止まっているんだ。
逃げればいい。
いや、
そもそも、なぜ僕は不倫だと決めつけているんだ。
だが、一度そう思うと、
もうそうとしか見えなくなった。
僕はもう一度、目を細めた。
信号が青に変わった。
横断歩道を渡りながらも、
僕は振り返った。
やはり、
二人いるように見えた。
その夜、
家に帰ってから調べた。
「歩行者信号 二人」
「歩行者信号 男女」
「歩行者信号 赤 二人」
めぼしい情報は出てこなかった。
メーカーのホームページも見た。
信号機の歴史も調べた。
歩行者用信号のデザインについても調べた。
気がつけば、
日付が変わっていた。
僕は捜査本部を設置した。
翌日。
目が覚めたら、
夕方になっていた。
決して、大寝坊ではない。
スマホの求人サイトを見る。
誰も僕を歓迎していないみたいだが、
僕には大事な任務があるのだ。
陽が落ちた……
捜査開始。
僕は同じ交差点へ行った。
少し離れたところから見る。
二人いる。
近づく。
やはり二人に見える。
道路の反対側へ渡る。
角度を変える。
二人。
しゃがんでみる。
二人。
立ち上がる。
二人。
通りすがりの高校生が、
ちらっと僕を見た。
僕は気にしなかった。
これは捜査なのだ。
僕はスマホのメモに書き込んだ。
『現場百遍』
三日目。
僕は求人サイトを見なかった。
捜査続行。
スマホのメモに、
『履歴書』と打ち込んだ。
念のため、
昼間にも確認した。
赤信号は、男一人だった……
これは、どういう状況だろうか?
青信号の男は、
相変わらず、駆け出そうとしている。
赤信号の男は立ち止まったまま。
女は、どこへ行ったのか?
「これは……」
夜になるまで待った。
「本ボシは、必ず現場に戻ってくる……」
もう一度見る。
二人。
確保すべきか?
僕は考えた。
夜だけ二人になる。
何か仕掛けがあるのかもしれない。
反射。
光の屈折。
信号機内部の構造。
あるいは……
僕は、そこでようやく思い出した。
メガネ。
ポケットからメガネを取り出し、
かけた。
男一人だった。
「…………」
赤信号の男は、
何事もなかったように立っていた。
スマホのメモを開いた。
『現場百遍』
『履歴書』
「…………」
捜査本部、解散。
腹が鳴った。
コンビニの先に、
淡く光る牛丼屋の看板が見えた。
小銭を数える。
「並盛なら大丈夫か……」
僕は横断歩道を渡った。
青信号の男の歩幅が、
少しだけ広かった。
