
「継承」を前提とした仕組みづくり
山を整備することによって守られているものは、登山者や一地域に限られた利益だけではありません。広く社会全体が享受する公共的な価値です。
健全な自然環境や安心して歩ける道は、多くの人の暮らしや地域の魅力を支える基盤であるとも言えます。またもっと俯瞰的に見れば、山に源を発する流域全体の健全さにも関係し、さらにその先に広がる海の健全さにも繋がってくる話です。
そう考えると、本来であれば山の維持管理には、より公的な視点や仕組みが求められるはずです。また範囲が広大であることから、多くの市民が参加できる仕組みが求められると思います。
登山道は観光、自然管理、災害時の導線など多くの役割を担っています。
その維持管理は本来、行政が一定の責任を持つべき領域であり、安定した予算、安全基準、技術研修などの仕組みが必要です。
「地域を支える仕事」として位置づけ、公的な制度の中で、安心して続けられる環境づくりが求められていると思います。
制度で運用している消防団
危険の予防や環境の保全といった公共的な役割を担うため、多くの市民が参加する活動に「消防団」があります。
「地域の安心と安全」を支える大切な存在です。
消防団は地域の自主的な力が軸ですが、その存在は消防組織法によって位置づけられ、装備や訓練、安全管理などが公的予算で支えられています。
一方で登山道整備は、同じような公共性を持ちながらも、仕組みや継続的な財源が整っていない地域がほとんどで、手弁当に頼った活動になりがちです。山に対する愛情や、そこに暮らす者としての責任感が静かに積み重なって成り立っています。
北杜市の南アルプスエリアでは
北杜山守隊が活動する北杜市南アルプスエリアは、戦後は地元山岳会の会員を中心とした地域の人々によって登山道や山小屋が支えられていました。
その中心的な存在が、白州町の初代町長である古屋五郎さんであり、古屋さんが中心となって立ち上げた菅原山岳会でした。しかし残念ながら、地元でも私よりも若い世代を中心に、そのことを知らない人が多くなっています。
2017年に私が七丈小屋を引き継いだときには、このエリアの登山道は、ほぼ手入れがされていない状態でした。菅原山岳会が中心になって取り組んでいた整備活動も、完全に途絶えてしまってからかなり年月が経っていました。
要因はいくつか考えられますが、大きな要因として挙げられるのが地域の高齢化と市町村合併だったと考えています。
地方の高齢化は北杜だけの話ではなく、全国的に進んでいることです。
しかし市町村合併で、それまで白州町として予算化していた登山道整備等に関する予算は、大幅に減額されてしまったと地域の方から聞いています。仮に予算があったとしても、すでに高齢化によって動ける人がほとんどいなかったかもしれません。
その結果、菅原山岳会が約半世紀に渡って積み上げてきたものは、ほぼ次の世代に継承されずに途絶えてしまいました。
大変残念です。
そういった状況も踏まえて、北杜山守隊で目指していることは、美しい山を未来につなぐ仕組みを作ることです。
未来を予見したプラン構築はできない
さて、戦後に菅原山岳会ができて約80年という時間が経っています。
この80年で起こった世の中の変化、そして自然環境の変化を、当時の人々は予見できていたでしょうか。私たちが100年後の未来を予見できないことと同じで、おそらく分からなかったと思います。
そしてこれからの100年は、これまでの100年よりももっと急激かもしれません。自然環境だけを見ても、温暖化による植生や生態系の変化、氷河や永久凍土の融解、海面上昇、森林減少、砂漠化・・。
様々な事象が考えられます。
七丈小屋を引き継いだ2017年4月から約9年間の山の変化だけでも恐ろしいです。
世の中の変化に至っては、考えることすらできません。
下の写真は2024年にヒマラヤキャンプで訪れた山域にある山の写真ですが、1974年に日本隊が登ったときの写真との違いを見ても、この50年の差を肌で感じることができると思います。


もちろん私たちの意識の変化や様々な対策を講じることで、悲惨な状況は何としてでも回避しなければなりません。
100年先のことをあれこれ想像することはできるかもしれません。
しかし具体的なプランをいま作っても、いまの人が100年保持することはできません。だからこそ継承と更新が必要です。
緩やかなバトンタッチ、有機的な更新
100年といえば3〜4世代ぐらいでしょうか。
北杜山守隊の代表を10年周期ぐらいで交代するとしたら、10回変化のタイミングがあると言えます。北杜山守隊を設立して代表理事になってもうすぐ4年。あと6年は猛烈に働いて、次の代表に引き継げる土台を築く必要があります。
長期に渡って属人化してしまって、いまのメンバーがいなくなったら終わりでは意味がありません。
組織的な地域活動というものは、次々といろいろな人が現れてゆるやかにバトンパスをしながら、その時その時の社会や自然環境の変化に柔軟に対応しつつ、いま考えもしなかったような展開を考えてもらうことが健全です。
そしてそれが100年、200年に渡って有機的に更新されることが理想です。
初代である私たちは、有機的に更新される土台づくりができればと思っています。