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私は「見る」ことを知らなかった〜妊娠中に白内障になった件

    初めに~自己紹介を添えて

    はい、小説書きの花宮いちとです。
    ただいま、オリジナル小説の同人販売に向けて、四苦八苦しています。

    その活動をしている最中に、オリジナル小説の自作キャラのイラストを
    自分で描いてみたら、楽しいという体験をしました。

    オリジナル小説の同人販売の活動に、自分で表紙イラストを描く活動も加えて、四苦八苦しております。

    もともと、イラストは小さい頃に描いていました。ただ、私のイラスト。
    ちょっと変だったんですよね。
    微妙な評価が、常でした。
    そのため、自分の創作物に、自信が持てませんでした。

    イラストは、二次創作というか、好きなキャラを描く域で、ほとんど模写です。トレースや、公式イラストを見て描くなどを楽しんでました。
    本格的にオリジナル創作をしたことはありません。
    だから、自分の小説のキャラを描いてみた時は、ドキドキしました。不安、期待、焦燥。
    総じて体験して良かった楽しさ!スゴイ!

    オリジナル創作は、ずっとやりたかった。でも、勇気がありませんでした。
    というのも、私は『見る』ことに関して、ちょっと特殊な体験をしています。このエッセイは、その特殊な体験のお話です。

    異変は床から始まった


     もともと私の水晶体は、一般の人の位置より少しズレていました。
    そのため、変わった視界と視力の中で生きてきました。

     不便でしかないんですが、水晶体がズレている状態のことを、水晶体偏位と言いますが、それがわかった当時の年齢は、0歳です。
     今では手術方法もありますし、手術に踏み切る選択もあるそうですが、私の場合は、手術には踏み切れませんでした。
     当時、開発されたばかりの術式は、手術症例も少なかったので、怖かったのです。そのため、経過観察を選んでいました。

     小学校、中学校、高校。保護者同伴だと、経過観察も順調でした。
    手術を勧められることもありましたが、なんだかんだで引き延ばしました。
     そうして、短大進学、就職などなどしていくうちに、そうなんです。
     保護者同伴じゃなくなってから、経過観察も、本人の気力がないと続かなくなっていきました。本当は、ダメです。もちろん、するべきです。

     結婚をし、長男の妊娠出産以降、眼科の定期検査から遠ざかっていました。
    ――――行かなければ、行かなければ。
     そう思っていたんですよね。

     メガネなどの矯正道具が、壊れることも不便を感じることもなかったので、そのまま来てしまいました。
     そうこうするうちに、第2子である長女を妊娠し、身重になった状態で元気いっぱいの3歳児との育児生活に突入したある日のことです。

    ――――部屋の床がぼわっとした白さで、汚れて見えたんです。
     当時住んでいた住居の床は、ダークブラウンの木目のフローリングなので、白くぼわっとしたものが見えるということは、汚れしかありません。

    ――――毎日の掃除を最低限の掃除で済ませていたから?

    長男と遊びながら、床を磨きます。
    フローリングシート。
    水拭き、乾拭き。
    簡単にできる「磨く」を時間が許す限り、試す試す。

    それでも、床は磨いても磨いても、キレイにならない。
    汚れは、なかなか落ちません。

     そこでムキになった私は、多忙な育児生活のスキマ時間を見つけては、その汚れと格闘します。

    なんだか、変なスイッチが入ってしまったんですよ。

     この床の掃除については、夫からの協力は、もちろんありました。
    夫は、床は十分キレイだよ、と当時、言ってました。
     正直言いますと、夫は私に甘いので、当時の掃除の評価に関して、妊娠中の私への負担を軽くするため、甘めの評価だと、勝手に思ってたんです。

    ――――ニスまでやれば、大丈夫だろう。
    私は、三歳児の息子の昼寝のスキに、フローリングのニス塗りを決行します。
    ニスがついてるフローリングシートとか、お手軽のタイプじゃありません。当時は、発売してなかったと思います。
    液体の、塗り広めるタイプのものです。身重なのに。昼寝すればいいのに。

    ピカピカにしたかったんです。
    今思うと、どこかで不安を抱えてたのかもしれないですね。その不安を晴らすために、床磨きに精を出していた気がします。

    そうして、ニスを塗った床は、果たして?!
    そうなんです。汚れは変わりませんでした。
    仕事から帰ってきた夫は、部屋のピカピカさに驚いていました。
    ――――夫の怪訝な表情は、そこで初めて見た気がします。

    「なんでこんなに綺麗にしたの?大変だったでしょう」
    夫は労りの言葉をかけてくれます。
    「でも汚れが落ちてない。こんなに頑張ったのに。なんでだろー?」
    「え?」

    そのやりとりで、私たち夫婦は、ようやく、理解したんです。
    ――――これは、私の目の問題だ、ということに。

    妊娠中にまさかの両目白内障発覚


     かかりつけ医からの紹介状を持って、大学病院へ受診したんですが、そこら辺の記憶が抜け落ちています。
    妊娠中に手術ってするの?!!という事実に、ひたすらショックを受けたんですよね。

    大学病院では、水晶体のプロという、有名な教授先生が、検査結果とにらめっこの末、私の目をライトで照らしたり、拡大鏡で覗き込んだりと、診察をしてくれました。
    眼科では、それぞれ専門の領域が存在しているそうなんです。
    正確な区分は忘れてしまいましたが、硝子体の専門の先生、水晶体の専門の先生、網膜の専門の先生、という具合に分かれてるそうなんです。

    先生が穏やかな声で説明してくれたのを、覚えています。

    「奥さんのね、目ね。もともと水晶体偏位が両目に起きています。その上、そのズレた水晶体が白く濁っています。白内障ですね。ここまで濁っていると、取るしかありません。手術でしか対応できません」

     白内障は、目薬治療などもありますよね。その治療法は、私はできないと説明してくれました。
     ひと通りの説明を終えてから、先生はカレンダーを眺めて尋ねてきました。
    「いつ手術にしましょうか?」

    私は、咄嗟に答えました。「今は、第2子を妊娠中なので」
    ――――先生は、少し、考え込んでから、こう提案してくれました。

    「それなら、2番目のお子さんの授乳が終わってからにしましょう。ただ、緊急性が高い症状が見られたら、すぐに手術しますから、そのつもりでいてくださいね」

    「緊急性が高いとは?」
    夫が念を押すように尋ねました。

    「網膜剥離が今は一番怖いです。濁った白内障が邪魔をして、奥さんの眼底の様子が、わからないんです。網膜の状態がわからない」

    「緊急性が高くなってるという判定をするには、どうすれば・・・・?」
    「視野が狭くなったとか、視野が欠けてるように見えるとか、そういう判定なんですが、奥さんの場合――――正直言いますと、今、奥さんが見えていることが、不思議なんです。」

    「というと?」

    「水晶体がここまで白く濁っていると、視野がすでに真っ白で、何も見えない状態のはずなんですね。でも、どうも奥さんは白い部分もありつつ、ちゃんと見えている部分もあるようなんです」

    説明が続きます。

    「水晶体偏位の影響だと思うんですが、水晶体がこういう風にズレている。水晶体はカメラでいうところのレンズの役割をしています。そして、ピント合わせの役割に、水晶体を支えているチン小帯がありまして、そのチン小帯が奥さんの場合、弱い。だから、水晶体が偏位している。その偏位の具合が、ユラユラしているというか、状況によって変化し、視えてるようです」

    「そ、そうなんですね」

    「なんらかの加減で、光が入り、水晶体のきわの部分で、モノを見ているのかもしれません。そのきわの部分は白く濁っていない部分なのでしょう」

    「はあ」

    「ほんと、僕にも、何故、奥さんが見えているのか、わからないんですよ」

    お医者さんにもわからないことってあるんだなーと思った日でした。

    手術入院、そして病室での出会い


    ――――お医者さんにもわからないってどういうことよ?!
    ――――じゃあ、なんで私の眼って見えてるんだろう?
    と、我に返ります。

    とはいえ、お医者さんがわからないという話を考えても、結論は出ません。
    今、見えているのが有り難いなっで行くしかない。

    なんと言っても、これから待ち構えていることが多い。
    第2子を無事に出産し、育児、断乳。
    入院中の長男長女の預け先、手術の費用などなど、いろんな課題を私たち夫婦に投げかけます。

    ――――マジかあ。――――でも、やるしかないよなあ。

    そうして、私たち家族は、頑張りました。
     互いの両親や親族の協力も得ることができ、幸い私は目に関して緊急性の高い状況にもならず、無事に手術のための入院の日を迎えることができました。

    あの頃、あの視界で、本当によくやったと思います。
    周囲のみんな、本当にありがとう!
    誰にも怪我や事故がなくて、ほんとうによかったと思います。
    白内障の進行もあったんですが、飛蚊症と呼ばれる、透明なミジンコみたいなものが見えるものが増加するとか、いろいろあったんですよ。
    それは網膜剥離の兆候じゃなくてホッとしました。

    待ちに待った入院の日です。
     4人部屋の大部屋に案内されて、荷物を持ってきてくれた夫と実母とお子達2人と別れを惜しみながら、明日に控える手術の準備をします。

     大部屋には、私を含めると、2人の入院患者しかいませんでした。
     もう一人の方は、私のすぐ隣りのベッドで、過ごしているようでした。

     様子を伺った結果わかったのが、お隣さんは、どうも何日か前に、手術を終えて、安静にしている状態のようで、話すこともなく、微動だにしない状態のよう。 ベッド上での絶対安静が必要な方なのかと思い、簡単な挨拶をカーテン越しにしました。

     仕切られたカーテンの向こうからの返事のせいか、何やらはっきりしない、くぐもった声で、挨拶を返してくれました。

    育児生活の合間の入院。久しぶりの1人の時間。
    寝るのが、ご褒美。寝るのが、至福。
    ですが、いよいよ迫った手術のあれやこれやに、麻酔の説明やらなんやら、訪問する人も多く、ゆっくり昼寝は無理そうでした。
     暇な時間をつぶすのにあたって、読書もテレビもビデオも、白内障の目では難しいのです。

    こんな時のために、事前に購入していたグッズで暇つぶしをすることに。

    それは、こするだけで、脱毛できるという脱毛グッズ!

    たまご型をした、ピンク色のグッズ。やすりのような原理らしくて、当時、試したくてウズウズしていて、入院生活に必要なものを揃えるのにあたって、そっと購入していたんです。

     こすると、脱毛ができる手軽さに惹かれた私は、指の毛やすね毛など、育児生活では、とてもお手入れする気力も湧かない箇所を、ショーリショーリと音を立てて、こすりました。

    本当に脱毛できたかというち、実は、よくわかりませんでした。
    そうなんですよ。もう、よく見えていないんですよね。
    なんとなく、こう?というニュアンスの視界で生活してました。

    なんとなく、脱毛できている気もしたので
    念のため、ベッドや床をおおよその検討をつけながら、なんとなくの掃除をして、脱毛を終えました。

    掃除の時間も含めて、暇つぶしから、30分ぐらいしか経っていません。

    仕方がありません。おやつに買ってきた、いかの燻製を食べよう。
    ものすごい久しぶりに食べる、いかの燻製は、とても美味しかったです。
    すると、隣りのベッドの人から、声をかけられました。

    「花宮さん」
    「はい?」
    「もしかして、いかの燻製を食べてる?」
    「はい、食べてます。もしかして、あ、匂い?」
    迷惑だったかと思い、急いでジップロックに入れる。

    隣りの人は、たまらず、大笑いします。
    「ううん、匂いは気にならないんだけど、いや、確かにするけど、ごめん。笑っちゃった。おやつに、いかの燻製を選んでいるのがおもしろくって」
    「そうですか?食べます?」
    「ううん、いらない。違うのよ。くっくっく。ごめん、あんまり笑わせないでえ~」

    彼女の名前は、Nさん。私と同い年。両目の網膜剥離の手術を終えたそうで、手術の話など、いろいろしてくれました。

    「網膜剥離の手術の後って、出来る限り、うつ伏せにしてないといけなくてね。なあんにもできなくて。匂いとかに敏感になっちゃうのよね」
    「すいません、私、なにも考えてませんでした」
    「音にも敏感になるんだけど、さっきまで何をしてたの、ショーリショーリってスゴイ不思議な音が聞こえてたけど」
    「えっと、脱毛です」
    「脱毛?!!!」
    「こするだけで、撫でるだけで、脱毛できるっていうグッズでして」
    「ごめん、あなた、すごい面白いわっ」

     匂いと音の気遣いが欠ける、はた迷惑な人間が同室になったのにも関わらず、Nさんは面白がってくれました。
     今度また入院するときが来るのは、ごめんんこうむりますが、次から、音と匂いのするものには、気を付けようと学びましたね。

    Nさんとは、いろんな話をしました。
    なんせ、私は手術前で目があまりよく見えない状態。
    Nさんは、うつ伏せにして、目を使ってはいけない状態。
    話すしかありません。

    お互いの症状の話や主治医の話をして、Nさんの手術の体験談を聞いて、目の手術に向けての勇気を貰っていました。

    花火と仲間と、奇跡のような夜

    まずは、右目の、手術の日を迎えます。
    これがね、あっという間に終わりました。
    右目の手術の時のことは、あまり覚えていないほど
    特に何もなかったんです。

     見舞いに来てくれた実母、子供たち、夫は、手術を終えた私の眼帯に驚いてましたが、無事に終えてホッとしたみたいでした。

    手術から大部屋に戻ると、他の2つのベッドも埋まり、大部屋は満員の4名となっていました。

     私が手術に行ってる間、大部屋では、コミュニケーションが進んでいました。手術が終わったばかりの私は、ベッド上で安静にしていましたが、大部屋の皆さんの会話に楽しく参加していると、看護師さんの検温の時間になり、今日、花火大会が近くにあることを教えてもらいます。

    「この部屋の窓からなら、花火が見えるかもしれませんよ?」
    ――――よし、みんなで見てみよう!と盛り上がったのを覚えています。

    その日の夜。
    ――――おのおの必死に、窓から花火を探しました。
     退院が近づいているNさんが、一番に花火を見つけ、その指さす方向へ
    皆が目を凝らすという、独特の鑑賞スタイル。

    「なんとなく見えるかもー」
    「あれなんじゃないかなーってあれだよねー??」
    「うーん、花火なのかビルの明かりなのか」

    手術前の視界を持つ人、手術後の視界を持つ人。
    どれも見え方は違い、多少見えるものの、よく見えてはいないはずです。

    不自由な視力でも、必死に花火を見ようとする私たちは
    今ある視力と視界で、今を楽しもうとする。
    不思議な連帯感と、皆の無邪気な前向きさを感じることができた、忘れられない時間でした。

    花火はちゃんとあがってましたよ!
    そう、音はしっかり鳴ってましたから!

    左目の手術とフラグ回収


    Nさんが退院して、数日後に私は左目の手術に挑みました。
    実は、左目の手術のことは、鮮明に覚えています。
    というのも、大学病院ということで、医師のたまごの皆さんが手術の助手として入ったからでした。
     なんとなく慌ただしく、バタバタした雰囲気。
     手術が開始されることになり、ふと気づくと、手術の時に必ず患者に握らされる、ナースコールがありません。
     患者側で何かあれば、ナースコールを鳴らして知らせるものです。
    ――――おいおいおいおいおい~~~~。
    助手の人が慌てて、ナースコールを握らせてくれましたが、つるっとそれは床に落ちたのでした。

    なんか――――なんか、やだなあ。
    ナースコールは、再度、無事に握らせてもらったものの、何かのフラグが立った気がして、謎な緊張感に包まれました。

    そうこうするうちに、部分麻酔を眼球にほどこされ、手術が開始されます。
    白内障になっている左目は、手術台で照らされたライトで、さらに白く、私の視界は真っ白でした。
    そこに、じわっと真っ赤な視界が広がってゆきます。

    ――――手術中に赤いものが見える、ということは――――血????
    え、血、出るの??

    全身がさあーーと青くなります。
    ――――だめだ。考えちゃだめだ。とはいえ、眠ることはできないっ!
    見てるようで、見ないふりをしながら、意識を飛ばそう。
    そうだ、意識を飛ばそう。

    意識を飛ばしている間に、手術は進んでいきますが、どうも右目の時と比べると、手術時間が長い。もうすぐ終わりますからね~と声をかけられるものの、なかなか終わらない。

    なんとなく、目が痛くなってきました。辛い。

    ――――これって、もしかして、麻酔が切れ始めてるのでは――――

    いや、気のせいかもしれないしって、これは気のせいじゃないっ!!
    痛い!

    激痛が襲い始めたため、ナースコールを押します。
    手術に取り組んでる主治医の先生が「ごめん、もうちょっと、もうちょっと待って」と答えます。
    いやいやいやいや、痛い。先生、無理だって。麻酔追加してよ~~~。

    ナースコールを再度鳴らします。

    「もーう、もうっちょっとだから。あーもう、うるさいっ。ちょっと待って!!」

    ――――うるさいって、言ったよねえええ、先生、頼むよおおおお。
    手術の邪魔になっているのを自覚したため、ナースコールを鳴らすのをやめて、じっと耐える私。

    ひー、やっぱりあれ、フラグだったんだ~~~~。

    「はい、終わりましたっ。ごめんね、本当、ごめんね」

    主治医の先生が、済まなそうに謝ってくれなかったら、おそらく病院にクレームしましたね。ええ。
    丁寧な説明と、手術が延びた理由も教えてもらいました。
    緊急手術が入ったため、他の先生が欠員したせいと、今回の左目はうまく行かない箇所があって、そこに時間がかかったせいだということ。
    そこは、しっかり処置したから安心して下さいと説明を受けました。

    納得して大部屋に帰ると――――耐えることができない、何とも言えない頭痛と吐き気が襲ってきました。たまらず、吐瀉する私。
    グラグラする頭を抱え、ベッド上でぐったりする私。
    ――――そりゃそうか、眼球いじったもんなあ。

    左目の手術は、プチハプニングに満ちていました。

    新しい視界と世界


    無事に手術が終わり、安静の期間が過ぎて、数日後。
    両目のガーゼが取れた時のことです。
    視界は、とてもクリアでした。そうですね。
    フルHDのような視界が広がっていました。
    何より驚いたのが――――広がっている景色が、ちゃんと根付いているのです。大地から、垂直に物が立っている。

    窓から見える、多数のビルディング。
    大地にしっかり立って、安定し、そこにあるのです。そして、奥行きも感じます。
    たぶん、私はパースがしっかり取れている景色を、おそらく生まれて初めて見たのです。

    ――――こんなに、違うの?
    白内障で白く濁った水晶体が取れたことによって、キレイな視界が拓けたのはもちろんですが、私の場合、水晶体の偏位によってもたらされていた、安定しない視界が――――安定したものになって見え始めたのです。
    そして、無数に見えていた飛蚊症の、ミジンコのような画像も無くなっていました。
    ――――世界って、こんな風だったんだ。
     呆然としました。
    あれは、感動というか、なんていうんでしょうか。
    本当に、もう体験することはない、衝撃の体験でした。

    退院後、見えたもの

     退院して、久しぶりに会う子供たちは、大泣きして私に抱き着いてきました。この時のことは、子供たちも覚えているようで、母親不在の日々は彼らにとって、辛いものでした。しっかり甘えてもらおうと思ったのでした。
    ただ、母親である私から離れたせいか、心なしか彼らもできることが増えていて、前よりずっと成長してるように見えました。

     そして、久しぶりの我が家。
    信じられないぐらい、ピカピカに磨かれた床が広がっていました。

    「すごーい、またニス塗ったの?」
    「違うよ、これは君が塗った、そのままだよ」
    ――――床には、白い汚れは、もうどこにもなく、私は、こんなに磨いたのかと驚くほどの艶々した輝きの床を眺めたのでした。

    今はもう手元に残っていませんが、当時色んな時期に描いたイラストがありました。とっとけば良かったですね。手術後に見返してみたんです。左右のバランスが崩れていたり、遠近が微妙におかしいものが、そこにありました。

    ああ。
    そっか。

    不意に、学校の廊下の掲示板に、真っ直ぐに掲示物を掲示できずに怒られたり、からかわれたりした思い出もふっと湧き出てきました。

    私は、見る力が育ってなかったんだな、と、何かがストーンと腹に落ちてゆきました。
    自分のイラストが微妙な評価が多かったのも、私自身が創作物に自信が持てなかったのも、視力が関係してたようで。

    手術をして良かったな、と思いました。

    終わりに


    長文をお読みいただき、ありがとうございました。
    今の視界が果たして、みなさんと一緒なのか?
    ちょっとそれはわかんないんですね。
    ただ、今、こうして皆さんに体験談を読んで頂き、オリジナル同人小説ダウンロード販売に向けて、あれやこれやと活動できているところを見ると、ちゃんと見えているのではないでしょうか。

    そして、これはコロナ渦前の病院での手術入院体験談でした。
    入院時の患者同士のコミュニケーションや面会の制限や医療体制が、現在とは違っています。そう思ってお読みいただけたら、嬉しく思います。


     
     
    色んな創作にチャレンジしています。取り組みの記録は各種マガジンで。アラフィフの主婦。子2人。夫は小説の創作勢。 note創作大賞2025エッセイ部門の中間選考通過。別名義のLEAF(リーフ)でタロットカード占いしています。

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